入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

プロポーズと内省(2月5日から1週間のこと)

当番ノート 第37期

cover

2月5日(月)

朝10時から久しぶりのクライアントワークの取材で浜松町へ。そのクライアントさんとは何回かお仕事をさせてもらっていたのだけど、久しぶりにお目にかかるなぁと思って、考えてみたら1年ぶりだった。春みたいに温かい気候で薄着をしてきたのに、また数日後には大寒波が来るみたいですよと編集者さんが言う。この季節は本当に思わせぶりだ。

小さな店舗にお邪魔する取材だったのだけど、思ったよりもスペースが限られていてカウンター越しに立って取材することになってしまった。久しぶりの取材、というよりも久しぶりに恋人さん以外の人と話したから緊張してどもったり詰まったりしてしまったけれど、必要最低限のことは伺えたと思う。

浜松町での30分取材が終わると、お昼を挟んで14時から巣鴨で30分取材。巣鴨に早めに着いて、ファミレスでご飯を食べてすぐにさっきの取材の文字起こしをする。ファミレスを出ようと立ちあがった瞬間にぎっくり腰、というかヘルニアが再発してしまった。

15歳のときに病院に行ったら椎間板が潰れて30歳の腰だと言われたことがある。あれから同じペースで年を重ねたとすると、+15歳だから42歳。もう満足に中年。腰をかがめて歩く。

14時からは巣鴨でまた30分の取材。お店が繁盛しすぎて取材ができず、外で待つ。巻きで取材を終わらせる。途中、クライアントさんのクライアントさんが積極的にお話を聞いてくれていた。ちょうど聞きたかったことを聞いてくださっていたので助かったなぁと思いつつも、頭が混乱してしまった。そもそも同じ場所に2人以上人が集まると、あの人はあの人に対してどう思っているだとか、きっと今こんなことを感じて少し悲しかっただろうなとか、そういう情報がブワーっと入ってきて、頭の中が散らかってダメになる。同じように2人以上で質問をするタイプのインタビューもわたしには難しい。取材は無事に終わったけれど、何となく不安な気持ちで現場を出た。

業務委託先のオフィスで作業をしていたら、クライアントさんから電話が来る。クライアントさんのクライアントさんがインタビュー中の私の様子を見て不安になってしまったらしく、過去のインタビュー実績を送ってもらえませんか、という内容だった。ライターを2年半やっていて、こんなことは初めてで、気がだいぶ動転して落ちこんでしまった。情けないし、申し訳ない。もう、ライター失格かも。

ライター失格だと思ったことは数カ月前にもあって、編集者さんがインタビューの申し入れをしたときにライターがわたしだということをお伝えしたら断られてしまった、ということがあった。ほかにもnoteで書いた記事が原因で、公開直前にクレジットが削除されることになったことだとか、本名で表現することとライターの両立は難しいなと思ってはきたけれど、今回のは新しいパターンだし、いよいよという感じ。会社には勤められないし、どうやって生きていこうかな、収入。

その案件は今週また何度かあるということで、明日にもう1回、Skypeで打ち合わせをすることになったけれど、何も手につかない。家に帰って恋人さんに話を聞いてもらうけれど、恋人さんのあいづちも、かけてくれた言葉も全然頭に入ってこないので、もう寝ることにした。腰も痛くて、足を一歩ずつ前に進めるのがやっとだ。憂鬱、早く過ぎ去らないかな。

2月6日(火)

腰から下を引きずるようにして起き上がると、恋人さんが朝ごはんをつくってくれていた。たぶん焼いたのであろうアボガドが、炒飯用の中華皿に乗って運ばれてくる。ひとくち食べると、「!!!」という味がして、夢中になって無言でパクパクと食べた。

味付けを聞いてみたら、わさび醤油にマヨネーズをかけたらしい。アボガド刺は好きだし、アボガドとわさび醤油との相性の良さはピカイチなのだということは知っていたけれど、それにマヨネーズをかけて焼くなんて思いもつかなかった。天才!

誰かと暮らすと新しい味とか習慣とかが取り入れられて、世界が勝手に広がっていくのがおもしろい。同じようにわたしの知っている味とか習慣も一緒に暮らす人の世界に食い込んで、混ざり合っていく。1年くらい前に少しだけ女の人と一緒に暮らしていたことがあったのだけど、ほんの少ししか一緒に住んでいないのにお別れしてからも、ご飯のときにお茶を淹れる習慣とか彼女の考え方とかが体に染みついていて、それを彼女に伝えたら彼女も同じことを言っていて、少しの間でも一緒に暮らした人は、心の中に住みついてしまうのだと思った。縁起でもないけれど、もしも恋人さんとお別れをしたとしても、わたしの中には小さな恋人さんが住んでしまうし、恋人さんの中には小さなわたしが住んでしまうし、そのことで寂しくなかったり、余計に寂しくなってしまったりするのだろうな。

そんなことを思っていたら、わたしはまた、恋人さんが一生懸命に話すのに気づかずにぼーっとしてしまっていたらしい。アボガドにわさび醤油とマヨネーズをかけて焼いたもののは中華皿から消えていた。

そのあとに、みいちゃんを病院に連れていく。くしゃみは出なくなったけれど、ワクチンを打たなきゃいけなくなったからだ。月末に恋人さんと2人で実家のある北海道に行くことになって、みいちゃんをペットホテルに預けるのだけど、ペットホテルに預けるにはワクチンが必要らしい。2泊3日もみいちゃんを他人に預けるなんて不安すぎる。本当は北海道に連れていきたいけれど、実家には柴犬がいるし、北海道は寒いし、それはそれでストレスかもしれない。気は進まないけれど、ワクチン。とりあえず打っておこう。

みいちゃんはカゴに入れられるのがとても嫌いで、いつもごまかしごまかし無理やり入れてきたのだけど、今日という今日はダメみたいだった。時間もないので、毛布でぐるぐる巻きにして抱えて歩く。発情期なのか、人間の赤ちゃんみたいな声で鳴くので、道行く人がギョッとしてこちらを見てくる。視線が痛い。

病院が終わって、お昼過ぎに業務委託先の会議に出る。腰が痛いせいで、歩くのが遅くて5分遅刻。新しく入ってきたすごい人の提案により、主観に寄ったエロ要素がちょっぴり入った動画企画を出していいということになっていた。わたしはうれしくなって、挙手をして提案をした。会議に出ていた半分は爆笑、半分はドン引き。良い会社だなと思った。

例のSkype会議の直前、不安で気持ちがいっぱいになって、オフィスの非常階段に出て、ライターをやっている親友に電話する。過呼吸になりそうになりながら、時系列もバラバラに思ったことを話して、うんうん聞いてもらっていたら、気持ちが爆発して大泣きしてしまった。原因は別に仕事のことだけじゃないんだと思う。何だか最近、いろんなことが不安だ。

「とりあえず打ち合わせ頑張ってきなよ」と背中を押してもらい、Skype会議に。クライアントさんのクライアントさんは特にお怒りの様子ではなく、次の取材に向けて前向きな雰囲気でひとまずホッとした。次こそご心配させないように頑張るぞと思って、机の下で「押忍!」のポーズをした。

恋人さんの帰りが遅いと聞いていたので、みいちゃんにご飯をあげに1度家に帰る。それから代沢5丁目の王将のあたりで、編集者の先輩と待ち合わせ。

編集者の先輩がお気に入りのおでん屋さんに行ったら、定休日でもないのにシャッターが閉まっていて、先輩は静かに「悲しい」と言っていた。本当に悲しそうだった。

結局、ふらふらとさまよって、おいしいのにいつも空いているという肉バルに行った。肉厚しいたけのチーズ焼きが特においしくて、いつも空いているという理由があまりわからない。

先輩と話していても、ふわふわとオチのない話をしてしまって、何だかあまりうまく話せない感じがした。「何か最近うまく話せなくて、楽しくなかったらすみません」と謝ったら、「確かにいつもとは違う感じがするけれど、それで言うと、のんのんは今まで気を遣いすぎだったんだと思うし、自分が楽でいられる人とだけ会ってればいいよ」と言ってくれた。

おこがましいけれど、わたしはわたしと会った人に「楽しかった」と思ってほしくて、逆を言えば、わたし自身が楽しくなくても、相手が楽しいかどうかのほうが大事だった。これは別にいい人だという話ではなく、むしろ逆で、自分のほうが楽しくないと思うほうが相手が楽しくないと思うよりも楽だったからだ。

もちろん今でもわたしとの時間をつくってくれる人には楽しいと思って帰ってほしいと思うけれど、そのことでわたしがたくさん気を遣って疲れてしまうのは疲れるから嫌だなと今は思うし、そういうことにエネルギーを使えなくなった。仕事じゃなければ別にそれでいいと思った。

そのあともわたしはふわふわとした話をして、いい時間になって、バスに乗って先輩と帰った。何を話したか、あまり覚えていないけれど、楽で楽しかった。

最寄りのスーパーで半額になった、たらの芽のてんぷらを買って帰ると、恋人さんもタクシーで家の前にちょうど着いたところだった。

今日行ったお店の話を恋人さんにしようと思ったけれど、お店の名前が思い出せない。看板に大きく「肉」と書いてあったことだけは覚えていて、あの店がおいしいのにいつも空いているのは、みんな、店の名前が覚えられないからじゃないかなと思った。

みいちゃんのトイレに敷く猫砂がなくなりそうだと言ったら、恋人さんがAmazonだと1袋あたり100円くらい安いよと教えてくれたので、Amazonでまとめ買いをする。

恋人さんは優しい人なので「便利なのはいいけど、こうやってインターネットで買い物をしたら、地元のペット用品店が潰れないかなぁ」と言って、本当に心配そうな顔をした。わたしは「地元のペット用品店には、金持ち世田谷ワンニャンババアが通うから大丈夫だよ」と本気で励ましたのだけど、金持ち世田谷ワンニャンババアという言葉がおもしろかったみたいで、今度はお腹を抱えて笑っていた。何だかよくわからないけれど、よかった。

ちなみに、わたしとしては、ババアという言葉は愛称で使っている。ババアという言葉には、年老いてもカッコいいみたいなロックさがある。ちょっと前まで、白髪でおかっぱで革ジャンを着て、ステージに押し寄せる観客をマイクでぶん殴るロックなババアになるのが夢だったのだけど、何だか最近はめっきり弱ってしまってダメだな。

恋人さんはまだ、金持ち世田谷ワンニャンババア、と呟きながら笑っていた。

2月7日(水)

この間打ち合わせをしたクライアントさんの取材で横浜のほうへ。今度こそヘマをしないぞと思って、電車の中でどもらない練習をしたから、今日はちゃんとうまくできた。

午後からストレッチ動画の撮影で出版社さんのスタジオ。オフィスから機材を持ち出してカメラマンさんにチェックしてもらうも、音声機材の確認に手間取る。ディレクターという立場なので、わたしが機械の仕組みをわかっていれば一番いいのだけど、専門知識がなくて申し訳ない。結局、新しい機材を使うことにして解決。でも、もう少し何とかしたいな。

タクシーで社スタに移動して、セッティング。とは言え、ここでも手伝えることはなく、あわあわしているだけだった。現場の人に挨拶をして、カメラマンさんを紹介し、今日の流れを説明する。最初は誌面用のスチールの撮影で、そのあとに動画の撮影をするから、流れを見てその場で撮影の構成を切ってほしいとのこと。

いざ撮影が始まったのだけど、誌面撮影の流れがわからずに混乱してしまう。割り込んで話を聞くこともできずに「後で撮影前に15分打ち合わせの時間をください」とだけ伝える。不安。

スチール撮影が終わり、ライティングのセッティングをしてもらっている間に、打ち合わせ。相談させてもらいながら構成を切って、ホッとひと安心したのも束の間、原稿をつくらなければいけないことに気づく。カンニングペーパーを用意しようとしたら、誌面のライターさんに「いいですから」と言われて、以後のディレクションを彼女が取り仕切ってくれてしまった。

撮影後、見に来てくれていた上司に「ディレクターはあなたなんだから、しっかりしないとみんな不安になるよ」と優しく諭されて、ごもっともだなと思って、また落ち込む。このパターン、またやってしまったな。

家に帰ると、恋人さんはベッドのうえで寝ていた。起きたての顔のまま、わたしを笑顔で迎えようとする恋人さんにその日あったことをマシンガンのように話しつける。話しつけるなんて日本語はないけれど、話を押しつけているのだから、話しつけるという表現が正しいように思う。恋人さんがうんうんと真剣に聞いてくれるのに、関係ないところで、わたしはとってもイライラしてきてしまった。しかも、話すことが愚痴とか言い訳みたいなものばかりで、そんなものを話つけるなんて、噛んで味がすっかりなくなった真白いガムをベッタリと押しつけているみたいだなと思った瞬間に、わたしは口をつぐんだ。

恋人さんがどうしたのと聞いてくれたけれど、何だかもう何もかもがうまくいかなくて頭の中も部屋の中も散らかっていて最悪だなと思った。

みいちゃんのトイレを見る。猫砂がスカスカになっている。Amazonで頼んだんだった、と思って、郵便受けを見ると不在票が入っている。現在時刻20時、当日再配達受付時刻は18時。もうダメ、最悪最悪最悪!

「猫砂買ってくる」と言うと、恋人さんは、「あ、僕も行くよ。ごめんね」と言って、ふわふわと準備を始める。わたしは何が何だか耐えられなくなってしまって、「ごめん、1人で行ってくるから! すぐに戻るから!」と言って、家を出てすぐに駅まで走り出した。腰のあたりがズキズキするのを感じながら、腰とか足のあたりにまとわりつく嫌な感じを振り払いたかった。ののかちゃん、と呼ばれた気がしたけど、振り返らないで全速力で走った。

こういうとき、今までどうやって自分をあやしていたか、忘れてしまった。恋人さんと付き合いを始めて、気づいたら何でもかんでもを共有するようになってしまって、それ以外の方法がわからなくなった。

たぶん記憶がなくなるまでお酒を飲んだり、仲良しの男の子を呼び出してお寿司を食べたりしていた。やろうと思えば今だって記憶がなくなるまでお酒を飲むことはできるはずだ。それなのに、わたしの中でそういう方法がしっくりこなくなって、前までできていたことが全然できなくなって、だけど誰も悪くなくて、わたしは何をどうしたらいいかわからなくなってしまった。

プロポーズしてから今日まで、届を出したわけですらないのに、わたしの中の細胞がごっそり入れ替わってしまったみたいで、わたしがわたしじゃないみたいな感じがして、つらい。

だけど、こういうことを友達に相談するのは何だか気が引けるし、わたしには友達がいないんじゃないかという気がしてくる。鬱。

わけのわからない不安から全力で逃げたいし、元のわたしに追いつきたい。泣きそうになりながら、だけど涙は出なくて、地元のペット用品店で猫砂を買うころには、今度は恋人さんに謝りたい気持ちになっていた。

大通りに出て、タクシーをつかまえる。ワンメーターより少し超えたところでおろしてもらって、家までダッシュして鍵を開けて、靴ひもを外す。ただいまと叫んで、足元を見たら、恋人さんの靴がない。わたしはもう本当にわけがわからなくなって、爆発したみたいになって、靴を履いたまま台所の床で地団駄を踏んで、ゴミ箱を蹴って、冷蔵庫を殴った。

そうだ、電話をかけよう

そう思って、ジンジンする手をさすりながら、あわてて電話をかけると、ベッドのほうで着信音が鳴って、わたしはもう本当におかしくなってしまいそうだった。気を失いそうに泣いたり泣いたりしていると、10分くらいして恋人さんが帰ってきた。

わたしは、携帯を持っていけとかもうすぐ死ぬところだったとか死ねとかやっぱり死ぬなとか言いながら、恋人さんの胸をグーで殴って、脇腹を軽くチョップした。脇腹のチョップはクリティカルヒットして、恋人さんは喘息の咳が止まらなくなってしまった。びっくりしてパニックになったわたしにスープを入れてあげると言って、恋人さんは咳が止まらないままお湯を沸かして入れてくれたけど、ケトルの口が壊れていて、熱湯がわたしの膝にダバダバとかかって、わたしはまた泣いた。恋人さんはわたしが出た後すぐに追いかけてきてくれたみたいだけど、行き違いになってしまったらしかった。もう何もかもダメな日は何もかもダメみたいだ。

恋人さんは咳込みながら、わたしは火傷した膝をさすりながら、ご飯を食べた。こういう何もかもダメな日が1日とか2日とかだけじゃなくて、1週間とか1カ月とか、1年とか10年とか続いて、その中のささやかな幸せを大事にするのが結婚生活なのよ、とか言われたら、即解散してやるぞと思った。恋人さんに負担をかけないようにできるだけ穏やかで、楽しく暮らせる日が増えるように努力をしたいなと思った。

ご飯を一緒に食べて、2人そろってごちそうさまをして、ダイソーで買ったプラスチックのお皿を片付けるとき、ふいに、ままごとみたいだなと思って「ままごとみたい」と呟いてしまった。あわてて「悪い意味じゃないんだけど」と言うと、恋人さんは「わかるよ、なんていうか少し気持ち悪い感じ、自分がこんな風に誰かと生活を送れると思ってなかったから、悪い意味じゃなくて」と言ってくれた。恋人さんの言うとおり、こんな感じで誰かと結婚みたいなことをして一緒に暮らすのを、しっかりと意識したことなんて幼稚園以来だなと思った。

新米夫婦はみんな、最初からちゃんとした生活をすることができるのかな。ダイソーで買ったプラスチックのお皿を洗った。熱に弱いのに、この間レンジに入れてしまったからか、小さなヒビが入っているのに気づいた。わたしはダイソーで買ったプラスチックのお皿のヒビを指で撫でた。明日新しいものを買ってこよう。

2月8日(木)

夕方から重大な取材があるけれど、それまでは他のことは何にも手につかなかった。夜は楽しみにしていた飲み会があるけれど、行けるかどうかわからないな。人に会うのがつらい。

しかも、取材先のオフィスはわたしの嫌いな街にある。会いたくない人に会いそうで、メンタルが落ちているときは絶対に近寄らない駅を降りて、わたしは肩をいからせて、ほとんど目をつむって小走りで点滅する横断歩道を渡った。

念入りな準備をしていったこともあって、取材はうまくいったと思う。気を遣ってくれたのか、担当の方から「先方も喜んでましたよ」と電話をいただいた。よかったなと思った。

21時ギリギリまでオフィスで無心になって仕事をして、飲み会に行ったらもれなく楽しかった。会の主旨もメンバーも不思議だったけれど、幹事が天使みたいな女の子で、その子がいる飲み会はもれなく楽しい。天使が天使すぎるので、前に一度「どうしたらそんな風に優しくなれるの?」と聞いたら、「わたし優しくなんかないよ、イライラしたら道にツバとか吐いちゃうし最悪だよ」と鼻息荒く言っていて、やっぱりこの子は天使だなと思った。いい夜だった。

2月9日(金)

エネルギーを使い果たして、朝からぐったり。Twitterを開いて、また私へのエアリプみたいなツイートを見つけて、腹が立って怒り狂ったツイートをする。疲れる。

打ち合わせで四谷へ。と言っても、1年弱ほどお付き合いのあるメディアの方とカフェでおしゃべり、という気持ちでいた。そのメディアからはお金をもらっているけれど、お仕事というつもりで承っていなくて、わたしは彼女たちの“人”が好きだ。ここ1年以上、準備してきたプロダクトをローンチするにあたってサイトを立ち上げるのだという。記事執筆はもちろん快諾。力を添えさせてもらえるなら、本当にうれしい。そう自然と思わせてくれる人たちだ。

「最近どう?」と聞いてもらって、ここ1カ月の間に引っ越しをしたこと、プロポーズをしたこと、猫を飼い始めたこと、最近なぜかとても疲れているということを話すと、「そんなに環境変わっているんだから当たり前だよ!」と豪快に笑われて、わたしもつられて笑ってしまった。「今週は頑張ったから」と、彼女は800円のブラッドオレンジジュースを注文していた。彼女自身がビタミンみたいな人だな、と思った。

2月10日(土)

溜まっていた原稿を何とかしようと電源のあるハンバーガー屋までのこのこ出てくる。駅までは恋人さんも一緒で、恋人さんは駅近くの富士そばに消えていった。心なしかちょっとだけうれしそうだった。おいしいよね、富士そば。

ハンバーガー屋に着いてスマートフォンを見ると、作家の小野美由紀さんから「ののかちゃんの住んでる街までちょうど用があっていくんだけど、今日いる?」と連絡が来ていた。あんまり空いてないけど、空いてる。席をとって、気持ち速足でレジに進んだ。

ハンバーガー屋ではチキンナゲットを頼んだ。ナゲットのソースはBBQかハニーマスタードから選べますと言うので、BBQにしてもらう。できあがったソースの成分表示を何気なく見たら、「トマトミックスソース」と書いてある。それからソースの味がBBQではなく、トマトミックスソースのようにしか思えなくなってくる。どんなに小さくても嘘はいけないと思う。わたしはすっかり悲しくなって、トマトミックスソースの残りを指ですくって舐めた。

原稿に飽きてきてしまったので、ハンバーガー屋を出て、近くのスーパーをフラフラする。キューピーの新商品が目に留まって、そこには「やさしい献立 歯ぐきでつぶせる」と書いてあった。わたしは最初、何のことかわからなくて、しばらくそこに立ち尽くして、意味がわかると、小さい声で「あ」と言った。

年を重ねると、歯でものが食べられなくなるとは聞いたことがあるし、せんべいを思い切りかじるおじいちゃんやおばあさんがヒーローに仕立てられたみたいなテレビのCMも見たことがあるけれど、老いの不安をこんなに至近距離で煽られたことはなくて、わたしは少しゾッとしてしまった。せんべいが食べられなくなるまでに、わたしはもう少し時間があるけれど、お父さんやお母さんはほんのあと少しの話かもしれない。

やさしい献立とか書いてあるから油断してしまったけれど、ちっともやさしくないじゃないかキューピー、と思った。やさしくないのはキューピーじゃなくて、現実のほうなんだけど。

舞台を見終わった美由紀さんは不思議な喫茶店のような店にいて、「元気~?」と言いながら、手をひらひらと振ってくれる。「心ないエアリプとメッセージがひどくて病んでる」というと「よかったらVoicyでその話しようよ」と誘ってくれた。Voicyというのは、最近はやり出したラジオ収録アプリみたいなもので、やるのは初めてだけど、気になっていたからうれしい。というか、思いがけず美由紀さんとこの話ができるのはうれしい。

美由紀さんは本当に素直で、まっすぐで、嘘をつかない人だから好きだし、安心する。収録という名のおしゃべりが終わるころには、わたしはだいぶ肩の荷が下りていた。

「美由紀さんありがとう、また書けそうです」と言うと、美由紀さんは本当にうれしそうな顔をして「よかった~」と言った。

帰りぎわ、喫茶店のような店の領収書をもらおうと思って、「小さい野原で、小野です」と言うと、「小野原さま」と書かれた領収書を渡されて、とてもびっくりした顔をしてしまった。オーナーのおばさまにちょっと悪いことをした。

美由紀さんと別れてから、恋人さんと合流して、わたしがどうしても白子ポン酢が食べたくて、白子ポン酢を食べるためだけに居酒屋に入った。恋人さんは白子というものを食べたことがなかったみたいで、「この世のものとは思えない、最高!」みたいな顔をして白子を食べていた。

人間の白子はどんな味がするのかな、と思ったけど、恋人さんがとても幸せそうに食べているので、言わないであげることにした。まだ元気な歯で最後の白子をプチンと弾いて、舌の上で転がしながら、人間の白子の味を一生懸命に想像した。

2月11日(日)

お昼過ぎから、いつもお世話になっているネイルサロンへ。行きつけの古着屋さんのお姉さんがかわいいネイルをしていたのが気になって、サロンの名前を聞いて、わたしもそこに通うようになった。ちなみに美容室はネイリストさんに教えてもらった。自分のそういうセンスはあまり信用していないので、人に聞くのが1番だと思っている。とかく、わたしが今通っているネイルサロンは最高なのだ。

ネイリストのchinatsuさんはいつ行っても太陽みたいに明るくて、同じ空間にいるだけで元気になれる感じがする。Chinatsuさんにはいろんなお話を聞いてもらっていて、とりわけ男の子の話をよくしていたのだけど、個人名を出すのは本人たちに悪いかなと思って、新宿の男、とか、池袋の男とか、よく会う街の名前で呼んでいた。今思えば、そちらのほうが申し訳ない気がする。まぁいいか。

仕上がりは相変わらず最高で、また1カ月頑張ろうという気持ちになった。どんなにお金がなくなっても、毎日食パンを食べるような生活になっても、chinatsuさんのネイルだけは通うぞと自分の中では心に決めている。

うれしくなってすぐにSNSに写真をあげたら、お友達の男の子がコメントをくれて、話が盛り上がったので、LINEで続きをした。ネイルがかわいいという話から発展して、俺もしたいけれど意味が付かないように俺や社会を整えていかないと、というようなことを彼は言っていて、わたしはうんうんと思いながら、メッセージを読んでいた。

何の訴えや意味がなくても、身に着けたいと思うものを男の子も女の子もやっていいはずなのに、身に着けたいと思うものを身に着けられる世の中になっても、何かしらの意味がついてしまうことは、なんというかまだまだ頑張らないとなと思った。

そのほかにも、おばあちゃんファッションの話とか、閉経は性の解放だという話で盛り上がった。閉経の話はいつか夜を徹して話をしようとLINE上で約束をかたく交わした。

そのまま渋谷の街をふらふらして、北海道から来たお母さんと待ち合わせをする。お正月にも帰っていないから、お母さんに会うのは一緒に旅行をした11月ぶりで、わたしたちの中ではこれは本当に久しぶりの類に入る。

お母さんに会うのは、いつも何となく照れくさい。お母さんがすごくうれしそうにしてくれるからだ。お母さんはピュアで、わたし以上に少女な人だ。ときどき「よくもそんなくさいことを」と思うようなことを言うけれど、それが無理なく心の底から言っている言葉なのだということは、長いこと一緒にいてわかるようになった。

久しぶりだねと言いながら、お互いに近況報告をする。バスに乗っても、家に入っても、ほぼ途切れることなく話をして、ご飯屋さんに着いたとき、ようやく緊張し始めた。今日は一応、恋人さんとお母さんの顔合わせのような日で、席に座ると示し合わせたようにお互いに何となく気まずくなるのはちょっとおもしろかった。

恋人さんが店に入ってきて、お母さんに挨拶をして、お母さんも恋人さんに挨拶をするのが、なんか変な感じだった。正直どんな話をしたのかあまり覚えてないけれど、お母さんはいい調子でワインを開けて、「本当にありがとう」と何度も涙ぐんで、恋人さんにお礼を言っていた。わたしはお母さんの、こういうところが恥ずかしい。悪い意味ではなくて、わたしは心が斜めだから、丸くて小さな木椅子に座っているような、そういう居心地の悪さがあってもじもじしてしまう。うれしいんだけど、恥ずかしい。

あまりに何度も言うので、恋人さんがプレッシャーに思ったら嫌だなと思って気遣うつもりで「そんなに何回も言ったら、別れたいときに別れられなくなって重いじゃん」と言ったら、恋人さんのほうが「え」という口をした。気遣ったのはよかったけれど、言葉を間違えた。そういう意味じゃないんだけど。

結局、恋人さんもお母さんもわたしの家に来ることになって、スーパーでみんなして半額のパンに群がって、たこ焼きとかささみチーズカツを買って帰った。

人が増えたからだと思うけど、すきま風の通る家が、その夜は心なしかあたたかった。

佐々木ののか

佐々木ののか

書くことが生業。実体験をベースにした物語みたいなエッセイやインタビューを書きます。メインテーマは、家族と性愛。

Reviewed by
トナカイ

佐々木ののかさんの日記、4回目を迎えました。最終回まで半分のところまで来てしまったことが、僕は寂しいです(まだまだ続きを読みたい気持ちがあるので)。佐々木さんの日記を読むと、僕はどうしても人生について考えてしまいます。いろんなひとがいろんな考えを述べていると思いますが、人生って何なんでしょうか… また「ネタバレ」をからめて話をしますけども、人生というのは、佐々木さんに地団駄を踏まれた床であり、蹴られたゴミ箱であり、殴られた冷蔵庫であるのかもしれないと思ったりもします。いつの日か、電子レンジの熱でヒビが入ってしまったダイソーのお皿のことさえ、愛しく思い出すことがあるのかもしれない、そういうことがあるのが人生であって欲しいなと僕は思います。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る