帰路の途中にあった岐路まで何Kmかの道のり

第34期(2017年8月-9月)

このアパートメントで、私は期間限定の住人です。
ここに来たわけは、「ながれ」です。いつものことですけど。
そのうち、すぐに出て行かなくてはならないので、表札はありません。

せっかく来たんだから部屋の中も、どうぞ見て行って。
壁や床はところどころ傷んでいるけれど、良く言うと味があります。
近々ぜんぶDIYして、素敵な木目の壁に変えてやるんです。

キッチンは群青と水色のタイル張りで、清潔でシンプル。
これは前のオーナーの趣味でしょう。
東南向きのベランダでいくつかハーブを育てています。
どれを摘んでやろうか毎朝、意地悪く眺めます。
料理をしながら、白ワインをちょこっと飲んだりする夕方を過ごします。

この部屋のこと、あんまり友人に教えていないので、
あなたの他に訪ねてくれる人はめったにいませんが、
やっぱりレモンとミントのドリンクをキンキンに冷やしているんです。
だって、せっかく来てくれたのに何もなかったら失礼でしょう?

引っ越してもうすぐ2週間ですが、お隣さんも知りません。
たまに月が嫌にあかるい夜、耳をそばだて、お隣さんの生活を聴いています。
でも、咳払いが一つしただけで、他には何も聴こえません。

お隣さんはきっと健康な人なのでしょう。
ていねいにていねいに文字をえらびとり、優しくふわりと浮かべているでしょう。
外っつらだけはかわい子ぶって、うちではキーボードを激しく打ち付けて、
「書けない書けない」とPCを呪っている人ではないのでしょう。

今度、お菓子を持って挨拶に行ってみようかなあ。

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<岐路に出会う前日>

生きているとたまにはおかしな道に入りこんでしまうことがある。
今までいた道は、確かにすぐそこに見えているのに、
おかしなこの道から抜け出すことができない。

見慣れた友人が笑っているのに、自分だけには気がつかない。
家族と同じ空間にいても、私の声だけ響かない。
チャンネルが狂ってしまったのか、どの場所にいても落ち着かない。
プルルルル……あ、もしもし神様?私生まれたのここであってます?

今までいた道に頑張って戻るか、それなりに楽しいおかしな道に残るかを選択することになる。
私はいろいろ考えて今までいた道に戻ろう、と思った。
戻って、やり直したいから。
助かりたいから。
帰って、復讐しなければいけないから。
戻るために、誰かに私は手を引いてもらわなければならなかった。

そして幸運なことに手は偶然伸びて来て、私を前髪をガガッと引っ掴んでくれたのだった。

<on the 岐路>

おかしな道から引きずり出してもらって、気がつくと私はフィリピンのミンダナオ島の、
電気も水道もまともにない村に来ていた。
変わる時、その瞬間。
私は結構ワクワクしていたらしい。
その時の日記は、ルンルンポエムが炸裂している。

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さて、しばらく遊園地のアトラクションは遠慮したいほどの悪路を、舌を噛みながら数時間。 
四駆じゃないと絶対進めない凸凹道。 
雨が降れば土砂崩れ。
開けた山々の眺めは素晴らしい。
(妖精に連れていかれるから、山が綺麗とか言ってはダメらしい。)
 
 
村に着くと、子どもたちがじーーっと見つめてくる。 
私たちは異星人に見えるよね。 
村から出たこともない人が殆どとのこと。
 
 
ここでは電気も上下水道の設備もない。 
ほぼ自給自足で、塩や白いお米も高級品だ。
私たちが宿泊した二つの家庭では、鶏肉とコメを出してくれたが、
これは年に数回しか出ないもので、わざわざ飼っている鶏をしめてくれた。 
おもてなし……。
子どもたちはキャッサバ(芋)や甘くないバナナを蒸しただけのご飯だった。
 
 
村の朝は5時頃始まり、8時か9時には寝る。
竹でできた簡素な高床式の家。
モノは殆どない。 
家ごと燃やしても残るのは鍋くらいだろう。 
布団もないので床で寝る。
夜中に手の上にネズミが落ちてきた。
何かわからない虫にかまれて、右手がパンパンに腫れた。
そこら辺にいる犬を撫でようと思ったら村人に全力で止められた。
「噛むし汚いし後でそいつ食べるから!」
あひるは子どもが叩いて遊ぶもの。
猫はしっぽふんずけて遊ぶもの。
 
みんな笑う。
 
夕食はロウソクの明かり一つで、暗すぎる。 
正直何を食べているんだかわからない。
基本はおかず一品にご飯のみ。
味付けは塩だけだが、なぜか美味しい。
風呂は水も貴重だから、たまには入るのだろうが、シャンプーなどももちろんない。
 
村人はシャイだし、英語も通じない人が多いが何も気にしない。 
目が合ったら微笑めば良い。 
他人と自分の境目があまりない、共同体としての意識。 
おそらく日本でも70歳以上の人なら体験したであろう、
町や人々に繋がりがあった時代がここではずっと続いている。
東京で若者が感じることは殆どない意識。
誰が指図するでもなく、家事、育児がこなされていく。 
立って歩いて言葉がわかるなら、2歳くらいの子どもから何か家事をする。
それは「うちの子」「よその子」は関係がない。 
赤ちゃんはみんなが代わる代わる抱っこして、枝に布を巻きつけただけのゆりかごを揺らす。
(赤ちゃんはほんとに泣かない。夜泣き、ムダ泣きもない。
というよりみんながずっと構っているので、泣いて注意を引く必要がないのかもしれない)
 
 
村のどこを見ても物質的に貧しいが、村人の半分以上が子どもで凄く賑やかだ。 
そしてなによりのびのび、自由に育っている。 
「何々しなさい!ちゃんとしなさい!泥がついたら誰が洗うの!」みたいに叱る母親は皆無。 
怒ることがまずない。 
むしろ母親とはオマケでついてきた肩書きなのかもしれない。
村の人たちみんなが面倒を見ているし、その中で子どもは勝手に育っていくといったほうが正しい。
 
日本と何もかも違う。
私の細胞の一つひとつが、エネルギーで満たされていくのがわかる。
日が昇れば起き、
日が落ちれば寝て、粗食、1日にすべきことはほとんどなく、
薪をくべて米を炊き、お湯を沸かしてコーヒーを入れたり、
洗濯物を足でふみながらお喋りしたり。 
テープが擦り切れるほど聞いていると思われる、なぞのフィリピンポップスを家族で聴いたり。 
10人家族で八畳の部屋でねたり。
初めてだけれど懐かしさを感じた、
原始的な村から1ヶ月のフィリピン生活が始まる。 

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数ヶ月の絶食に耐えたシロクマが、脂の乗った魚をもぐもぐするような、
誰にも否定できない幸福感が、
たくさんを失った私にも訪れていたのだった。

でも、もうすぐ雷雲が来るんだけれどね。