金色の此岸〜希望と復讐の彼岸から〜

第34期(2017年8月-9月)

ようこそ、ようこそ。
私のアパートメントへ。
ひと夏と少しの秋の思い出をダンボールに詰めて、明日私はこの部屋を出て行きます。
(そして例のごとく、ダンボールに仕舞い込まれたモノは今後、開封されないでしょう。)

この部屋では私語りとして「岐路」を振り返りました。
岐路を考えることは、自分の構成物を考えることです。
構成物を見るということは、これからのことを想像することでもあります。

最後のお話も、あなたの役には立ちそうもありません。
ポエムが役に立つかは、あなた次第なのです。
でも、いつでも(特にあなたが暗い気持ちになるような夜に)ここに戻ってきて欲しい。
私の爆発を再現したこの部屋に戻ってきて欲しい。
ヒトが救われる条件はそんなに多くありません。

一人じゃないと思えたとき。
誰かにじぶんの傷を包んでもらったとき。
他人の不幸話にホッと思えたとき。
 
……。
オイ。

黒歴史を飛び散らす、私の惨劇を見にきて欲しい。
墨を吐きつけて、全速力で逃げていくヤボなタコのように。
ヤボでみっともない姿を笑ってくれたら嬉しい。
幸せになることが、人生の目的じゃない。
幸せな状態はデフォルトじゃない。

多少不幸でも、泥だらけでも、生きているから進んでいく。
意味なんてなくて、息をしているから生きる。
この部屋のコンクリートむき出しの壁、みたいでしょ?

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<旅してよかった>

生まれ育った田舎では、居心地が悪かった。
悪かった、と冷たく言い放つほどでもないかもしれないけれど、
田舎に長くいると身体の内側がムズムズしてくる。

誰だって、自分が最適化されるところに居続けたいと思う。
ここに居て良いのか。
自分の輝ける場所はここなのか、いつも問いかけている。

私は田舎がムズムズする。
井の中のカワズは、東京であるいはフィリピンのミンダナオ島で世界の広さを知った。
旅をしても、くだらない人はくだらないけれど、
変わりたいと願う人の旅は案外バカにできない。

自分は探すものではなく、
近すぎて見えないものに、ただ気がつくかどうか、の問題。
素直になるか、感性を研ぎ澄ますか、客観性を持って見ることができるかだ。

環境を変えるとパワーがみなぎる。
異国の食事、異国の水、異国の空気、異国の人々から熱を受けると、
心の上に溜まっていた砂が吹き飛ばされて、原石が見えて来る。

居心地が悪いなら、その場所、捨てちゃえば?
心はきっと、旅を求めている。
 

<快感物質>

ミンダナオ島の孤児院での会話の一コマ。

私がケータイで撮影した写真や動画を、子供達は見たくて見たくてしょうがない。
「これ、まな姉のボーイフレンド?」
「お父さんやお母さんはどれ?」
「この花火すっご〜〜〜い!!!見たことないよ、こんなの。ほんものの宝石みたい……。」
……。
 
 
 
「私をモデルみたいに撮影して!!」
 
 
 

結果、私の写真ライブラリは、子供達の撮影会で全容量使われてしまった。
物質は最低限だ。
化粧用のコンパクトや、全身鏡があるわけではないし、
カメラを持っていない家庭がほとんどで、写真をほとんど撮られてこなかった彼女たち。
「私ってこんななんだ!」
私を意識する瞬間は快感だ。

それまでは意識したこともなかったが、自撮りは快感らしい。
私たちは当たり前のように小さい頃からカメラを向けられるし、
プリクラやケータイの自撮りを覚えていた。

「私」に「私だけに」注目が集まることは快感。
ナルシシズムをくすぐられるのは、キモチイイ。
赤ちゃんの頃から、私たちはあんまり変わっていないのかもしれない。

それが良いとか悪い、と決めることはできないけれど、
なんとなく、子どもたちにはあまりケータイを渡さない方が良い気がした。

「私を見て!」という気持ちはきっと小さい頃に満たされて、
ある程度薄くなっていくのがベストなのかもしれないが、こじれている人もいる。
「私なんてモテない」
「俺なんてダメな人間だ」

人間って、赤ちゃんの時と同じように、大人になっても手のかかる生き物なのでしょうか?
 
 

<彼岸花の咲くアパートメントにさようなら>
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隣の芝生は青いので、他人と比べてしまい死にたくなることがある。
もう何もしなくて良いんだ、楽だなあと思う。
私は鬱など診断されたことはないが、たまには誰だってこんなことを考えるだろう。

彼岸に憧れていた20代。
自分の子供を失ったことで、急速に色褪せていった。

人は意味もない行動や現象を重ね合わせて「運命だ」とか「運がなかった」と言いたがる。
生きていることも、意味がないことばかりでうんざりする。

だからこそ。

私はこの世に意味をつける。
ああ、絶対に復讐してやるんだ、と。

そんなの健全じゃない!
もっと優しい心で!
君は大丈夫だ!
生きていればなんとかなるさ!
 
 

という優しい人たちの言葉をぐちゃぐちゃに踏みつけて。

でもこの世界に意味づけしたら、
此岸が光り始めた。
それはそれはもう、今までになかったくらいに。
渡りかけた川を戻る。
(不思議と水音のしない川なのだ) 
 
 

幸せになることが、人生の目的じゃない。
幸せな状態はデフォルトじゃない。
 
 

……そうか、私は幸せになるという目的のためには生きることができないんだ。

 
 
 
 
 
 
 
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アパートメントの一階には本当に小さな庭がある。
9月。
彼岸花が咲いている。

私は砂漠から歩いてやってきた。
誰の役にも立たない歌を歌うために。
(でも誰かの役に立ちたいために)