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7月/「あげまん」とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【7月のヤバい女の子/「あげまん」とヤバい女の子】

● 炭焼長者の妻

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《炭焼長者(再婚型)》

東の長者と西の長者は仲が良かった。
長者の妻が揃って妊娠していたある日、二人は待ち合わせして馴染みの釣り場へ出かけていった。
流木を枕にして休憩しているうちに東の長者は眠り込んでしまう。西の長者が一人で起きて潮の様子を見ていると、どこからかボソボソと話し合う声が聞こえてきた。
見ると、自分たちが枕にしている流木に、竜宮の神が話しかけているではないか。
 「…流木の神、聞いた? 東の長者と西の長者の妻が、ついさっき子供を産んだらしい。私と一緒に二人の家へ行って、子供に《位》を授けてこようよ」
 「今私はこの通り枕にされていて動けないから、竜宮の神、悪いけど一人で行って来て」
 「わかった」
竜宮の神は姿を消し、しばらくして戻ってきた。
 「どうだった?」
 「東の長者の娘に《塩一升の位》を、西の長者の息子には《竹一本の位》を授けてきた」
 「まじ?《塩一升》ってかなり良いじゃん。やりすぎじゃない?」
 「いやいや、東の長者の娘は《塩一升》に引けを取らないくらい、良い逸材だったよ」
《位》とは人の一生を左右する運命の象徴、器のサイズ、幸福の分量である。《竹一本》では、あまりに息子がかわいそうだ。何とかしてやらなくては。
わが子にショボい位を授けられた西の長者は焦って東の長者を揺り起こし、何食わぬ顔で提案した。
 「俺らは友達だ。君のところの子供が男でウチの子が女だったら、わが家の婿にするといい。君のところが女でウチが男なら、婿にやろう。」

東の長者の娘と西の長者の息子はすくすくと成長し、やがて二人とも十八歳を迎えた。生まれた日に両家の親に取り決められた約束に従い、西の長者の息子は東の長者の娘の婿になった。
しばらくは平和に暮らしていたが、五月のある日、事件が起こる。
大麦の収穫祭の日、娘は神様に供えるために麦飯を炊き、祝のため夫にも食べさせようとした。夫は差し出された茶碗を見て怒り狂った。
「俺は白米なんだ。こんな麦飯食えるか!」
そう言って、用意されたお膳を蹴り飛ばす。麦の飯粒がこぼれ、茶碗が転がった。
娘は静かに口を開いた。
「もうこの家であなたと暮らしていくことはできない。家財は父があなたに譲ったものだからどうにでもするがいい。私はあなたが蹴り飛ばした麦飯と茶碗だけを拾って出て行こう」

娘が家を出ると、どこからかボソボソと話し合う声が聞こえてきた。見ると、倉の神たちが眉を顰めている。
 「今の見た?この家にいたら私たちもあの男に蹴り飛ばされるかもしれない」
 「炭焼をしている五郎という若者が信心深く働き者らしいから、そっちへ移ろう」
娘は良いことを聞いたと喜び、炭焼五郎の家を探し始めた。

五郎の家を見つけてからの娘の行動は素早かった。
まずは戸を叩き、一晩の宿を貸してくれるよう頼み込む。家に上げてもらったら、持ってきた麦飯を五郎に振る舞う。極めつけに、どうか自分を妻にしてほしいとプロポーズした。最初は身分の違いに尻込みしていた五郎だったが、娘の熱意に負け、とうとう結婚を受け入れた。
翌朝、娘は五郎に「あなたの仕事場の炭かまどをよく調べてみよう」と言った。五郎は不思議に思いながらも妻を仕事場に案内する。するとかまどの奥から黄金がゴロゴロと出てきた。娘と五郎はみるみるうちに富んだ。
その頃、元夫:西の長者の息子は落ちぶれていた。金に困り竹細工を売り歩くうち、男は五郎の家にたどり着いた。
元夫の顔を覚えていたので、娘は少し高めの値段で竹細工を買ってやった。元夫は彼女の正体に気づかず、(物の価値を知らないバカな女だ、ボれるだけボッてやろう)と大きな籠をさらに高値で売りつけようとする。
娘が昔蹴り飛ばされた茶碗を見せると、元夫はあまりの恥ずかしさに自害してしまった。
 「お前に供えるものは何もない。しかし毎年大麦の収穫祭の日だけ、麦飯を供えて祀ろう」
娘は一人、そう呟くのだった。

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「あげまん」という言葉がある。交際した人の運気を上げる女性を指すスラングだ。
言葉の成り立ちには諸説あるが、後半部分が女性器に由来しているという説が広く浸透している。
ちなみに男性の場合は男性器を示唆して「あげちん」と呼ばれる。

「あげまん(ちん)」という言葉には二つの要素しかない。
自分以外の誰かの運気を「あげ」ること。
「まん」または「ちん」に付随する性別であること。
私はこのかなり雑と言わざるを得ない言葉を見かけるたび、「まん」でも「ちん」でもどちらでも良いが、誰かを「あげ」た「まん」および「ちん」と呼ばれる人自身は果たして「あがる」のだろうか……または、誰かに「あげ」てもらえるのだろうか……と不思議に思っていた。言葉を構成する要素からは「あげ」られる側が恩恵を受ける構造しか読み取ることができない。

東の長者の娘は、生まれながらにして「塩一升」の位、つまり幸福になるポテンシャルを持っていた。
それに対して、幼馴染の西の長者の息子は「竹一本」の位を授けられている。竹一本という響きはちょっとかっこいいような気もするが、一生を託すには不十分だったようだ。
生まれながらにして運命が決まっているなんてかなりエグい。しかし、二人は途中まではあまり運命の影響を受けていないように見える。
だって、東の長者の娘は強運の持ち主のはずなのに、割と引きが悪い。
(時代とはいえ)生まれる前から勝手に結婚相手を決定され、しかもその結婚はあたたかい気持ちから決められたものではなく相手の親の打算によって計画され、そこで求められるのは自分の「福パワー」のみ。
いざ結婚すると夫はお膳を足蹴にするクソ野郎で、財産はその夫に譲渡されてしまう。
反対に、西の長者の息子も途中までは運命に反して安寧な人生を掴みかけていた。息子思いの父親によって危機は知らないうちに回避され、苦労のない長者人生が用意されていた。

「引きが強い」という言葉の「引き」からは、偶然の巡り合わせ、くじ引き、当てモン、などを連想させられる。予期せぬタイミングで、思いがけず良い成果が出るとか、問題が自然と解決する、というイメージだ。
しかし劇中、そんなラッキーは起こらない。最大のトラブルである麦飯のシーンでも、神様が夫を罰してくれるとか、夫が突然改心するといった「引き」が存在しない。
地面に投げ出された茶碗を見たとき、彼女は自分で怒りを表現し、別れを切り出した。もしも彼女が黙っていたら、明日も明後日も同じ日常が続いていただろう。
彼女は自分の運命を自身の手で軌道修正したのだ。


物語の序盤、彼女はラッキーチャームでしかなかった。ただ生まれ持った運命のみが求められ、彼女の思想や信仰には全く注意が払われなかった。
それは麦飯のシーンだけでなく、結婚してから今日という日までずっと続いていたのではないかと私は想像する。夫が麦飯をひっくり返し蹴り飛ばしたとき、彼女が「えっ急に何!?」とか「お前何やってんの!?」とか「ふざけてんのか!?」などの反応を示さなかったからだ。
もしかすると、似たような行動を普段から目にしていたのかもしれない。日常的にぞんざいな扱いを受け、いつかこの生活に終止符を打とうと決意していたのかもしれない。

それでは、なぜもっと早く出て行かなかったのか。
物語では一行で書かれていることも、現実の時間軸では一行でさっさと終わってくれない。一日は一日ないと終わらないし、十年は十年、十八年に経つのには十八年かかる。
十八年間、彼女はこの村で育ってきた。全く同じ日の同じ時間に生まれた幼馴染。友達同士の父親。
夫になる予定の幼馴染は、ちょくちょくドン引きさせるような言動をぶっ込んでくる。自分は父のことも愛しているし、昔から可愛がってくれた近所のおじさん(西の長者)も割と好きだ。あ〜、でもこいつと結婚するのいやだな〜。ノリが無理なんだよな〜。

私は、彼女の真価は福の総量ではなく、隠されたものを見抜く洞察力だったのではないかと思う。
物語の終盤、夫は自分の行いを恥じて自害してしまう。「恥じる」という概念を持っているということは、彼は案外話せるやつだった……とまではいかなくても、変化する余地、成長する余地があった可能性を感じる。(もちろん変化しない可能もある。)
どう考えてもソリの合わなさそうな婚約者を、夫を、彼女はずっと観察していた。うーん、この人は、どうだろうな。別に24時間悪いやつってわけじゃないんだけど。でもやっぱり許しがたい発言と行動が目立つ。それでも今後変わっていくかもしれない。
彼女は夫を見定めようとしていた。そして「どう」かのジャッジが下りたとき、彼女は去っていった。


続いて、炭焼五郎に対しても彼女は洞察力を発揮する。状況を把握し、もしかしてと思ったことを確認し、今あるものの価値を最大限に生かしていく。
その前に、コミュ力も遺憾無く発揮する。明らかにあやしい「突然現れたやたら身分の高い女」を信用させることに成功し、家に入れてもらってから麦飯を食べるまでのわずか数十分〜せいぜい数時間で五郎との人間関係を構築し、プロポーズを受け入れてもらう。
とはいえ、彼女にとって結婚は最終目標ではない。家はないし、財産もないし、家族も失ったが、彼女がこのコミュ力と洞察力を活用すれば生きていくことはさほど難しくないような気さえする。極端な話、うまく五郎を騙して金塊を奪い取ることだってできるだろう。しかし彼女はそうしなかった。

彼女が物語の中で、人生の中で、初めて行った意思決定は「与えられた環境と関係に疑問を持ち、破壊する」というものだった。一度目の意思決定によって、彼女は自分が何を許さないか、誰とともに生きたくないかを理解し、自ら選択できることに気づいた。勝手に決められた役割を返上し、望まない人間関係を清算した。それからふと、今度は新しい関係というものを、ゼロから構築してみようと思ったのかもしれない。
もちろん彼女は五郎についてまだよく知らない。共同生活を続け、五郎のさまざまな面を見るうちに、やっぱりやっていけないと思う日が来る未来だってあり得る。今度は一人で生きてみようかなと思う未来も。
その日が来たら、彼女はまた決断を下し、関係を「アップ」デートしていくのだろう。

それにしても、このやたらと生きる力のある女の子は何者なのだろう。「塩一升」に生まれついたから…と説明されても全然納得いかない。誰も彼女の正体を知らない。五郎も、彼女自身でさえも知らない。
ただ一つ分かっているのは、彼女はこれからも思った通りに行動するだろうということだ。
流木を枕にして、彼女の人生が彼女自身の手によって無限に「あげ」られていく夢を見たい。
/終

はらだ 有彩

はらだ 有彩

はらだ有彩(はりー)

11月16日生まれ、関西出身。
テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作るテキストレーターです。

mon・you・moyoというブランドでデモニッシュな女の子のために制作しています。
mon・you・moyoとは色々な国の言葉をパッチワークにしたもので、「もんようもよう」と読みます。
意味は(わたしのあなた、そのたましい)です。
デモニッシュな女の子たち、かわいくつよいその涙をどうか拭かせてほしい。

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