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2F/当番ノート

プロポーズと内省 (1月22日から1週間のこと)

当番ノート 第37期

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1月22日(月)

朝イチで猫の病院に行く。病院に向かう途中で、ペルシャ婦人とすれ違った。ペルシャ婦人も猫を連れていて、通院の帰りらしい。高めのか細い声で「何かあったら言うのよ」と言ってくれるペルシャ猫に似た品の良い夫人はジブリ感がある。

ペルシャ婦人が紹介してくれた病院で診察を待つ。クールな女医さんが出てきて、くしゃみちゃんを撫でると、くしゃみちゃんはゴロゴロ言い始めた。「あーっ、これ!このゴロゴロ肺気腫とかですか?」と聞く前に「ご機嫌ね~」と先生。肺気腫かと思って心配して損をした。

体は小さいけれど10歳、人間で言うところの60歳ちかくらしい。「人懐っこいので飼われていた猫だと思うけれど、届も出ていないし、捨てられたのかな」と先生。胸が痛む。

みいちゃんを連れて帰ってきて、記事を数本納品して、業務委託先の会議へ。大雪警報が出ていた日で、小田急線がすでに遅延。不穏な雰囲気。インスタのストーリーも各地の雪模様だらけ。みんな好きな趣味を好き勝手好きでいられるようになって、みんなが同じものに熱狂できることなんて、もう雪くらいなんじゃないのと思う。

結局、天候の悪化で会議は中止に。代々木から渋谷までの山手線はほぼ通常運転で余裕だなと思っていたら、渋谷駅からのバスも電車も長すぎる列ができていて乗れない。駅から人がはみ出ているのを見て「収容」という文字が思い浮かんだ。街のビルが全部箱に見えてくる。仕方がないので歩くことにした。渋谷駅から下北沢と三軒茶屋の間まで歩いて40分くらい。

傘もささずに歩いていると、雪が溶けて髪の毛が凍り、さすがに堪える。高校生のころはマイナス20度の中、バス停から学校までの道のりを30分ほど歩いて通っていた。こんなクソ寒くてつまらない街なんか早く出てやると思って、出た。わたしにとって雪は愛も憎しみもが抱き合わせになった思い出の象徴だ。

寒い中、死にそうになりながらドアをノックして、恋人さんに雪崩こもうとすると恋人さんは悲鳴を上げていた。それから「寒かったでしょ、バカじゃないの」と怒られた。心配してくれているのだろうけれど、早く帰ってきたかったから頑張って歩いたのにな、と思った。

恋人さんはカレーを作ってくれておいしくいただいたけど、夜寝る前になって帰ってきたての悲しかった気持ちを思い出して1分だけ泣いて、正座をして恋人さんに向き直って話をした。感情はどうしたって感情なので、外に出して、その後に理性で話し合うのが1番良い。

何を話したか忘れたけれど、お互いに改善点を挙げて、眠った。理性と感情の、2つのタイヤを大事にして、うまくやっていきたい。

1月23日(火)

子育てをしているお友達から急きょお誘いがあり、シェアハウス暮らしをしているご夫婦と生後6カ月の娘さんを訪ねることになった。自然に囲まれた一軒家、年齢も性別もバックグラウンドもバラバラの6人が住んでいるらしい。築40年と言っていたけれど、インテリアがうまく馴染んでいるせいか、かえってオシャレに仕上げたのではないかと思われるほどで、居心地が良い。

何でも開けばいいという話ではないが、外に開いている家族は風通しが良い心地よさがある。

お子を抱かせてもらう。猫と一緒にするのは申し訳ないけれど、みいちゃんを毎日抱いているせいか、お子の小さな動きに敏感になれている気がする。

わたしはお子を産むのかな。

遺伝子がほしいと思っていた気持ちは本当だけれど、それとは別軸の話で恋愛で脳がバグっていた節もあるし、今の気持ちはわからない。

大家さんから携帯に電話があり、何事かと思って家を訪ねると、居間にあげてくれて猫のエサをくれた。ペルシャ婦人から話を聞いたらしい。大家さんも猫を2匹飼っているらしく、猫の飼い方をいろいろと教えてくれた。

LINEを交換して、平日の昼間にお茶を飲みに行く約束までしてしまった。猫を介してのネコミュニケーション。

寒かったので鍋を食べた。
白菜よりも豚肉が先になくなった。

1月24日(水)

年始からずっと体調が悪くて鼻水だけしつこく続いていると思ったら、また喉が痛くなってきたので病院に行った。花粉症かもしれないとのこと。いよいよデビューかな、嫌だな。

帰ってきてみいちゃんと遊ぶ。ヒーターの前に座っていると、おろしてもおろしてもみいちゃんが膝に乗ってくる。かわいい。

昔、好きな人のことが本当に好きすぎて、だけど絶対にわたしの手の中にいる相手でもないので、囲おうとして月に10万円くらいずつ貯めて、10年後に1,000万円で彼を買おうとしていた頭のおかしな時期があったけれど、世話するだけなら人間より猫のほうがよっぽど気楽でいい。猫を軽く見ているわけではなく、だけど猫相手のコミュニケーションのほうがわかりやすくていい。人間相手のコミュニケーションは、相手が男でも女でも大変だ。

今週の納期をひととおり終えて、コラムをようやく書けるぞ、と思ったとき、恋人さんがみいちゃんを踏んでしまった。体が冷えていくみたいな感じがした。

恋人さんはみいちゃんにもわたしにも申し訳なさそうに謝っていたし、責めてはいけないと思ったのだけど、わたしたちをできるだけ避けて歩くみいちゃんを見ていると、恋人さんにイライラしてきてしまうのと悲しいのとで、辛すぎて眠った。

22時に友人の相談にのる約束をしていたので、一度起きて電話をする。友人にわたしなりにアドバイスをしたら元気になったみたいで、声を聞いて安心して、電話を切って、落ち込みの続きをやる。

落ち込み過ぎて、猫を飼っている知り合いの人に「猫踏んじゃったことありますか?」というバカみたいなメールを送る。「あるよ、ごめんごめんって感じだよね。すぐ忘れてくれるから大丈夫だよ」と気の抜けた返事が来て、思わず笑ってしまう。

とは言え、みいちゃんはまだ怒っていて、仕方のないことだけれど、みいちゃんを踏んでしまった恋人さんに腹が立って仕方なくなってきた。そういえば恋人さんはあまり結婚の準備を進めていない。友達が何の気なしに言う「入籍はいつなの?」が積もり積もって不安になってくる。

イライラと不安がいっしょくたになって「しんどかったり面倒くさかったりするなら結婚やめよう」と言ったら、「そんなことない、明日やるから」と恋人さん。破談の危機、一言で解決。

最近は理由もなく不安になることが多い。もしかしたらこれがマリッジブルーというやつなのかな。一人前にマリッジブルーをやってしまっているのも嫌だ。だって別に「一生一緒に添い遂げます」みたいな重い結婚ではなく、あくまで“機能を利用”するはずだったのに、何となく「結婚」のイメージに囚われている。嫌だな。恋人さんには申し訳ないけれど、その日は何となく背中を向けて眠った。

1月25日(木)

今シーズン1番の冷え込みなのではないかというほど寒くて布団から出られなかった。毎日出られないのだけど、今シーズン1番の冷え込みとか言うと、もっともらしい言い訳になるから毎日どんどん寒くなってほしい。恋人さんがお茶を淹れてくれるというので、ガラスポットであたたまって体温を上げる。みいちゃんはまだ怒っているみたいで、膝に乗せてもすぐに逃げてしまう。かなしい。

近所のパン屋さんに行く。ペルシャ婦人とすれ違う。今日も猫ちゃんのお注射らしい。そして夫人は今日も高貴だ。恋人さんはポテトピザみたいなパンとピーナツバターにくるみが乗ったようなパンを、わたしはサーモンのサンドイッチといちじくのマフィンを買った。お昼に残しておこうと思ったのに全部食べてしまった。恋人さんはピザのうえにゴロゴロのじゃがいもが盛られたポテトピザみたいなパンを見て、「これはポテトピザというよりもポテト」と言った。

原稿仕事をしていると、暖房の前でみいちゃんが寝ていた。と思ったら、その横で恋人さんが丸くなって寝ていた。首振りヒーターの可動域を1人と1匹が占領する。人でも動物でも生き物の気配とか寝息がするのは良い。数年前に病気をしたときは1人で眠れなくて「人の寝息を聴きたい」とお友達のご実家にお邪魔したこともあった。

恋人さんはちょっと具合が良くなかったみたいだ。そろそろ起きなきゃ、とか言って何度もゆすったりして悪かったな。ごめんね。送り出して原稿をして、大学時代の同期の女の子と新大久保でチーズタッカルビを食べに行った。その前にビックカメラで電気毛布を買う。エアコン付きだと思って入居してみたら、リモコンに「冷房」と「ハイパー冷房」しかないクーラーだったので、春までの生活がけっこうつらい。小さい電気ストーブをもう1個買ってもいいけれど、電気代が気になるので、電気毛布。電気毛布なら1日8時間つけっぱなしでも電気代が月200円程度。何というか、こういうの、生活って感じがする。

チーズタッカルビという言葉だけ知っていて、Twitterで見ている限りだと「女の子がイライラしたときにカロリーを気にせず食べるもの」という認識でいたので、おいしいに決まっている。豚のカルビをチーズフォンデュするような食べ物だと思っていたから、思っていたものとは違ったけれど、おいしかった。同期の女の子は仕事を辞めて、外国に行くらしい。

わたしは彼女のセンスが好きだったのだけど、会社の仕事を一生懸命にやっている彼女のセンスが仕事とか作品とかという形で日の目を浴びることがないことに勝手にやきもきしたこともあった。でも、外国に行ったら、彼女のセンスがちょっとでもそういう形で実を結ぶといいなと一ファンとして思った。余計なお世話だけど。うれしかった。

最寄り駅の改札を出ると、恋人さんが迎えに来てくれていた。いつまで続くかわからないけれど、大事にしてもらえるのはうれしい。うれしいけれど、慣れていないし、だから、けっこう怖い。

家に帰ってみいちゃんを膝の上に乗せてみたら、ゴロゴロと喉をならして、おろしてもおろしても膝に乗ってきた。嫌われていなくてよかった。

1月26日(金)

恋人さんと映画を見に行って、回るお寿司を食べて、喫茶店で作業をする。映画はファッションデザイナーのドキュメンタリーで、映像が美しかった。でも、特にドラマチックでもなく、ドキドキもしない、平らな記録映画という感じだったので、途中で3分くらい寝た。誘ってもらったのに悪いなと思っていたら、恋人さんも2分くらい寝たと言っていた。退屈な映画は安心できていい。

回るお寿司はわたしの行きつけで、新宿では珍しい150円均一だし、いつ行っても空いているから気に入っている。えんがわとサーモンとオニマヨサーモンと生げそと焼きサーモンとえんがわを食べた。恋人さんはのっけからカルパッチョ軍艦を食べていた。邪道だなと思いながら、ベルトコンベアを真剣に見つめた。

お寿司の後に行った喫茶店には、恋人さんのお友達という男の子が来てくれた。ここの店員はあか抜けないうえに無愛想で、変なメロンパフェを出していて、Wi-Fiもコンセントもあるから気に入っている。「婚約したんだ」と恋人さんはうれしそうに言っていて、そのお友達という人に「どうやって出会ったの?」と聞かれたので、わたしが被せ気味に「Twitter」と言うと、ドッキリしたような顔をしてからふき出していた。

「デキ婚?」とも聞かれた。付き合って1カ月で結婚すると言ったら、確かにそうも思うのかもしれない。子どもができたからと言って、必ずしも結婚する必要はないと思うけれど、そう短い期間で結婚する理由として子どもくらいしか思い当たらないのが一般的な感覚なのかもしれない。

ともかくも、恋人さんのお友達という人は、とても頭が良くて、人当たりのよい人だった。今度は彼を訪ねていきたい。

夜はお友達の作家さんが住んでいるおうちにお呼ばれして、鍋を食べた。着くなり、お通しと豚の角煮が出てきて、アットホームなバルにいる気分になった。

彼氏とはどうなの、と聞かれたので、「何かプロポーズのようなことをして、OKをもらったので結婚してみます」と言ったら、サラッと、おめでとうと言われた。

おめでとうと言ってもらえると、何だか急に不安になってくる。「うまくやれないかもしれないんですけど」という余計な言い訳をしたら「絶対にうまくやれると思っているほうが変だよ」と言われてホッとした。何回頭で言い聞かせても、結婚したら絶対にうまくやらなければならないと1番強く思っているのはわたしのほうなのかもしれない。

お土産にパルムを買っていったら、お呼ばれしていたもう1人のお友達もパルムを買っていてパルム被りした。4人で12本。遠慮しないで3本食べた。

1月27日(土)

寒くって1日中家にいた。
日記を書き忘れて覚えていません。

1月28日(日)

社会学者の先生と、結婚せずに子どもを産み育てている生き方を選んだ女性とトークイベントをする。「新しい家族」というのがメインテーマで、専門家である社会学者の先生に何でも質問させてもらえるということで、個人的な相談会のようになってしまった。

「まだ内緒にしてほしいのですが、何か、入籍することにしたんですけど」とトークイベントで言うと、来ていたお客さんに、おめでとうございます、と言ってもらって「あの、こういうとき、社会的な、いわゆる結婚のイメージとは違うんですけど、ということを説明したいときはどうしたらいいですか」と夏来さんが「まずは“入籍”という言葉を使わないほうがいいのでは」とアドバイスをくれた。

結婚というのはお互いの家族の籍から抜けて、新しい家族として籍を“つくる”ような形になるので、籍を“入れる”という表現のニュアンスはそもそも違うらしい(……と、聞いた気がしたのだけど、もしかして的確な表現でなかったらすみません)。

実際のところ、今回の結婚に踏み切れたのはその社会学者の先生に法律婚のメリットとして、「入院するときに家族として同意書が書ける(書いてもらえる)」、「自分にもしものことがあったら相手に連絡がいく」というのを聞いていたからというところは大きい。

「お話を聞いて、結婚って、自分に合う形でカスタマイズできるんだなって思われたら、救われたんですよね」と言ったら、「ののちゃんでもそうなのね、もう吹っ切れていたのかと思っていたよ」と笑ってくれた。

めちゃくちゃなことをたくさん言ってきたし(今でもそれは間違っていなかったと思うけれど)、そうやって外に発信しないと、自分を保てなかった。よく「自分が思うことを発信なんかしないで淡々とやればいいのに」と言う人がいるけれど、自分のことを強い言葉でさらけ出すことはできても、誰かの視線や意見を気にせずにノンストップで行動に移せるほどは強くない。ええー、って言う人もいるかもしれないけれど、わたしはある意味ではとても、規範意識の強い人間なのだと思う。

イベントの最後に「これは!カジュアルな結婚なので!」と強調したら、“カジュアル”なのに太字みたいに強調するのね、とイベントに来てくれていたお友達に笑われた。何かにつけて力みすぎる。ちょっぴり恥ずかしくなった。

夜はかねてから憧れていた女の子と、仕事ができる男の子のお友達が家に遊びに来てくれた。2人ともビジネスをやりながら自分のやりたいことを形にしていて、本当に尊敬をしている。

最近は引っ越ししたてで、ほとんど家飲みばかりしているけれど、家で遊べるのはそのくらいの距離感の人だけなので、家に呼べるかどうかで無意識にスクリーニングできるのがとてもいい。同じ人相手でも自分の健康状態が悪いときには呼べなかったりもするし、いかんせん自分の元気具合のバロメーターになる。

女の子のほうとはフェミニズムの話でとても盛り上がった。フェミニズムという言葉はとても広いし、立場やアプローチの違いで、女の人同士の戦争みたいになることも多くて、あんまりうっかり言葉を使うのは避けようと思うけれど、たぶん恐らくは、というか絶対に彼女の考えていることからすると彼女はフェミだし、わたしもわりとフェミだ。話を聞いていて、彼女のアプローチの仕方はわたしのやり方とは全然に違うけれど、彼女にしかできないとてもクールな方法だなと思ったし、思っていた以上に等身大で生きている女の子で、わたしは本当に、この子と仲良くなりたいなと思った。

男の子のほうとも体力というか馬力や考え方も全然に違うけれど、面倒見が良いところとか、将来を見通す高い視点とか、わたしにはないそういうところが本当にすごいなと思っている。

今まではけっこう自分と違う人とは距離を置いてきたのだけど、ここ半年ほどでだいぶ「違うけれど仲良くしたい」人が増えてきた気がする。それはわたしのほうの慣れもあるかもしれないけれど、やっぱり自分とは違ってもわたしの声に耳を傾けてくれる人が増えたんじゃないかなと思う。いずれにしても生きるのが楽になった。身近な人にめくじらを立てずにいられるのはヘルシーだと思う。

婚約した話もしてみた。Twitterで読んだ記事の感想に恋人さんがDMをくれたことで知り合ったこと、2週間で付き合って、1カ月で婚約をしたことなどを話すと、女の子のほうは「へぇ~、おもしろいね!自分が憧れていた人からそんなに短い間に告白もされて、プロポーズもされたら、その子超ハッピーじゃん!」と言ってくれた。男の子のほうは「2人が良ければ、いいんじゃないかな」と言って、少しだけ渋い顔をする。

恋人さんについていくつか聞かれたけれど、知らないことが多いことに気づく。「そういえばその辺りはよく知らないな」と言うと、その男の子のお友達は腕を組んだまま、とても心配そうな顔になって、その顔が“お父さん”みたいで面白くなって笑ってしまった。

そういえば、わたしは彼の血液型も知らない。

だけど、いいのだ。

2年ほどの間、とても深く深く愛していて、結婚を前提に付き合ってくれていた人であっても、その人が結婚していることを隠していることだってあるしね。

独身だったら、それ以外の小さな嘘や見えないところがあっても、全然いいやと思った。あとは借金がたくさんあるのを隠されていたら困るなというくらい。あとのことは、わりともう、どうだっていい。

2人はタクシーで帰っていった。Uberというものでタクシーを呼んでいて、Uberって食べ物だけじゃないんだ、と言うと、こっちが先のサービスだよ、と男の子。知らないことがたくさんあるなぁと思った。

興味の範囲が、どんどん絞られていく。
あとどのくらい生きられるのかわからないけれど、残った時間は全部、自由研究みたいなことに費やしたい。

佐々木ののか

佐々木ののか

書くことが生業。実体験をベースにした物語みたいなエッセイやインタビューを書きます。メインテーマは、家族と性愛。

Reviewed by
トナカイ

佐々木ののかさんの日記、2回目です。僕は毎週楽しみにしている連続ドラマを見るように、この連載を読んでいます。だからどうしても、内容について触れたくなってしまうので(いわゆる「ネタバレ」をしてしまうので)、もしこのレビューを読んでくださる方がいらっしゃいましたら、先に佐々木さんの日記をご覧になってからにしていただけるとたいへんにありがたく存じます…… 僕が今回、ぐっときたのは「感情はどうしたって感情なので、外に出して、その後に理性で話し合うのが1番良い。」というくだりです。もしもあなたが男性で、現在、女性と暮らしているのなら、この言葉を手帳に書いてたまに読み返すことをおすすめします。あなたは女性が「気持ち」を話しているのをさえぎって「理屈」を語ったりしていませんか?女性がじぶんの「気持ち」について、直接的にでも間接的にでも話しているようなときは、決して意見も述べず、さいごまで話を聞き終え、共感、もしくは慰めの言葉を伝えましょう。誰かとふたりで暮らしていると、現実的な問題がいろいろとあって、「気持ち」を後回しにしてしまいがちだと思いますが、ふたりの関係をさいごに支えるのは「気持ち」なのです… なんて。これはすべて、じぶんに言っています。自戒です。来週も楽しもだなあ。

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