カルチャーは別に俺のことを救っちゃくれないけれど

第33期(2017年6月-7月)

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カルチャーなんてもんは結局のところ別に俺のことを救っちゃくれないけれど。
わかっちゃいるんだけれど、僕はそういうものが昔から好きだ。
寄り添ってくれる、なんて最初の一文につけたそうとしたけれど、それだとお粗末な感じがするし、
そういうのとはちょっと違う。
結局のところ、麻薬みたいなもんだと思う。

僕は田舎の閉じた世界で幼少期を過ごしていた頃から、あまり自分を表に出せないところがあった。
幼稚園からの同級生たちなら覚えているかもしれないが(多分同窓会とかではネタにされそうだが)、
泣き虫でのび太みたいなやつだった。
家で絵を描くのがとにかく好きで、クラスで目立てることといえば多分それくらいで
運動やなんかはとにかくカラキシでいつもドベだった。
今考えれば3月生まれにとっては小学校低学年の頃のかけっこに大体勝ち目などないのだが。
だから僕はきっと人の知らない知識というところで自分のアイデンティティを勝ち取ろうと模索していた。
きっと、と書いたのは、今振り返ればそんな節がある気がするからで、
僕にとってその頃のそいつは、唯一の楽しみだった。

高校ともなるととにかく音楽を聴いた。
よく聴いていた思い出のあるアルバムは、ミッシェルガンエレファントの「ギヤ・ブルース」とか、プライマルスクリームの「エクスターミネーター」とか、セックスピストルズの「勝手にしやがれ」とか、レイジアゲインストザマシーンの「THE BATTLE OF LOSANGELES」とか、ハイスタンダードの「MAKING THE ROAD」とか、ブランキージェットシティの「ロメオの心臓」とか、とかとか、うーんと、ざっと思いつくのはそんな感じで、今から考えれば90年代後半のロック好きだったら大体押さえているであろう盤ばっかりなのだが(ピストルズだけちょっと違うけど)大分のど田舎ではこういう音楽ですらマイナーで、僕はこれらの音楽のことをほとんど誰とも話すこともできず、部活帰り自転車で畦道を軽快に駆け抜けながらヘッドホンから流れてくる音楽に合わせて大声で歌っていたりした。

あの頃の僕の通学路あたりで農作業をしていたおじちゃんおばちゃんにもし会うことがあったらきっと、
「あんたはあの頃シャカシャカいわせながら意味のわからん念仏みたいな歌歌いよったね」と言われたりして、
僕はうわーと思いながら赤面していたりしているだろうなと、なんとなく思うわけだが、
大体、ヘッドホンで耳をふさぎながら「オー!へー!ゲッスタッバッズナウッッッッッ!!!」とか叫んでる高校生って
実際めちゃめちゃ怖いよね(ちなみにレイジアゲインストザマシーンの「GUERRILLA RADIO」という曲の一番気持ちいいフレーズを聴こえたまま叫んでいたのを表現してみました)
まあ、往々にして高校生とは拗れているものだというのが僕の中の定説です。

思い返してみれば僕のコミュニケーションは全てこの音楽を基軸としたカルチャーから成り立っている。
東京に出てきてから職場以外の人間と繋がりを持つ時、僕はこの一本切りの槍を頼りにしていたように思う。
僕みたいな人間にとって、そいつは本当にグングニルの槍みたいな感じだった。
興味を引くにも笑いを取るにも、最後は大体それ頼みだ。
そういえばその頃付き合っていた子と(話の流れは全く憶えていないけれど)
オリジナルの曲を作るとしたらという話をしていた時も、僕はパンクばっかり聴いてるから、と
自分の好きな感じのフレーズを適当に口で歌ってみせて大爆笑させた思い出があるのだが
それも思い返してみるとG.B.H.の「Race Against Time」の頭のフレーズそのまんまだった。
我ながらそのオリジナリティのなさにドン引きである。
今回のコラムは脱線が過ぎるな、と書きながらちょっと思っているところなのですが、
まあこの手の話についてはちょっと勘弁してあげてください。笑

一時期、僕は高円寺のあるお店にたまっていた。
僕らが学生の頃憧れていた不良のお兄さんたちが屯ろしているような、そういうパンクなお店。
店で知り合った気の合う連中となんとなくそこに集まって深夜までダベりながら
音楽の話とかアニメの話とかアイドルの話とか、まあオネエちゃんの話とかそういうことを話していた。
音楽と言わずカルチャーと表現するのは、
最終的にそんな感じでジャンルレスに色んなものを巻き込んでいく感じのエネルギーを
そういうジャンル縦割りで語りたくないし語れないからだろうと思うからだと思う。
そして、ああやってたむろっていた時間は、特に僕に何かを授けてくれた訳ではないかもしれないけれど
僕にとってはとても幸せな時間だった。
その店の繋がりで色んな面白い話やら面白い経験をさせてもらったと思う。

写真と言うものを意識するようになったのも、きっと最初はそういうカルチャーからだった。
田舎者の僕がそういった色んな世界を知るためにはどうしても現場ではなくて
音楽誌とかファッション誌に掲載されていた写真が必要でそれを見ることを欲していた。
結局、僕が写真として撮りたいと今欲しているものは、そう言った現場を撮影した写真ではなかったけれど、
今でも、僕の世界を構築している屋台骨は、きっと音楽でありカルチャーだ。
写真を撮っている時、選んでいる時、或いは文章を書いてみたりする時、僕の中ではいつも音楽が鳴っている。
冒頭でカルチャーは別に俺のことを救っちゃくれないと書いたけれど、
よくよく考えてみれば、僕はそのカルチャーに生かしてもらっていたし救ってもらっていたようにも思える。
でもやっぱりこいつらは間違いなく麻薬なのである。

僕はきっと一生この麻薬中毒からは抜け出せない。
だって抜け出したらきっとつまんなくて死んでしまいそうだ。
とにかく死ぬのはご免被りたいし、
大体音楽は好きだけれど、愚か者にはなりたくない。
しぶとく生き続けてパンクで優しいジジイになりたい。