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2F/当番ノート

結婚について

当番ノート 第2期

結婚というのは素晴らしい。
好きな女の子とずっと一緒にいられるから。
世界が認めてくれる。
「君たちは家族だよ」と。

誰かと会うとき、
僕は照れながら、でも誇らしく、
となりにいる妻を「妻です」と紹介する。

僕たちが結婚式を挙げたのは、
妻の故郷にある小さな教会で、
イタリア人の神父様がいた。
妻は幼い頃にそこで洗礼を受けていた。

結婚するまでの数ヶ月間、
僕らは毎月教会に通って「勉強会」をした。
神父様からマンツーマンで、
結婚とはどういうものか、夫婦はどうあるべきか、
などなどを教わるのだ。
僕はクリスチャンではないけれど、
カトリックの神父様に結婚式をお願いする場合、
こういう勉強を経てからでないと、
神父様は結婚を承認してくれないのだ。
そういう仕組みはすごく正しいなと思ったし、
古い建物の小部屋で難しい話を聞くのは、
中学校か高校に戻ったみたいで懐かしかった。
何より神父様に会うのが楽しかった。
神父様はイタリア人らしくとても陽気で、
細かいことを気にしない方だった。

毎回「勉強会」が終わると、
次はいつお会いするか約束してから別れるのだけど、
翌月、約束の日に教会に行くと
神父様は心底驚いて、
「今日ダッケ…」みたいな顔をするからおかしかった。
そして少し考えてから、
「今日デモ、ダイジョウブデスヨ」と言うのだ。
神父様は僕らを勉強部屋に招き入れると、
いつも濃くておいしいエスプレッソを淹れてくれた。

時折、妻と「あの時何を教わったっけ?」
と話すけれど、僕らはほとんど何も覚えていない。
覚えているのは、神父様のあの驚いた顔とか、
いつも淹れてくれたエスプレッソの味とか、
ミサに集まっていたフィリピンのひとたちの笑顔とか、
教会の灰皿がきれいだったとか、そんなようなことだ。

僕らはラジオやテレビで「イタリア」という単語を聞くたびに、
あの神父様のことを思い出す。そして目を合わせて笑い合う。
そんな時、神父様が僕らにくださったのは、
難しい教えではなくて、
共通の思い出なんじゃないかと、
思ったりもする。

神父様は毎年、
僕らの結婚記念日に手紙を送ってくれる。
今年の3月にもお祝いの言葉をくださった。

けれど、5月にまた神父様から手紙が来た。
誰かの結婚記念日と間違えていたみたいだった。
僕らはそれを見て笑った。

 

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