アルバイト

第43期

 

趣味というほどでもないけれど、週末は料理をすることが多い。

おいしいものを追求して研究する、というモチベーションはあまりないのだけど、仕込みが必要なもの、漬け込むとか干すとか、ある程度時間差が必要な複数の工程を組み合わせる料理がとくに好きだ。いくつかのおかずを同時並行で作って最後に同時に完成させる、というのも、なんだかパズルゲームみたいで集中できる。それよりなにより、包丁やボウルの金属の匂い、流しの水の音、フライパン越しに上がってくる油の熱、そういうのが全部心地よい。

 

キッチンに立っているのが好きすぎて、半年前くらいから、焼き鳥屋でアルバイトを始めた。

好きすぎて始めたとはいえ、自宅でよく料理をするかどうかと飲食店でスタッフとして使えるかどうかはほぼ関係ない。大将含め、私以外のスタッフは何年も飲食店で働いてきた人たちばかりなので、毎回彼らについていくのが精いっぱいだ。というかよくついていけなくて脱落する。

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店内は20席くらいなのだけど、大将は(客もスタッフも)誰がどこで何をしているかが全部頭に入っていて、ほとんど聖徳太子みたいである。カウンター越しにお客さんと話しながら、お客さんそれぞれの食事のスピードに合わせて串を焼き、たまに見えないように手元で明日の仕込みをする。他のスタッフも常にマルチタスクで、みんな腕が8本くらいあるんじゃないかと思う。しかも商売としてやっているわけで、料理の内容もサービスも、私が自分の夜ご飯のためにおかず3品を同じタイミングで完成させる、みたいな話とは当然レベルが全く違う。

 

6時半まで大学のゼミに出たあとに、7時から夜中まで焼き鳥屋で働く日は、かなり体力を使うけれど爽快だ。

 

ゼミで教室内で議論が行われているときは、マルチタスクは求められないし、むしろその逆である。一つのお題について、抽象度が自由自在に変わっても、食らいつき続ける能力の方が重要だ。

 

ところが、6時半まで一つのお題でグルグルしていた頭の中身も、お店でカウンターに立つと瞬く間に掃き出されてしまう。レモン割のおかわり作ってカウンター7番に渡した帰りにテーブル1の空のワインボトル回収する、カウンター3番のお客さんがトイレから戻ってきたら預かってたコートをお渡しする、大将が作ってるのはテーブル3用の鶏そばかな、じゃあ取り皿とレンゲを4人前用意しなきゃ、とか考えていると、否応なしに頭がパンパンになってつい30分前のことがとりあえず頭の外へ追いやられる。でもこういう強制的な頭の掃除は、睡眠みたいにスイッチを切るタイプのリフレッシュとは違って、むしろある全力稼働モードが別の全力稼働モードへ切り替わっているだけで、脳みその稼働率ではグルグルしているのと同じ状態である(なのでバイトのあとは、却って脳みそが興奮してゼミの課題を読んだり書いたりするスピードが妙に速くなることもある)。

 

頭の中身もそうなのだけど、立ち居振る舞いも切り替わる。声の出し方や話し方や歩き方はもちろん、自分の耳の聞こえ方も違っていると思う。ゼミのときは発表している一人の人の声を注意深く聞いているけれど、お店にいるときは注文をとりながら食洗器が洗いあがったときの機械音をキャッチしている。

 

焼き鳥屋で働いている間は、いかに元気よく感じよく清潔感のある接客が出来て、そして手際がよいかということが求められて、それ以外は何も問われない。キャンパスにいる間の「玉越さん」は、卒業論文提出まであと何日とか、あと何万字とか、そういうカウントダウンでのたうち回っていても、お店にいる間は、私はただの新入りのタマちゃんであってそれ以上でもそれ以下でもない(面接をしてくれた大将以外のスタッフは私の本名すら知らない)。お客さんに、学生なの?と聞かれることもあるけれど、重要なのは学生かどうかではなく、感じがいいかどうかであって、私の答えがyesでもnoでもあまり関係ない。もうだから、論文のことなんか、7時からお店が閉まる12時までは強制的にどうでも良くなってしまう。

 

来月から大学院に進学するけれど、焼き鳥屋でのアルバイトはたぶん続けると思う。院生になったら、今やっているみたいに別人格に一時退去する時間も惜しむべきなのかもしれない。けれど、五感も頭の中身もハッキングしてくれるこれ以上のリフレッシュは思い当たらないし、そういうタマちゃんへの逃避がないと、修士論文を書き上げるのに十分なくらい玉越さんであり続けるのも難しいと思う。かつて、引っ越すごとに旧友の顔がうろ覚えになって新しい親友を作りなおしたときの感覚と似て、少し後ろめたいくらいの方がむしろ私には安心感があるから。