冷凍された明け方

第34期(2017年8月-9月)

おはようございます、こんな朝早くに会うなんて奇遇ですね。
ええ実は私、朝型なんですよ。
ほら、朝起きると得した気分になるじゃないですか。
だから私のアパートメントからお散歩に来たんです。

うす暗い朝って、冷凍庫を思い出しませんか。
ひんやりしてて、みんな黙りこくって。

それにしても、朝と夕の光って絶対に間違えないですよね。
太陽の角度は一緒で、西か東にいるかの違いなのに
なんでこんなに違うんですかね?不思議。

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<前回までのあらすじ>

人生大ゴケして、生活保護レベルの弱者になっていた私。
その後、縁があってフィリピンのミンダナオ島の孤児院に滞在します。
失ったものが多い戦争孤児達と、何か分かり合えるものがある気がしていたけれど、
まったく逆でした。
むしろ圧倒的な明るさ、強さ、たくましさに、孤独を覚えてメンタル不調になってしまいます。
今回はそこからどう立ち上がっていったか、話してみます。

今日も絶賛、時間泥棒。
あなたの役には立てないけど、
無駄が大事というじゃありませんか。

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物質のあらゆるものが不足しているのに、人々は笑顔。
子供はわんさかいて、賑やかだけど大人は決して声を荒げたりしない。
兄弟が下の子の面倒を見るし、子供はうちの子よその子関係なく扱われる。
子育て鬱?
そんなものがあるなら、こんなにたくさん子供を産んだりはしないでしょう。

日本は世界でも類を見ないほどに発展していて、美味しいものに溢れ、便利に暮らしている。
でも、自殺や引きこもりは多いし、精神の調子が良くないと言いながら出社する人も溢れている。

一体何が起きているのか。
貧困と豊かさの国の、幸福感の逆転現象は無視できない。
自分さえよければ良いと、心の貧しさがモノを増やしていく人もいれば、
感のいい若者の一部には、意識的にモノの所有を手放し、
わざわざ離島に住み、狩猟や農業を中心に生きる人もいる。

例えば便利さのため、
人間が働かなくても良い時代のためにコンピューターは作られたというが、
IT関係の仕事に従事する人の自殺や鬱発症率は高い。
いつの時代も(例えばダムや道路の建設に)少なくない人の命が犠牲になってきた。
それが仕方がないというなら、なんともやるせない世の中だ。

ともかく、物質的に貧しい状況にある人たちの幸福な暮らしに、混乱せざるを得なかった。
今まで信じてきた常識ーこれが普通だ、当たり前だ、みんな我慢してやっているーことが陳腐なものに見えた。
どれだけ私を社会に合わせようと押し込めて、無理をして来たのか。
そしてこの平和な島にいては想像しがたい、
電車に揺られて頑張って働いているサラリーマンのことを思い、敬礼してみた。

人は180度なら変わることができるということ。
ちょっとだけ変わるのは、意外と難しい。
まるで違う新しい人生なら、
劇的な考え方のシフトで案外さらっとできてしまう。

そんなわけで、
私は無駄に意識の高かった日々に戻ることはないし、
2017年風に言えば「自分ファーストで」生きようと思った。
無理して働かない。
無理して付き合わない。
〜〜すべき、〜〜しなくてはいけないと呪いをかけていた一切とまでは言わないけれど、
いくつかの呪いを解くことができた。

下記は当時の日記だ。

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悶々としているとはいえ、
毎日フィリピン流のご飯、水浴び、遊び、うた、お祈りなどをして楽しく過ごしている。
 
本当にここはフリーダム。
 
誰も怒らない。
誰も、
何に対しても怒らないのだから、フリーダム。
全てがテキトー。
日本では3秒で怒られるような、行儀の悪い行為も、
道路交通法を完璧に無視した乗車スタイルも全部ゆるされる。
笑顔で鼻くそをほじり、何食わぬ顔で私の足に落として、
その手で私のケータイをスクロールしてもオールオッケー!!
 
<ここは自由の国?>
 
日本では何であんなに怒られてきたんだろう、と不思議に思うくらいだ。
怒っても怒らなくても変わらない、
一銭の得にもならないことで一時間怒られたりする。
「そこはすみませんじゃなくて、『申し訳ございません』だろう!!」みたいなこと。
 
機嫌で怒りをぶつけてきたり、パワハラ野郎も多い。
 
 
私に限らず、家でも学校でも、うるさいだの行儀が悪いだの、
細かいことで誰でも何かと怒られてきたんじゃないだろうか。
細かすぎだよ日本人、と小さい頃から思ってきた。 
だから、とてもここは心地よい。

誰も自己責任だとか自業自得だとも言わないのが良い。
失敗は笑ってくれるし、
揚げ足をとったりしない。
だから失敗されるのも許すし、自分の失敗も許される前提で動ける。

<怒りの国?>
 
東京では誰かの怒りを見ない日はない。
空気全体がピリリとして、
早くこんな1日よ終われと言わんばかりにどんどん時計は進んでゆく。
 
 
ぶらさがるマンゴーが、風にゆらゆら揺れるのを眺めながら、
怒る必要なんてどこにもない、
ぜんぶゆるせばいいということに凄くホッとした自分がいた。
怒るよりゆるすほうがずっと良い。
揺れていれば良い。
どうせこの世には明確な善悪はないのだから。
世界共通の常識もないのだから。
 
<自己よ、さようなら>
 
化粧もしないし(一回化粧道具を子どもたちに見せたら、もうぐちゃぐちゃに使われまくったのもあるが笑)
鏡もみない。(というかそもそも鏡がない。。。)
着る服は昨日の雨で濡れたので、一昨日と同じ服。
私のナルシシズムは最小限に抑えられている。
「私の方があの娘より可愛い?」なんて微塵も比べたりしない。

自我はとても小さくなり、
自分について考えなくなる。
なにも気にしない。

精神が整った!

はたと気づく。
おお!私ここに馴染んできた!
 
 
ビサヤ語も少しずつ覚えてきたし、
子どもたちと遊ぶことにも慣れてきた。

<心は開かなくていい>

心をどう開こうなんて考えて開くものなら、カウンセラーはいらないのだ。
ただ感じる儘にしている。 
そこにただよう。 
同じようにしている。 
一緒に笑う。
 
 
他人をゆるしてないから、
自分に対してもゆるすことができずに壁をつくり出していたのかな。 
いや、反対かな。

壁の成分のひとつに「ゆるせない」という気持ちがあることがわかり、
今その壁を壊せた。
 
がしゃん。
 
いいなあ、清々しいなあ。

側では子どもが賑やかに唄っている。

希望の歌だ。

こんな朝が毎日毎日、私の一生が終わるまで来たらいい。
そうしたら私はここが天国だと思って死ぬかもしれない。

<続く>