当番ノート 第13期
アップルパイの魔女なんて題名を付けたのは、母親が長く栄養士をしていて、お菓子作りも得意だったからです。ジャムやホットケーキの類のおやつ作りから始まって、まだ物珍しいガスオーブンが、わが家へ来た日のことを覚えています。母の顔も、飛びきり輝いていました。 どんなにそのオーブンの活躍したことでしょう。アイシング・クッキーにキャロットケーキ、マドレーヌ、アップルパイ。それから、どっしりとしたフルー…
長期滞在者
南米のとある国で軍事政権に抗する民衆運動の先頭に立っていたフォルクローレ歌手が拘束され、他の群衆とともに運動競技場へ押し込められた。彼はそこでもギターを弾き歌を歌うことをやめなかったので、ギターを取り上げられ、二度と楽器を弾けないように両手を潰されたあと、銃殺された。 昔、南米の音楽を解説する本でこの事件のことをはじめて読んだとき、この両手を潰される、という描写に心臓が凍るような衝撃を受けた。どう…
当番ノート 第13期
これから先、「私」と「今まで撮ってきた写真」にできることがあるとしたら、 2つ、挙げることができるだろう。 今日はそのうちの1つを。 ◯ 「良いことも、悪いことも忘れちゃうからなあ。」 一緒に行ったところ、話したこと、思い出を、すぐ忘れる。 だから、いつだって写真だけが頼りなのだと 忘れっぽいあのこが言っていた。 思い返せば、私が写すとりとめもない景色に、 価値のようなものを与えてくれた人がいると…
当番ノート 第13期
今週はずっと大きな紙に描いていた。 何度も重ねて描くため、結局ぐちゃぐちゃな色になり 形も定まらない。 行き着く先はダメだこりゃ、失敗だ。 なので次に移るかと思えばそうではなく 一日置いてまた同じものを続けていくのである。 行き着く先はぐちゃぐちゃなままであり ダメだこりゃ、なのであるが時間は常に優しく 作品を整えていっとくれると、盲目的に信じているわけである。 子どものディスクール
長期滞在者
左のひと差し指を痛めた。 なぜそうなったのかさっぱり分からないのだが、ある朝目覚めるとすでに痛かった。 これでは弾けない、と思ったものの、思い当たるようなことをした覚えがないのだから大したことないだろう、と気づかないふりをしてみた。 いつのまにか痛みも消えるだろう、と。 でももちろん、そんなことにはならないのだった。 右のそれと比べれば明らかに赤みを帯びているし、少し腫れてもいるようだったので、湿…
当番ノート 第13期
鼻が嗅ぐ香りになるかのように、 耳が聴くメロディーになるかのように、 ほっぺたが優しくくすぐる風になるかのように、 舌が味わう甘さになるかのように、 若き少女が惚れた少年の中に溶け込むかのように、 金が美のためジュエリーになるかのように、 絵具が風景になるかのように、 目線が鏡に写る目線とあうかのように、 心が何を感じていも心は心のままであるでしょう。
当番ノート 第13期
* * * * * いつのまにか扉が丁重にたたかれている。 これっぽちもまとまらない考え事を書いて捨て描いて捨てして、一週間たちました。 洗い立ての犬みたいに身震いを。 春がくる。 __________ ご案内をひとつ。 3月の18から30東京町田で、4月の2から7名古屋栄で、 旅に出た少年の絵を展示します。 18と29、30は町田に、6と7は名古屋に、それぞれ在廊しています。 ここでおみせしたも…
当番ノート 第13期
妄想ラッパ ひとりぼっちの原っぱで吹く きょうも 妄想ラッパ ぽっかりと 空いた 胸の中心には ドウドウどうと 涼やかな 風が滑り込んでくる ひとりぼっちの原っぱは うまれて初めて 鼻から水を吸った日のように ざわざわと ぐちゃぐちゃと 心もとない足下に立たんとして ブワブワぶわと 妄想ラッパを 響かせる ひとりぼっちの原っぱに吹く あし…
the power sink
今回も、意味のない絵を載せます。 意味のない絵を描いていると、その人は集中力が無くなり、注意力は散漫になり、筋力は衰えて、考える力を無くし、不毛な日々が続く。 見ていただけると嬉しいです。ではよろしくお願いします! 見て頂いてありがとうございました!次回はまた来月真ん中の水曜に更新します。 よろしくお…
長期滞在者
赤坂・東京写真文化館の設立の頃、当初は、ウェストンとアダムスの作品だけを展示すれば良いギャラリーとして構想されていました。少し遅れてその話に加わったぼくとしては、それは面白くない、どうせやるなら、評価のガチガチに定まったものを扱うからこそ、評価の定まっていないものを紹介する場を設けるべきだ、ということで、25坪程の[STAGE]という貸し/企画のスペースを設けることが決まりました。海外の著名な作品…
当番ノート 第13期
母の財布には、祖母の証明写真が入っている。 なんてことのない、4cm✕3cmの緊張気味な祖母の写真。 「なんでその写真なの?」 なんて声をかけたこともあったけれど、 それは野暮な言葉だったかもなあ、と今は思う。 ◯ 去年の秋、久々に母の故郷に足を運んだ。 そこは日本から8時間ほど飛行機に乗ったところにある。 年中真夏の熱い国。 祖母が亡くなるまでは毎年、夏は祖母の家が私の家で 日本で働く父に代わり…
当番ノート 第13期
日常の些細な事に目を向けて日々色々と書いていこうと思ったのだが、些細な事に特に目を向けていない事に気づく。 それでは日々何を見て過ごしているのか? 何も見ていないのである。 意識して外を見ない限り、些細な出来事どころか重大な出来事にも気づかず、日々が流れて行ってしまう。 意識をせずに生きて行くなんて不可能だと思っていたが、気づけば習慣と言う動力のみにたより生きている。 習慣とは恐ろしいものである。…