弱者の品格ー凹み方編ー

第34期(2017年8月-9月)

たかだまなみです。
ようこそ私のアパートメントへ。
多少、悪趣味なアートを飾っていますが、どうぞどうぞ中へどうぞ。
ドリンクに氷を入れて平気ですか?

この夏はというと、29年間の岐路を振り返っていますが、実はあんまり気持ちの良い作業でもないんです。
思い出したくないことは、汚れて手入れの必要な靴みたいに、いつまでも放置されがちだし、
例にも漏れず私も長いこと放ってきたんです。

否、放ってきたというよりは……。
私の心の中には真っ黒な……ゴミ袋があるんです。
ええ、もっと綺麗なものが良かったんですけど。え、あなたにもある?

いらない思い出をそこに詰め込むと、不思議なことに何があったのか思い出せなくなります。
黒いゴミ袋だから、私も何が入っているかわからなくなるし、
カラスだってつつくことはできないでしょう?
黒いゴミ袋は完璧です。

私の意志でゴミ袋に思い出を詰め込むのではなく、
その嫌な思い出があることでこの先、生きることが困難だと身体が判断すれば、自動的にゴミ袋行きという訳なんです。
生ゴミ系思い出なので、悪臭を放たないと良いんですが、
一度ゴミ袋に入れちゃったら怖くて中をチェックできません。

でも、この夏は思い切って袋を整理したいと思います。
勇気を出して、触ってみようと思います。

そうそう、私がどうしても言いたいことがあってね。
はい、「どうしても」です。
それは嫌な思い出を、悲しみを、「負」というラベルを貼るのをやめませんか、ってことなんです。
あは、自分に言っているんですけどネ。

悲しみは海のとんでもなく深いところで固められ、
一生、光を見ることなく終わるであろう石になります。

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日の目を見ることのない石は、言葉では説明できない力を持つようになります。
それは表面の波風で削られた、”見た目の良い”石とは違います。
ゴツゴツして、お世辞にも綺麗とは言えず、荒々しく、狂気を秘めている。
そして優しさがある。
いや、優しさだと少し軽い。
慈しみと言うべきか。

そして石は引力を持ち始めます。
そうそう、これが魅力の素になるんですよね。
どこかの安く雇われたライターが書いた”あなたの魅力をパワーアップさせる術”なんてハリボテのテクニック、正直クソですよ。

その石は持てる者にしか持てない、と選民思想の一部として考えても良いですが、
隕石と同じで「誰にでもどんな角度からも悲しみ槍は飛んで来ている」と思っています。
要は槍の受け止め方なんですよね。
しっかり受け止めることで不思議な引力のある石ができたり、
逃げまくって後で法外なレベルの槍を食らうことになったりします。

神様的な人はドSなんで、
「お?こいつのココを突くとどうなるんだ?」と常に刺せるところを、
あらゆる方向から狙っているんじゃないでしょうか。
キヤーーーー!神様のエッチ!

引力のある石、魅力ある人。
発生条件は「負の」思い出です。
だから今苦しんでいても、悲しくても大丈夫。
魅力があなたに取り憑いた。
そういうことです。

えーと何でしたっけ、そうだそうそう。
岐路の話でした。
それではまたフィリピンはミンダナオ島に参りましょう。

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<前回までのあらすじ>

生きていると事故や災害、予想外の事態に見舞われる。
ヒトは簡単に死ぬし、死のうとするし、意外に生き残ったりする。
私は生きたいと死にたいのhalf-and-halfだったが、
1パーセントくらい生きたいが勝ち、”助かるために”道を探しているのだった。

そんな時、突然ミンダナオ島に行くことになる。
電気も水道もない、山中の村でポエムを詠んで楽しんだ。
そのあとは孤児院に1ヶ月半ほど滞在する。
下記は、当時の日記の抜粋である。

<ミンダナオ子ども図書館に行く>

ここに暮らすのは、戦争孤児や崩壊家庭で帰る家がなかったり、極貧で食べられず学校にも行けない子どもたち。
学費の援助のみの奨学生を合わせると膨大な数だが、暮らしを共にしているのは80人くらい。
いわゆる孤児院なのだが、創設者の松居さんはもともと孤児院をつくろうと考えたわけではなく、
絵本の読み聞かせで子どもたちに笑顔になってもらいたいとの思いでここを始めた。
今も絵本を中心に子どもたちだけでなく、
戦地となって取り残された村の人々にも読み聞かせを通して繋がりをつくっている。
命がいくつあっても足りない……。

ミンダナオ島での毎日はとてもすこやかで、怒ったり、焦ったりするようなことは一つもない。
すべてがゆるい。

朝焼けを拝めるよう5時に起き、明日の朝焼けのために9時に寝る。
フィリピンといえど標高の高い場所に居るので、長袖長ズボンでも寒い。
なのにシャワーは水。
最初は震えあがっていたけれど、今は頭からさっさとかぶれる。南無!
トイレはもちろんインド式。
様式トイレに便座はないけど、な、なんてことない。
 
さて。
ここにきて驚いたのは子どもたちの明るさや、素直さ、強さに圧倒されて浮き彫りになった私の心の壁のほうだった。 
まったく心が開かない。 
自分の指では届かないくらい深いところにその扉はあるし、眩しいものに怖気付いている。
 
東京で暮らしている間、
私はコミュニケーションは得意なほうだと思っていた。
物怖じしないし、シャイではない。
みんなが良く知るまなちゃんは、ある意味ではとても硬く閉ざされて歪んでいたのです。
笑顔だけど笑顔じゃない。
元気だけど元気じゃない。
健康な精神と粗食と広い空の下で、ハッキリと、明確にわかってしまった。 
 
親を目の前で殺されたり、
虐待されてきた子どもたちと、
わずかでも影の部分が一致して分かりあえるような気がしていた。 
(全くそんなことはなかったし、そこは重要ではなかった。)
 
 
今、ここに生きて居て三食食べられ、沢山のともだちがいて、
パパトモ(松居さん)やハウスペアレント(ダディー、マミーと呼ばれる住み込みの親役)がいて学校に行ける。
夢がある。
笑える強さがある。
天国はまさに彼らのものだった。 
 
この天国に近い場所で、鍵を失くして家に入れない、核家族の一人っ子になった気分だった。
細胞壁を溶かされて、中身が全部出てしまいそうで、吸収されそうな気分になって、ぐちゃぐちゃで。
どうして良いかわからなくなった27歳の日本人の私。
保てない。すっぴんの私では。
 
 
なにをすべきなのかなにをしたいのかんがえることはたくさんありでもまずはこのかんじょうをせいりしなくては。。。
と、3日ほど目眩とともに過ごしていたら風邪を引いて寝込んで。。。
はぁ、思ってたより色々と気持ちの面では重労働になりそうだな。。。
と、竹のベッドに横たわって数日を過ごした。
 
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石を持たざる弱者。
引力を知らぬ者。
若さやインスタントな笑顔で誤魔化して、何とか生き抜けていたのは日本の東京の話。
ハリボテなワザが一切通用しないとき、本当の意味で私は孤独なのだった。

<続く>