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8月/幽霊とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【8月のヤバい女の子/幽霊とヤバい女の子】

●お菊

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《皿屋敷(落語)》

ある夏の夜、一人の男が肝試しをしようと言い出した。
近くにかの有名な番町皿屋敷跡がある。青山という男が美しい女中お菊に横恋慕するが相手にされず、腹いせに家宝の十枚一組の皿を一枚隠し、菊に濡れ衣を着せて指を切り落とし、井戸に吊るして殺してしまった……というアレだ。青山の屋敷には今もなお古い井戸がぽっかりと残っていて、夜な夜なお菊の霊が現れ、皿を数えるらしい。九枚しかない皿を恨めしそうに抱え「一枚足りない」と言ってすすり泣くという。
男は仲間を連れて番町へ向かうことにした。道中、「九枚目まで数えるのを聞いてしまった者は命を落とすらしい。」「六枚目くらいで逃げ出せば大丈夫だろう」と何度も確認しあった。

いざ屋敷跡に忍び込むと、辺りは恐ろしい空気に包まれていた。重苦しい湿気が立ち込め、真っ暗な庭の中で件の井戸がひときわ黒く口を開けている。恐怖の中で目を凝らし耳を澄ます。
ふと、違和感を感じた。空耳だろうか? 何か聞こえるような気がする。吐息とも嗚咽ともつかないような、細く搾り出すような、女の―――――声。
ざあっと血の気が引くのを感じながら男は何とかその場に踏みとどまった。と、いうより動けなかった。
本当に、目の前に、幽霊がいる。薄青く透き通っていて、どす黒い目をしている。くちびるが戦慄いて、そこから不穏な音が漏れ出ている。
「一枚」
くぐもって聞き取りにくいが、確かにそう言った。数えているのだ!皿を!
「二枚」「…三枚」
白い指が何かをなぞるように震える。
「四枚、」「五枚」
声が、だんだん泣き出すみたいに歪んでいく。
「六枚」
そこではっと我に返る。六枚、六枚で逃げなければ。自分と同じように放心状態の友人たちを半ば殴るようにして気づかせ、男は一目散に逃げ出した。
屋敷を飛び出して安心すると、恐怖は達成感となり、彼らは大いに盛り上がった。マジで怖かった、ガチでホラーじゃん、とか誰々はビビりすぎて泣いてた、という話で酒が進む。
それにしても、あの幽霊!安全な場所で冷静に思い出してみると、あれは美女だった。涼しくなるどころか、頬が上気してしまう始末である。男たちは自身の武勇伝と暑気払いにぴったりな怪談とともに、美しい幽霊のことを話して回った。

数日後、「美人幽霊」の噂は町中に広まり、屋敷の前には人だかりができていた。みんな菊を一目見ようと押し寄せる。商売っ気のある者が酒や食べ物を売り始め、歌舞伎さながら屋号を叫ぶ者、アイドルのコンサートよろしくブロマイド(似顔絵)を売る者まで続出し、辺りは毎晩お祭り騒ぎである。
夜が更けると満を持して菊が登場し、皿を数えだす。本人も大勢の人に注目されて悪い気はしないらしい。案外愛想よく対応している。愛想が良いのでさらに人気が出る。人々はわいわいと集まって丑三つ時を待ち、六枚目まで聞いたところで退散するという毎日が続いていた。

しかしある時、とうとう会場に人が入りすぎてスムーズに脱出できなくなってしまった。出入り口がぎゅうぎゅうに混み合い、六枚目を数え終わったにもかかわらずまだ大勢の人が庭から出られないでいる。それでもカウントは止まらない。
「七枚」
それまで楽しげだった観客は一転してパニックになり、ないがしろにされていた恐怖が呼び戻された。そうだ、忘れていたけど、彼女は怨霊だった。
「八枚」
ああ、もうだめだ、と目をきつく閉じる。
「九枚」
皆泣きながら覚悟した。一枚足りない…という言葉を聞いて自分たちはここで全員死ぬのだ。
「…十枚」
と、思ったが、死ななかった。
「十一枚、十二枚、十三枚…」
どよどよとざわめきが広がる。えっ、何か多くない?足りないどころか、ちょっと余ってない?
「…十七枚、十八枚。」
最後の方はかなり事務的に済ませ、ようやく菊は黙った。恐る恐る、常連客が尋ねる。
「お、お菊ちゃん、十八枚って何だよ」

菊はにやりと笑った。
「私、明日休むから。二日分数えといたのサ」

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EPSON MFP image
毎年夏になると、「怪談」「肝試し」という言葉が街に溢れ返る。怖気の走る物語で涼しくなろうというわけである。
私は大の怖がりなので怖い映画も怖いテレビ番組も観ないけれど(怪談なら「●にも奇妙な物語」、ジェットコースターならスプ●ッシュ・マウ●テンでぎりぎりアウトというビビりです)、やっぱり夏の風物詩として認識している。夏と言えばスイカ、花火、プール、そして怪談。確かにコテコテに認識してはいるのだが、そしてマジレスで白けさせてしまうことは百も承知なのだが、怪談でゾゾ~ッと涼しく…!というのは少々デリカシーがないのではないか…と毎年気になってしまう。私はこれを「『涼しく』ってお前!こっちは死んでるんやぞ問題」と勝手に呼んでいる。
怪談を好んで聞くというのは、そこにエンターテインメントを見出しているということだ。「ヒエ~怖い!」と言うとき、真剣に胸を痛め、手を合わせる人はあまりいないだろう。怒られそうなので先に言い訳しますが、私は別に、ホラーを好む人が人間の心を失っている!とか言いたいわけでは全くない。ただ、本人(本霊)が「『涼しく』ってお前!こっちは死んでるんやぞ」とキレたりしないのかな…と子供の頃から気になり続けている。そしてビビり続けているのだ。
あまつさえこの物語では、涼しくを通り越してちょっと面白くなってしまっているではないか。
 
 
 
「お菊さん」といえば、なんてったって日本三大怪談のタイトルロール、「お露ちゃん」「お岩さん」と並んで日本で最も怖がられる女の子だ。
三人のうち、元々幽霊だった「お露ちゃん」は恨みの出自よりも強大な怨霊パワーの方に焦点が当てられている。しかし「お菊さん」「お岩さん」は幽霊になった原因として具体的なエピソードがあり、それは例えば友達の身に起きたことだったら、気軽に聞きだすこともできないようなたいへんな出来事なのだ。
これらの怪談は、断りなく上演・リメイクしすると祟りがあると言い伝えられているため、映画監督や俳優さんが縁の神社へお祓いに行く習慣がある。しかしここでもまた気になることがある。「祟りがある」から「お祓いに行く」というのは、「お前を絶対に意思疎通できない存在、対話することなく攻撃をしかけてくるクリーチャーのような存在とみなしている」という意思表示になるのではないかと思ってしまうのだ。私はこれを「葬式帰りに玄関先で塩かけるのか問題」とか「お祓い逆に失礼じゃないか問題」と勝手に呼んでいる。これも怒られそうなので先に言い訳しますが、私は別に、塩をまいたりお祓いをすることをやめろ!とか言いたいわけでは全くない(ちなみに報・連・相はした方がいいと思う)。ただ、幽霊という設定になったことで、菊は人々の認識の中でアイコン的にイベント的に抽出され、キャラクター化してしまった。時に敵キャラ、時にギャグキャラとして引っ張り出される彼女には、だけど生前、一人の少女として、一人の人間としての人格があっただろう。それは永遠に忘れ去られてしまったのだろうか。
番町皿屋敷といえば、播州皿屋敷もある。番町と播州は言葉が似ていることもありしばしば混同される。(どうでもいいが、私は関西に生まれ育ったため完全に「播州」過激派で、初めて番町と聞いたときには「へ~え?」と思ったものだ)。名前のみならず、皿屋敷はいくつもの派生がある。権力争いに巻き込まれた菊が皿を割ったと因縁をつけられ殺された。青山が美しい菊を贔屓したことに嫉妬した青山の妻(または女中仲間)が皿を隠した。青山の愛を試すために菊が自ら皿を割った。などなど。
いずれにしても菊の命は皿よりも軽んじられて失われる。薄い陶器ひとつのために、菊の人生は大きく変わってしまった。どれだけ元の自分に戻りたいと願っても、もう二度と戻れない存在にされてしまったのだ。
 
 
 
毎晩、六枚目で観客が逃げ出したあと、菊は一人で何枚まで数えたのだろう。
ラストシーンで、観客は「なぜ十八枚まで数えるんだ」「なぜ九枚ではないのか」と聞いた。彼らにとって「お菊さん」はいつでも恨みがましく九枚の皿を数え続ける存在なのだ。「恨みを持った被害者ならこういう振るまいをするだろう」という期待を込めて菊を見ている。ずっと恨み続けることのつらさや重さ、一人の人間が死んだときの心情、それから随分経ってもしかして少し元気になれること。そういうことはあまり重要ではない。彼らは直接菊に危害を加えたわけでもなく、全く悪人ではない(むしろ気の良い人たちだろう)けれど、「お菊さん」ではない菊の感情にはあまり目を向けない。
実は、菊はもうとうに恨みなんて忘れて、思いの他楽しく暮らしているかもしれない。幽霊になってみたら意外と天職かも!などと思ったかもしれない。怖い幽霊像を期待されることがそんなに嫌いではないかもしれない。もしももう恨みを忘れることができていて、気ままに暮らせているのならそれは確かに幸福なことだと思う。
あるいは、やっぱり世を呪い続けていて、こんな風に人々を集めては騙してまとめて殺そうとしているのかもしれない。(二日分とはいえ、彼女はラストまで数えきった。人々は九枚目まで、十八枚目まで聞いてしまった。『三年峠』の数字のトリックのように。)
どちらにしても落語の『皿屋敷』の菊は、自分で数をコントロールできる。そしてカウントするかしないかも自分で決められる。見物客は毎日詰めかけ、彼女の死と怨念を面白半分、ビビり半分で楽しみに来るけれど、だからといって菊がしなければならないことは何もない。してはいけないことだって、何もない。
 
明日は休むのサと菊は言った。彼女はワークライフバランスも自分でコントロールできる。明日はささやかな夏休みだろうか。お盆休みだろうか。お盆には亡くなった人の魂が戻ってくるという。ずっとこの世にとどまり続けている菊の魂はどこへ行くのだろう。
毎日、毎日、どこへ行っても嫌になるほど暑い。幽霊は自分で自分に怖がってゾゾ~ッと涼しくなれない。どうせどこへ行っても暑いなら、いっそ今年はハワイに行ってみるなんてどうかな。ショッピングモールには「aloha」とか「mahalo」と書かれたお土産もののお皿がたくさん並んでいる。多めに買って帰ってまた割れたときの予備にしよう。お盆の時期の旅行はちょっと高いけど、幽霊ならタダだからね。
/終

はらだ 有彩

はらだ 有彩

はらだ有彩(はりー)

11月16日生まれ、関西出身。
テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作るテキストレーターです。

mon・you・moyoというブランドでデモニッシュな女の子のために制作しています。
mon・you・moyoとは色々な国の言葉をパッチワークにしたもので、「もんようもよう」と読みます。
意味は(わたしのあなた、そのたましい)です。
デモニッシュな女の子たち、かわいくつよいその涙をどうか拭かせてほしい。

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