若者が求める「白い布」 ー 暮しと妖怪の手帖(7号)

長期滞在者

local(地方)に若者の目が向きはじめているのには、おそらく理由がある。

一つの駅から数分単位で一日に何十本もの電車が走るように、大都会の生活はどこかきっちりとしていて、迫られるように追いやられるように日々を過ごしている人も少なくない。

計算しコントロールできるものと向き合いながら、社会や自然に対して、どれだけ自分が主導権を握れるのか。合戦のような毎日があると言ってもおかしくないような光景が、街中に広がっている。目に見え、数字で説明がされたものをベースに仕事がつくられ、その仕事をもとに給与があり、住まいを求め、一日のリズムが作り上げられる。

疲れた身体は、さらに数字と科学のマーケティングから生まれたサービスを消費することで癒す。回復したら、また慢性的な疲労のたまるルーティンに戻っていく。どこか淡々とした毎日が続いていく。しかし何をどうすればどこがどう変わるかなんてわからない。もはや、そんな考える暇さえもない。そんな日常に心当たりはないだろうか。

昔よりもはるかにテクノロジーは発達し、便利になった。これから迎える明るい未来を見つめ、キャリアあるいは家族計画を組んで、自分の人生を設計していく。それにもかかわらず、”暮らしが詰まる”ような感覚に陥ってしまうわけだ。それは、一種の”都会病”とも言える。その病を治すという行為こそが、地方に目が向く、移り住もうという理由にもつながっている。

ここで話したいのが、鹿児島の肝付(きもつき)町の言い伝えに残る、妖怪について。この地域にある権化山付近では、低空を飛ぶ白い布のような物体が過去に何度も目撃されている。そう、「一反木綿(いったんもめん)」は、この地域に現れるという。

「ゲゲゲの鬼太郎」のせいか、ひょうきんな性格で、人に害のない妖怪だと認識する人は多いが、実は、人の首に巻きついたり顔を覆ったりして窒息させようとする、人間に対して悪意を持った妖怪である。その浮遊するスピードは凄まじく、新幹線と並走するほどとの説もある。

この肝付には、なぜ、一反木綿が現れるようになったのか。ここが大事なところ。

元々、肝付町は、武家の出が多く、布が豊富な地域だったという。合戦で負けた落ち武者などをかくまう気質があり、元来亡くなられた武士の墓(土葬)に木の棒を突き立て、それに木綿の白い旗を立てて弔う風習もあった。その布に武士の無念が乗り移り、付喪神(つくもがみ)として一反木綿が生まれたわけだ。

町の歴史、そして布という地域資源に紐付いて、一反木綿という存在が生まれ、その伝承が今も変わらずに根強く残っている。その事実が興味深く、ここにlocalの旨味が詰まっているように思うのだ。

つまり、「目撃した」という曖昧な証拠だけで非科学的に生き続けている一反木綿という妖怪を、地域の人は今でも大切にしているというのは、ある種、一つのきよらかな信仰心が残っている根拠でもある。また、自分たちが暮らす場所のルーツを知るための”地域資源”の象徴として妖怪が存在することには、うつくしさすら感じてしまう。古来から残る、人間の暮らしに迫る手がかりもある。

こういった、「決してロジカルとは言えないものを信じ、自分たちの足元にある、地域のこれまでを振り返る」ことのできる暮らしは、都会では感じがたい豊かさの一つではないだろうか。科学をもとに、遠くにある未来ばかりを見ていた自分たちにハッとしてしまう。

人間は、計算されつくされた世界で生きていけるほどに逞しくはない、と思う。「都落ち」だの「弱者」だのと、「都会は上、地方は下」と偏った目でしか見れない人もいるが、人間らしい暮らしを求めたとき、地方という選択肢が浮かび上がってくるのは、ごく自然な現象とも言えるかもしれない。

一般的には、都会に妖怪が現れにくいという。地方や田舎に行けば行くほど、妖怪の存在は認められているのも確かである。都会病にかかった人は、妖怪という不可解な存在を拒絶してしまう。

目には見えない、数値化できない価値をもとに、「移住」のような暮らしを考えることと、妖怪の存在について考えることは、どことなく似ている。一反木綿は、ぼくらの暮らしを問う。

ittan-moeru
「妖怪をのぞけば、暮しと人がみえる、自分がみえてくる」を仮説に置きながら、勝手気侭な独自の研究を進めていくのが、超プライベート空想冊子『暮しと妖怪の手帖』。妖怪を考え、社会を考え、人を考え、自分を考え、現代における“妖怪と人の共存”のあり方を模索していけるようなダイナミズムを持ちたいと思っています(嘘)。