第二回:ソウルフル冷凍ごはん

第42期(2018年12月-2019年1月)

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こんばんは。当番ノート42期のヨシモトモモエです。
毎週火曜は私のお部屋で、のんびりしていきませんか。

27歳・実家暮らし。
会社勤めを楽しくしながら、家業を手伝い、踊りなどもしています。「踊れる・食卓」では日々のくだらなくてすこしくだることを、我が家と我が家の外を行き交いながら、ゆるっと書いていきます。

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第二回:ソウルフル冷凍ごはん

「ねぇ、ヨシモトさ〜ん」
「なんでしょう!」
「そこのごはん、ラップで包んで冷凍庫に入れておいて」
「え?ごはんですか?」
「そう。ごはん。冷凍するのよ」
「・・・・?!!?」

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序盤から間抜けだ。
これは数年前、職場でたじろいだ私の模様である。会社でお世話になっている大先輩はいつでも手際がよく、彼女一人だけで手が何本あるのだろうと、まったくこどもの頃の空想のように仕事が進んでいく。トントントンと軽やかなリズムで切られていく白髪葱。料理の仕上がりと同時にすでに洗い物まで終わっていて、机の上にトンと一杯のサンゲタン。

「これの代わりにってわけじゃないけれど、お願いしてもいいかな?」

私は27歳にもなって、おなかが空くとすぐに顔に出る。そんな私を見越してか、大先輩は会社のキッチンに余った食材たちとでさらっと、まかないを作ってくれたのだった。それと引き換えにというわけでもないが、彼女に仰せつかったのが、ごはんをラップで包み、冷凍庫へ入れること。サンゲタンをおいしく頂いたあと、私は炊飯ジャーの重い蓋を持ち上げ、ちょっとそわそわした。そう、それ自体、本当に大したことでないと思う。冷凍ごはんを見たことがあればだ。何を隠そう、私の辞書にはこの数年まで「冷凍ごはん」という文字がなかった。なんなら見たこともなかった。普通にその場でGoogle検索した。あぁ、なんて世間知らずだったんだ。ごはんは、冷凍することができるのか。

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早速、帰りの電車で、身の回りの友人にSNSで聞いてみる。
「冷凍ごはんってする?」
すこし尋ね方が難ありだったか。それでもこの珍妙な質問にも理解がある人が多く、本当はごはんが炊きたいけれど余裕がなくってパン派という人や、一人ではどうも食べきれなくて土日でごはんを炊き、冷凍ごはんにして平日はそれを温めている人などがいた。毎食炊飯器でごはんを炊くのは気力も労力もいる、そして食べる人も「いる」のだ。本当にただただ自分は世間を知らないのだと知った。帰宅して、私は母に報告をしたのだった。

「お母さんさ」
「どうしたの?」
「今日、私、自分がとんでもない世間知らずだと気づいた」
「なによ」
「一般家庭では、ごはんを冷凍することがあるらしい」
「えっ、そうなの?」
「そうなのよ」

我が家のごはん事情は、声高に話すようなものではないがそもそも基本的に食べきってしまうか、余ってもその日のうちにはなくなる。休日なんかは遅くに目覚めたりすると、ごはんは既に売り切れである。1日・朝夕2回、3合か4合ぐらいを炊く。それでも、最大人員10名の時は、ピンチヒッターのパンが出てきたりする。母と話しながら、私は気づいた。

「ちょっと、冷凍ごはん、ってかっこいい」
そう、なぜ私がこんなに冷凍ごはん冷凍ごはんと言っているのかというと、「冷凍ごはん」をさらっとやれちゃうことってかっこいいという感情をどこか抱いたからである。
一度興味を持つと、気になってしょうがない。「冷凍ごはん」とどうにか遭遇できないだろうか。

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それから数ヶ月ぐらい経った頃だろうか、友人宅へ泊まりに行く機会があった。友人は私より、少し年上、30いくつか。つながりがよくわからない仲間たちと赤提灯で飲んでいる時に出会った人だ。仕事でなにをしているのかはいまいちわかっていないし(多分美容関係)、今はイタリアにいるし、連絡がとれない(どういうことだ)。自分を語らずクールだけど、食べてる姿がこどもみたいで、ほっぺに手を当てたりするのがたまらなくかわいい。ともかく楽しげに働いている感じはする人で、家はいつ行っても小綺麗でいい匂いがするし、観葉植物だらけでちょっとした植物園みたいだった。それに酔っ払うとあまり当たらないタロット占いをやってくれる。器用で、パッとなんでも料理を作ってくれる。そう、ここでまた私は「冷凍ごはん」に遭遇する。

夜通しおしゃべりをしたかったのに、いつのまにか寝てしまった朝。すごく素敵な植物園に似合わず、寝袋にすっぽり収まった、たらこのような私に彼女が尋ねる。

「ねぇ、ももちゃん、ごめん。ごはんさ、冷凍したやつでもいい?」
「冷凍ごはん?見せて!どんな感じにやってるの?」

今思えば、相当間抜けだ。ちょっと引いていたかもしれない。冷凍ごはんへの興味のあまり、わりと前のめりになってしまったのだった。

「や、そんな、見せるもんじゃないんだけど」

彼女は苦笑い。そりゃそうだ。彼女はゆるく髪をまとめた起き抜けの格好で(それはそれでおしゃれ)、電子レンジでチンをする。

「私さ、ごはんを冷凍したことがなくてね、最近知ったの」
「でた、浮世離れ」

たしかに。浮世離れかもしれない。レンジがチーンと鳴って、私もちょっとチーンとなった。
彼女は年季の入った電子レンジから冷凍ごはんを取り出し、まるでハンバーグを作るように開いた手の間を行ったり来たりさせながら、エッサホッサと食卓に運ぶ。しゃもじを使わずとも、ほわんと茶碗に滑り込むごはん。朝の光も相まって、なんだかとっても眩しい。ほやぁ〜。お米一粒一粒が、自ら光を放つような。神々しいなぁ、お米ってのは、と悦に浸りながら食べた。一粒一粒がソウルフルなのだ。漬物も、納豆も、海苔も、たらこも。どれもおいしいけど、すべての米に、それらは可愛げにひれ伏す。

「お米って最高じゃない?」
「ね」
「それね」

冷凍したって、ごはんはおいしいんだな。それは単純なようで、明快な発見だった。

炊きたて至上主義とまでは言わないけれど、なんで「冷凍ごはん」ってちょっとしたはじらいを伴うのか、とぐるぐる考えた。冷凍してたってなんだって、おいしいものはおいしいんだ。何かに夢中であればあるほど、1日のなかに余白を作ることは簡単じゃない。余裕があればそれはそれで素敵なことだけれど、それより「これが食べたい」という自分の気持ちに素直でいることが大切だと、私はいつからか信じている。なぜなら、その気持ちに応えてあげることが自分を大事にしていることにつながったりするからだ。どこまでいっても、「冷凍」は手段であって、目的は「おいしいごはん」なのだ。冷凍にすることで、いつでもおいしいごはんを食べたい!というその気持ちが尊い。
あっぱれ!「冷凍ごはん」と、それらを司る人よ。

器用だからこそ、彼女もまた忙しそうに、でも楽しそうにしていた。
私は想う。冷凍ごはんよ、彼女をそうやって支えておくれ。

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多くの食いしん坊を抱える我が家では、未だ「冷凍ごはん」の出番はない。でも、私はその時をすこしだけ楽しみにしている。母はどんな反応をするだろうか。これまでの経験上、なんとなく母の回答は想像できる。きっと、細い目をさらに細め「ごはんって、おいしいよね」と言うと思う。なんでもないようで、なんでもあるのだ。

(浮世離れのまま、つづく)