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5月/我慢とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【5月のヤバい女の子/我慢とヤバい女の子】

●飯喰わぬ嫁

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《飯喰わぬ嫁》

あるところに独身の男がいた。彼はとてもけちだったので、「結婚すると妻の食費がかかる。飯を食わない女がいたら結婚してもいい」と言ってずっとひとりで暮らしていた。
まわりの友達は(この調子では、こいつはずっと独り者だ)と思っていたが、意外にも彼はある日突然結婚した。何でも、ほんとうに飯を全然食わない女だという。
そんな人間がいるはずがない、悪いことは言わないからやめておけと皆とめようとしたが、男は少しも聞かなかった。

理想の妻と出会って男は満足だった。朝から晩まで働くし、器量がよく、何より食事の必要がない。しかし新婚生活を送るうち、彼は微かな異変に気がついた。
蔵に貯めてある米が減っている。明らかに自分ひとりが消費した量ではない。
どう考えても犯人(犯人!)は妻である。男は仕事へ出かけるふりをしていつもどおりに家を出てすぐ引き返し、隠れて妻を見張ることにした。
家に残った妻はてきぱきと掃除などしていたが、おもむろに台所に立つと大量の米を炊きだした。炊けるそばからどんどん握る。みるみるうちに握り飯の山ができる。
彼女は満足そうに白米の山を見下ろすと、さっと髪を解いた。

男はあやうく叫びだすところだった。頭の後ろにぽっかりと大きな穴が空いている。それは口だった。くちびるがあり、歯があった。妻のうつくしい顔にすっきりとついている口よりも、何倍も大きかった。
おもむろに細い指が握り飯を掴み、ぽいぽいと後頭部の口へ投げ入れる。何十個も並んだ握り飯は一瞬にして消え去った。それだけでは満たされなかったのか、彼女は棚を物色し魚をいくつか穴に放り込んだ後、元通りに髪を結った。そこには朝自分を見送った麗しい妻がいたが、男にはもはやそう見えなかった。
彼は蒼白になって夕方まで時間をつぶし、普段どおりを装って帰宅した。開口一番こう言った。「離婚しよう。」
妻は悲しんで、男の作った桶をくれるよう頼んだ。震える手で桶を差し出すと、女の手は桶ではなく夫の腕を掴んだ。彼の体は宙に浮き、そのまま桶の中に投げこまれる。か細い妻は成人男性が入った桶を軽々担いで突然走りだした。
このままでは殺される。恐ろしい道行きが山へ差し掛かったとき、運よく木の枝が垂れ下がって伸びていた。必至に桶から飛び出してそれを掴む。彼女はすぐに気づいて追いかけてきた。足がとんでもなく速い。足が尋常でなく多い。もはやどこからどう見ても鬼であり、山姥であり、まるきり蜘蛛のばけものであった。
もうだめだと思った瞬間、目の前に菖蒲の草むらがぱっと開けた。もんどりうって飛び込む。恐ろしい化け物はそれ以上追いかけてこなかった。毛むくじゃらの足をばたつかせ、口惜しそうに草むらの周りをうろうろしていたが、しばらくしてどこかへ消えてしまった。
このことがあってから、五月の節句にはどこの家も菖蒲を飾るようになった。

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食べなければ人間は死ぬ。
「飯食わぬ嫁」は「食わず女房」「口なし女」など名前を変えストーリーを変えて派生し、口なし女はその名の通り口がない。これらの物語の中には「見かけ上の口(あるいは存在しない口)」と「真実の口」の二つが存在する。
口という器官は私たちの生活にたびたび登場しますね。口がなければ話せない。叫べないし、食事ができない。(接吻だって、学校帰りにつつじの蜜を吸うことだってままならない。)
口はふたつの機能を持っている。ひとつは周囲とコミュニケーションを取り、外部を変容させる(あるいはわざとさせない)機能。もうひとつは自分以外のものを取り入れ、内部を変容させる機能だ。これらは明確な意思によって管理されている。私たちは話したいと思って話すし、生き延びるために食事する。とりわけ食欲とは何かを吸収して存続・成長へと向かう欲求だ。

男は彼女が全く食事をしないと思っていた。彼女の口が機能せず、何も主張せず何も求めないことはとても都合がよかった。彼の目には飯を食わない女より、自分の想定しない方法で飯を食う女の方が異様に見えていた。

この物語はハッピーエンドになり得ただろうか。
もしほんとうに彼女が食事を望まないなら、何も問題はなかった。(多少疑問は残るが一応)運命の出会いだ。そうでなくても彼女が自分の食欲を抑え、気づかれない程度に米の消費を抑え、のびのびとしていない心持ちで毎日を過ごしていれば、この結婚生活はもっと長く続いたはずだ。
でも実際には食べるのである。それも人一倍。
私だって自分ががまんしてこの暮らしが続けられるなら、変わろうと思ったよ。でもだめだった。お腹がすくんだもの。

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私にはどうしても分からない疑問がある。彼女の目的はぜんたい何だったのだろう。

髪を結び正体を隠して来たのだから、彼女には男と同じ生物のふりをする意図、それなりに村の生活に適した状態でいようという努力があった。それはけっして彼女の思うままの生活ではなかった。くちびるを髪の下に押し込め、好きな時間につまみ食いできず、労働を要求する夫に応える暮らしだ。
わざわざホームからアウェイへやってきて、不自由な生活を強いられてなお彼女が「食べない女」という枠に自分を当てはめ続けた理由は何だったのだろう。
容易に想像できるのは以下の3つである。

⑴空腹なので人間を食べに来た。
⑵人間の暮らしに潜り込み定期的に食事を摂取できる環境を手に入れたかった。
⑶好きな男と一緒になりたかった。

私はこのどれもがぴんと来なかった。既に空腹であれば男とエンカウントした時点でたいらげているだろうし、定期的に食事にありつくための扮装にしてはまどろっこしい。劇中、男の魅力や恋についての描写も特に無い。恋焦がれて来たならば、正体がばれたショックで勢いあまって殺してもよさそうなものだが、彼女はそうではなかった。クライマックスでようやく、彼女は男を食べようとした。

おそろしい穴という意味で男根を喰いちぎる膣、ヴァギナ・デンタタという言葉を使うことがありますね。イタリアの真実の口は偽りの心がある者の手を噛み千切るという。怪物公園の地獄の口なんか、完全にやばいところへ連れて行かれそうではないか。口はこの世とこの世ではないどこかを繋ぐ恐ろしい穴、すべてを飲み込む暴力的なブラック・ホールと位置づけられることがある。しかし私には彼女が明確な意思を持った殺人鬼だとは思えないのです。
彼女のふるまいには、どこか曖昧な戸惑いを感じる。私はそこに「行動を即決できるほど強い意思」がなかったのではないかと思います。
出会いがしらに襲い掛かるほど腹は減っていなかった。正体を見られたら生きていけないほどには男を愛していなかった。だから彼女は選択を後回しにした。この場合の後回しというのは、すぐ殺さずにとりあえず拉致して走り去るということです。

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ここから先は完全なる想像ですが、彼女は大きな決意のもとやってきたのではなく、なんとなく、ふらりと来た。一応、そうしてみようかな。それも悪くないかもしれないな。
私はこのことについて良いとか悪いとか言いたいのではない。例え何が起きても構わない、絶対に初志貫徹すると完璧に決めて開始できることは日常生活において存外少ないなと思うのです。だけどスタートは自然発生的にすべり出す。成り行きのように望まない事態に行き着いて、不完全な不満による破壊とともに生活が終わってしまう。

ーーなんだか、今していることに何の意味もないような気がしてくる。これは不運のみによって引き起こされた事態じゃない、確かに私の意思で始めたことだった。だけど何のためにここでこうしているんだっけ。私のしたいことは何だっけ。
私の中の真実の口は明らかに求めている。この生活のルールではそれに応えることができない。だけど、このルールって、どこから来たものなんだっけ。

彼女は今なら軌道修正できると思った。そしてそれを実行した。具体的には空腹を我慢するのをやめた。

彼女は一人に戻ってとても楽になった。もう髪をしばらなくてもいい。おなかがすいたら誰の目もはばからず好きなだけ食事をしてもいい。
とりあえずミスター・ドーナツの100円セールへ行こう。それからパテとブルーチーズと鳩。メインにもう一皿猪か鹿。ついでにブーダン・ノワール。野菜はまあ、明日で良いことにする!胡桃のつゆの蕎麦でいったん締めて飲みなおそう。花のお酒とフルーツ。飲んだことないけど、強い焼酎。黒いワイン。そうそう、それから明け方のラーメン、私はわんたんが大好きなんですよ。まだ足りなければファミリーレストランが24時間OPENして私たちを待ってくれている。それでも食べ足りないなら日付変更線を越えて朝食を食べに行きましょう。モーニング・コーヒーで、乾杯。

はらだ 有彩

はらだ 有彩

はらだ有彩(はりー)

11月16日生まれ、関西出身。
テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作るテキストレーターです。

mon・you・moyoというブランドでデモニッシュな女の子のために制作しています。
mon・you・moyoとは色々な国の言葉をパッチワークにしたもので、「もんようもよう」と読みます。
意味は(わたしのあなた、そのたましい)です。
デモニッシュな女の子たち、かわいくつよいその涙をどうか拭かせてほしい。

Reviewed by
柳本 々々

ある日 脂肪はつき始め どんどん増殖しはじめる/体のどの場所へももぐり込んで離れない/あたしはまるでずっと脱げない/肉じゅばんを着ているようだ
    安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て』

   *

今回のはりーさんのエッセイを読んでいて思ったのが、口って、そもそも〈普遍的〉じゃないんだなっておもったんですね。

たとえば、はりーさんが紹介していた昔話「食わず女房」では、男がなんにも食べない妻がほしいっておもっているんだけれど、その時点で、男が女から口を奪う話になっているわけですよ。それって象徴的で、女の口を奪うことで、男に口を出すな、自立的に食べることさえするなという食欲=性欲も抑圧しているのかなあっておもうんですよね。

でももっと面白いのは、女には実は隠していた怪物的な〈なんでも食べる口〉があってその口によって男さえも食べようとしているってことです。この昔話ではそうなってますよね。

つまり、男が抑圧したものは、もっと大きなものになって還ってきている。というよりも、最終的に男の口/女の口がひっくりかえる話なんです。女の口を奪った男は女の口の逆襲にあう、というか。そんなふうにこの昔話って、口をめぐる抑圧と回帰をめぐる物語なのかなあっておもったんです。

で、ですね。私は、はりーさんがこのエッセイのタイトルに《がまん》をつけたのが示唆的だとおもうんです。この昔話からはりーさんは《がまん》というテーマをひっぱりだした。それが興味深いなって。

なんでかっていうと、がまんって抑圧ですよね。でもどれだけひとってがまんしたり抑圧したりしても、がまんしきれずに、もっとオーバーにがまんしていたものをやってしまう。やりすぎてしまう。食べるのをがまんしちゃったせいで過食しちゃったりしちゃう。

そう、このエッセイの最後にも食べもののことが書いてあるんだけれど、口のがまんって《拒食/過食》と関係があるわけですよね。しかもこの昔話の形式を借りるなら、《拒食/過食》ってじぶんの《口》の問題じゃなくて、関係のなかの口、もっともっと痩せてみられたい、とか男性的な視線のなかで、じぶんの《口》がどう関係していくかとかかわりがあるのかなっておもったんです。

そうかんがえると、昔話「食わず女房」っていったいなにが目的の話なんだってはりーさんが疑問をかんじたように今の時代のなかで考えなおしてみてもいいのかなあっておもうんですよ。口、から。

安野モヨコさんの《拒食/過食》をめぐるマンガに『脂肪と言う名の服を着て』ってありましたよね。わたしはこのマンガはタイトルの通り、「脂肪」という口から吸収された身体が、つねに着脱可能なファッションとしての「服」として視線にさらされてしまうという現代版の「食わず女房」なのかなあとも、おもうんですよ。つまり、このマンガでもたえず口が誰かに奪われていくわけです。わたしの口がわたしのものにならない。わたしが口に摂取したものは、脂肪として、服として、さらされていってしまう。

でも、わたしの口はわたしの口なんですよ。それはだれのものでもない。

だからわたしもはりーさんとおなじく、ときどきは口を口のまま解放してあげて、ほかの誰でもないあなたの口として、ミスタードーナツの百円セールに行こうよ、っておもうんです。ふらっと、でいいんですよ。はりーさんも書いていたように。

それでいいんだよ、と。ポン・デ・リングおいしいじゃないか、と。

ね。

   *

絶え間なくうごくマスクの奥に口ほんたうにいい一生だつた  山川藍

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