5月6日の山菜採り—ささいなことだけれど

第44期

毎年5月6日は、山へ入ると決まっている。
大学1年のときからお世話になっている集落の人たちと、山菜を採りに行く。

今年もまたその季節がやってきた。
前日の5月5日に、東京から新幹線で2時間弱。
高崎を過ぎると、街(正確には駅のある街)は数多のトンネルによって結ばれるようになる。風景は線から点へと変わる。それだけ強く印象に残ることになる各街の風景が、目的地へ一歩一歩近いづいていることを教えてくれる。
 
 
 
最寄り駅へ、シンイチさんがいつものように迎えに来てくれた。
去年と変わらずにいらっしゃることが分かると、やはりホッとする。
手短に一礼と挨拶をし、軽トラの荷台にキャリーバッグを積んだら、いそいそと助手席に乗り込んだ。

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最寄り駅のある街では菜の花祭りが最終日を迎えていた。「ちょっと見ていくか?」とシンイチさん。僕の曖昧な返事を待ってか待たずしてか、軽トラはそちらの方へ向かい出した。

赤信号で停まっていたら、左折して入ってきたおじいさんが車を寄せ、菜の花祭りの会場はどこかと尋ねてきた。「この一つ先の信号を左です。この一つ先ね。」「そうですか、ありがとうございます。」お互い車に乗ったまま、短く言葉を交わした。
おじいさんの車が行き過ぎたあと、シンイチさんは道路の脇に車を停めた。Uターンしてきたおじいさんに手で合図をする。「僕らも行きますから、ついてきてください。」そう伝えると、おじいさんの返事を待ってか待たずしてか、軽トラは再び走り出した。
10分ほどで会場が近づいてきた。案内板によれば、会場付近の駐車場は満車のようだ。だがそのような案内を見てか見ずしてか、シンイチさんは空きのある駐車場の方ではなく、会場の方へと右折する。おじいさんもそのまま追走してきた。
ほどなく会場付近にやってきたが、やっぱり駐車場は満車だった。
「停まって見ていくか?」
「いや、大丈夫ですよ、車からでも十分楽しめました。ありがとうございます。」
シンイチさんはスピードを緩め、後方のおじいさんへ手で軽く合図をする。そして再びスピードを上げ、菜の花祭りの会場から離れていった。
おじいさんは無事駐車場に入れただろうか。少し心配だが、会場が分かったのだからきっと大丈夫だろう。
気取らずさっぱりとした、おせっかい。

軽トラは国道を山裾から駆け上がっていく。新春の爽やかな風に、シンイチさんが吸うLARKの煙が混じる。たばこは苦手だが、この匂いはなんとなく落ち着く。
道の両脇が田んぼから杉林へ変わる境目くらいで、再び車が停まった。道路を渡ろうとしていたおじさんに、シンイチさんが軽トラの窓を開けて話しかける。どうやら知り合いだったようだ。「こないだはありがとうございました。」「いえいえこちらこそ。」手短に言葉を交わして、軽トラは何ごともなかったかのように再びスピードを上げた。
自動車であっても立ち話ができてしまう、空間のスケール。

川沿いの道をさらに数分ゆくと、集落が見えてきた。
今年も帰ってこれてよかった。
  
 
 
シンイチさんのご家族と一緒に昼食をいただき、集落の春祭りの神楽を見させていただき、祭り後の直会(なおらい)に参加させていただく。これまでと同じような仕方で、この日が過ぎていった。
 
 
* 
 

 
翌朝は、午後から雨という予報を疑いたくなるくらいの快晴。
放射冷却で締まった空気の寒さと、太陽光の惜しみない暖かさ。それだけで身体が目覚めてくる感じがする。
AM8:00、公民館に集落の人たちが集まってくる。昨日の春祭りに参加していた人もいれば、そうでない人もいる。春祭りは集落の行事で、山菜採りは集落の有志からなるサークルの行事。そのため参加者が異なる。ちなみに山菜採りは、毎年5月8日にこのサークルが行う催しの準備の一つとして実施される。山菜採りの日にちが5月6日に決まっているのはそのためである。

僕はヒロイチさんと一緒に山へ入ることになった。これまでもヒロイチさんに同行させていただくことが多かったが、2人で行くのは初めてだった。
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軽トラは集落を抜け、沢沿いの林道へ入ってゆく。舗装のないデコボコ道を、軽トラはたくましく登る。雪どけ水が勢いよく流れていく音が、杉林に響きわたっている。水が豊かな土地とはこういう場所のことだと、訪れるたびに思う。だが溢れんばかりの水も、夏にはほとんど枯れるのだという。

林道を進むにつれ、残雪が増えていく。やはり、雪どけは例年よりもやや遅いようだった。

ヒロイチさんは、想定していた2箇所ほどで軽トラを停めた。周囲の湿った斜面を、枯れた杉っ葉を踏みしめながら一緒に見て回る。だが、目標にしていた山菜にはやや時期が早いようだった。
「あと数日もすればちょうどいいんだけんな。」
今にも生えてきそうな株をこれだけ見たのは初めてだった。採れはしないけれど、それはそれで魅力がある。
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それでも、ちょうど採りごろなものも時々見つかった。見つかると胸が高鳴る。ワクワクしながら、食べるのに適した大きさのものだけを採ってゆく。
「ちぎるんじゃなくて、外側に、そう。」
勝手を思い出せずもたもたしている僕にヒロイチさんが言う。理にかなった採り方は、おそらく植物に与える負荷も少ない。そう直感させるくらい、無理なく簡単に採れるようになった。
 
 
 
小一時間ほどで一旦切り上げ、別の山菜を採るために違う山へ移動する。
林道を下って一度里へ降り、見晴らしのいい斜面沿いの道を登ってゆくと、山の中腹を切り拓いた巨大な畑地に着く。でこぼこ道を、軽トラは弾みながら進む。
畑の端っこで車を停め、山の方へ向かう。
「ほれ、これがエビネラン。」
「それで、これがシュンラン。」

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道中では、他にも色々なことを何気なく教えてくれた。
動物によってフンの様子がどう違うか。
背の高いたらのきの芽がカモシカにかじられていることがあるのはどうしてか。
藪ではこういう理由で、クマと鉢合わせになることがある。
等間隔に掘られた穴は、所有権の境界を明確にするために設けられたもの。
全てを自分のものにすることはできず、「色々」と書く他ないもどかしさ。だがそれは、一字一句をメモしたり、常にビデオカメラを回すといった方法で解決できるほど単純なものでもない。そのことも分かっているつもりでいる。失われるものに打ちひしがれてばかりはいられないけれど、失われるものに思いをはせずにもいられない。
 
 
 
谷と尾根では、林の表情はまるで異なる。無数の枝をかき分けながら、目標とする山菜を探す。

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こちらの山菜は、時期がぴったりだった。次々とその木を見つけては、ほどよい大きさの新芽を摘んでいく。「ちゃんと若い芽を摘むんだぞ。」「僕も若い芽ですけど、摘んじゃいますね。」そんな冗談も言いながら。もちろん、全ての芽を採ることはしない。
山菜には色々な種類があるが、僕はこれが一番好きだ。似た新芽との区別もつくようになった。だが、まだまだ木だけでは見分けられない。
「これ、うるしね。」
芽は明らかに異なるが、樹皮は確かによく似ている。ヒロイチさんの言葉に、新たなものを知る喜びと恐怖が両方起こる。

途中何度か、腰を降ろして一休みした。木々の隙間から遠くの山がよく見える。
「みまくとい。」
五つの山の名前の頭文字を、見える順番に並べるとこうなるのだという。「み」は形に特徴があり、「ま」は近いのでペンション街やスキー場がどこかも分かる。へえー、ああ、なるほど!確かに。名前が分かると、ぐっと身近に感じられるようになる。名づけて区別することが、世界を理解するための最も基礎的ないとなみなのだということが、腑に落ちていく。

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この山に入るのは初めてではなかった。だが今回も、どのように進むとどこへ到達するのかはほとんど分からなかった。ヒロイチさんの背中を、ただ追った。
そうして歩くことおよそ1時間半、ようやく林を抜け、元の畑地へ戻ってきた。軽トラを停めた場所まで、さらに10分ほど歩く。ゆるやかな斜面を登りきってから振り返ると、「みまくとい」が眼下に広がっていた。気づいたら正午を過ぎていた。
 
 
 
公民館に戻って昼食をいただき、それから収穫してきた山菜の選別や下ごしらえをする。
PM3:00ごろにはひと段落して、慰労会に。余分になった山菜は手早く料理され、肴に変わる。酒が進むにつれ、話も弾んだり深くなったり。これまでと同じような、5月6日の午後。
日も暮れたあと、同じくこの集落に関わり続けている友人に駅まで送ってもらい、帰路に着いた。
2時間後には、もう東京駅にいた。汚れた服で、食べきれないくらいの山菜を抱えて。
  
 

 
 
「決まっている」「いつものように」「これまでと同じ」とは、なんと幸福なことだろう。
その期待は、いつか必ず砕かれる。少しずつだが、そういう経験も増えてきた。
そうなってしまう前に。
僕は、シンイチさんやヒロイチさんからなにを継げるだろうか。
そして、あるいは、なにを還せるだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
——余談——
これまでの5回は全てですます調で書いてきた。
しかし今回はなぜかである調でないとしっくりこなかった。
理由はまだはっきりとは分かっていない。