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8月/運命とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【8月のヤバい女の子】

⚫︎累(累ヶ淵)

運命によって二度死んだ女の子がいる。彼女は名前を「かさね」といい、その前は「助」といった。
彼女は幽霊となり、あらゆるものに復讐した。

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《累ヶ淵》

あるところに与右衛門という百姓の男がいた。妻の杉には連れ子がいた。子供は助といった。
助は足が悪く、また与右衛門には器量も悪く見えた。両親は助を川へ突き落として殺した。

翌年、与右衛門と杉の間に新しく女の子が生まれた。彼女は累(るい)と名づけられたが、死んだ助にそっくりだったので「助がかさねて生まれてきた」という意味で累(かさね)と呼ばれた。
かさねの両親は相次いで亡くなり、彼女は流れ者の男 谷五郎を婿に取った。谷五郎はかさねの器量を悪いと感じ、彼女を好きにならなかった。男は他の女性と結ばれたいと思い、かさねを川へ突き落として殺した。夏の日だった。

谷五郎は晴れて独り身となり、別の女性と結婚する。しかし新しい妻はすぐに死んでしまった。
また別の女性と結婚。妻はすぐに死んでしまった。また別の女性と。妻はすぐに。永訣は立て続けに5回起きた。
やがて6人目の妻 きよとの間に待望の第一子が生まれる。女の子だ。両親は菊と名づけて可愛がった。

菊が成長した頃、怨霊が彼女に取り憑いた。谷五郎が錯乱する娘の名を呼ぶと、娘は言った。
「私は菊じゃない、おまえの妻のかさねだよ」

その瞬間、男は何と思っただろう。彼はほうほうのていで近くに滞在していた祐天上人に助けを求めた。
祐天上人はかさねの幽霊を供養し解脱させたが、菊の中にはもうひとりの怨霊がいた。名を聞くと助という。
祐天上人はもう一つ戒名を用意し、ふたりの幽霊はようやく怒りを鎮めてこの世を去った。

今日では累ヶ淵は四谷怪談、牡丹灯籠、播州(番町)皿屋敷と並んで日本四大怪談とか四大幽霊とされている。

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かさねは助によって誕生した。もしも助が両親に殺されていなければ、かさねは全く違う姿で生まれてきただろう。
かさねが「醜い」とされる顔で生まれて彼女を愛さない者の手によって川へ落とされることは、助が「醜い」とされる顔で生まれて彼女(彼かも)を愛さない者の手によって川へと落とされたことに由来する。かさねが生まれる前に、彼女の人生は殆ど決まっていたのだ。

それにしても、生まれたときから大体の人生の筋書きが決まっているなんて、そんなふざけたことがあるだろうか?
何によって生まれ、どう生きて、どんな最期を迎えるのか、それらがあらかじめ運命づけられていたとしたら、こんなにも腹の立つことがあるだろうか。

ところで、私自身について、私が自分で決めたことが、果たしてどれほどあるだろう。私の顔は私が決めたものでない。髪の色。身長。好きな食べ物。嫌いな食べ物。センチメンタルの源泉。言語。国籍。職業。趣味。土曜日の朝の過ごし方。死期。邂逅。
それらは私が自分でコントロールしているように思えるが、なかなかどうして、時代や土地によって生まれる前から大まかに決まっているのだろうか。

「こんな女に誰がした」という歌詞が昔ありましたね。第二次世界大戦後の娼婦についてつづった菊池章子の「星の流れに」です。
この曲が広く知られるきっかけとなった女性、有楽町で街娼をしていた通称“ラク町のおトキ”さんはラジオ番組の隠し録りインタビュー(すごい企画ですね)にて、「みんな“パンパン”は悪いッて言うけど、戦災で家も仕事もないし、カタギになろうとしたら後ろ指さされるし、どうしろってんだい」というようなことを言っている。彼女は番組の最後に「星の流れに」を口ずさんだ。

自分の半生について、どうして、いつの間にこうなってしまったんだろう…と不思議に思うことはあるでしょうか。
どこかで何かアクションを起こしていれば、変わっていただろうか。何かを覚悟していれば。あるいは最初から何もしなければ。今と違う今があったのだろうか。私はあったかもしれないと思います。あったかもしれないし、なかったかもしれない。

こんなことを書くのは気が引けますが、どうしようもないことというのはたまにありますね。絶対に私のせいではない。あなたのせいでもない。そしてもうどうしようもない。そういうことは、あるものですね。

かさねが「醜い」とされる顔(助の顔です)に生まれ、生きて、川に落とされて死んだのはかさねの力でコントロールできなかったことだ。その原因となった助が「醜い」とされる顔に生まれ、生きて、川に落とされて死んだのも彼女(彼)の力でコントロールすることはできなかった。
彼女は一方的に生き方を決められ、それは彼女の力ではどうしようもなかった。そして死後、復讐をした。

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私は死んだらーーできるだけ長生きしたいですがーー幽霊になりたい。
幽霊は死なない。幽霊は殺されない。幽霊は誰を許して誰を許さないか自分で決められる。おばけにゃ学校も試験もない、というわけです。ディズニー・ランドのアトラクション、陽気な「ホーンテッド・マンション」が理想の死後の暮らしです。

かさねは幽霊になって、生前の原理原則をぶち壊すことができた。彼女はレギュレーションを飛び越えた。
祐天上人がかさねを除霊したあとで、さらに助の幽霊が登場したとき、私は心底安心しました。
助の幽霊が独立して存在するということは、かさねは助の生まれ変わりだとか、生まれ直しだとかではなかった。
かさねは彼女自身として生きた。いまただここにいる自我は、かさねのものだった。かさねはかさねの怨みを叶えたのだ。
私たちは気づいたらこの世にいて、今みたいになっていて、それはどうしようもなかったかもしれないし、あるいはもっとよくできたかもしれない。ただ私は確かにここにいる。そして暴れることができる。

もしもいつか死んじまって、なすすべなく地獄に落ちてしまったら、熱い地獄でおいしいものを食べよう。これは私の想像なんだけど、天国より地獄の方がお肉がおいしそうじゃない。ジビエの店があるといいよね。
かさねがさね、いくひさしゅう幸多かれと祈ります。

はらだ 有彩

はらだ 有彩

はらだ有彩(はりー)

11月16日生まれ、関西出身。
テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作るテキストレーターです。

mon・you・moyoというブランドでデモニッシュな女の子のために制作しています。
mon・you・moyoとは色々な国の言葉をパッチワークにしたもので、「もんようもよう」と読みます。
意味は(わたしのあなた、そのたましい)です。
デモニッシュな女の子たち、かわいくつよいその涙をどうか拭かせてほしい。

Reviewed by
柳本 々々

少しでも希望があるのならおまえは行動する。希望はまったくないけれど、それでもなおわたしは……あるいはまた、わたしは断固として選ばぬことを選ぶ。漂流を選ぶ。どこまでも続けるのだ。
       ロラン・バルト「行動」

   *

今回のはりーさんのエッセイは怪談・累ヶ淵と〈運命〉をめぐるお話でした。

「死んだら…幽霊になりたい。ディズニー・ランドのアトラクション、陽気な「ホーンテッドマンション」が理想の死語の暮らしです」と語るはりーさんですが、わたしも実はホーンテッドマンションに行くたびに、ここの1000人目のゴーストになれたらいいのにな、と思っていた時期がありました。

ホーンテッドマンションには999人の亡霊がいて、1000人目をいつでも出迎えているのです。

でもホーンテッドマンションを、ホーンテッドマンションの前に広大に展開する墓場を抜けてもやっぱりわたしはわたしで生者として千葉に降り立つのです。わたしがどんな場所を、どんなにファンタスティックな場所を抜けても、わたしはわたしとして生きるしかないことを感じとりながら。

ディズニーランドはそんなことを教えてくれる場所でもある。巨大なひとつの〈あきらめ〉として。

ホーンテッドマンションには、こんなナレーションが入ります。

「この館は、嬉しいほどに住みにくい」と。

これって、〈運命〉にすこし似ているのではないでしょうか。

〈運命〉を生きようとしたり、住み込もうとすることは、ときに「住みにくい」ことが多いかもしれない。じぶんが考えていた、思っていたものとはちがうことが多いかもしれない。おそらく怨霊となった累(かさね)もそんなふうに感じていたはずです。この世界にディズニーランドのような場所なんてないじゃないか、と。わたしはホーンテッドマンションにさえすめない、わたしを殺した男を怨んで怨んで怨みつづける怨霊にしかなれないと。

〈運命〉とは、ホーンテッドマンションのナレーションにしたがえば、「凍るような寒さになったり、焼けつくような暑さ」のえんえんと延びる〈長い廊下〉をときに味わう場所かもしれない。

けれども、やはりホーンテッドマンションのナレーションにしたがえば、その「住みにくさ」こそが「嬉しさ」につながることもあることが大事なのではないかともおもうのです。〈それでも生きる〉ことの〈力強さ〉につながってゆくことが。

なぜなら、「累(かさね)」が〈それでも〉亡霊として生きることを〈選んだ〉ように、〈運命〉とは実はわたしが、いま・ここで、ほかになにも考えられず、〈こう〉しようと思っておこなう〈選択〉だからです。

たしかに〈運命〉は〈住みにくい〉かもしれないけれども、わたしはいま・ここで〈これ〉を選択しようとおもった。その他の選択肢は、わたしがこれから生きていくうえで要らないとおもった。この・これだけが、わたしは大事だとおもった。この・これだけが欲しいとおもった、生きようとおもった。どんなにこの選択があやまちであっても、住みにくかったとしても、わたしはこの選択肢を生きることに〈意味〉を感じた。

それが〈運命〉なのではないでしょうか。運命から働きかけられるわたしなのではなく、運命に働きかけるわたしこそが。このわたしそのものがアトラクションになることが。

はりーさんは書いています。「かさねは彼女自身として生きた」そして「私は確かにここにいる。そして暴れることができる」と。

はりーさんにしたがって、わたしもいつでも「暴れる」ことをはじめることができる「ここ」をもって生きていることを大事にしたいと思うのです。その「ここ」を忘れないでいることが〈運命〉だということを〈積極的〉に思い出していたいとおもうのです。あきらめながら。でもあきらめてもあきらめてもつっぷしてもつっぷしてもたちあがってくるあふれるちからに、つきうごかされながら。

   *

ぼうっとしているあいだに月日は流れ、私はもう、おばあさんだ。年齢を重ねていくと、あきらめることが増えていく。それがとても楽しい。様々なことをあきらめていく。失恋が好き。あの人をあきらめられる。失業が好き。買い物をあきらめられる。あきらめていくと、素っ気ない私が見えてくる。自分が明らかになっていく。…あきらめてもあきらめてもしぶとく私が残る。どんどんあきらめていくと、飲み干したあとの、ラムネ瓶で揺れるビー玉のように、自分の芯だけが、自分の体の中で、カランコロンと音を立てて残る。そのビー玉は、なんでもやりたがるし、どこまでも転がる。…どんなに捨てても、立ちのぼる欲望だ。丸い指、薄いまぶた、太いもも、これが私だ。あきらめてもあきらめても、生きていける。自分は、すごい。
     山崎ナオコーラ「あきらめるのが好き」『指先からソーダ』

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