私が初めてひとり暮らしをしたアパートは東京のはずれにあって、そこには私を含め同じ女子大に通う5人の女の子とひとりの外国人男性が住んでいた。
彼はそこに暮らす大学の先輩と同棲していたのだけど、まったく「どういう関係なのか分からない」。恋人というわけでもないらしい。まだ18歳になったばかりだった私は曖昧な関係のふたりを前に動揺したのを覚えている。
初めて顔を合わせたのは引っ越しが済んで一週間くらい経った頃で、アパートの前でとても綺麗なその先輩と、鉢合わせたのだった。
引っ越してきた新入生?と満面の笑みで話しかけてくれた次の瞬間、「英語話せる?」と聞かれた時はさすがに面喰った。私が入学したのは確かに英語教育に力を入れている学校だったけど、初対面の先輩からこんな風に試されるの…!?
こわごわ、「一応喋れます」と答えると同じ調子で先輩は続けた。「うちに外国人がいるから私がバイトに行っている間話し相手になってあげてよ」。
先輩に引っ張られるまま外国人である彼と挨拶するやいなや、私の人生で出会った人のなかで最も強引な人物でもあるその彼は、「ここが君の部屋だよね。」とさっさと私の部屋にあがってしまった。心のなかで『お母さん!東京はやばいところ!!』と思わず叫んだけれど、もうその時にはすでに引き返せないほど見知らぬ彼らに惹かれていた。
それから先輩も彼も、毎日のように私の部屋に遊びに来た。信じられない自然さで、「あれ貸して」とか「これ食べる?」とか「どこどこ行く?」と飛び込んでくる綺麗な彼女と、「君は自分の殻に閉じこもっている」「もっとオープンになるべき」と自信満々に私をカウンセリングしてくる、なぞのシックスセンスを持っているらしい(が本名も年齢も仕事も知らない。孫がいるとの噂もあった)外国人の彼。
アパートの他の女の子たちをこのカオスに巻き込むのに時間はかからなかった。それから随分と長い間、「御在宅」ならだれでも呼び込んで賑やかに過ごした。(そんな私たちを大家さんは時々訝しがって偵察にきたりした。)
例えば先輩は、綺麗なものを見ると本当にうっとり、「きれい」と漏らす人だった。私の部屋の窓辺に飾っていたサンキャッチャーは彼女のお気に入りで、昼頃になると眩しいほどの光を部屋中に散りばめていた。
ある日、彼女が壁に落ちた光がゆらゆら風で揺れたのを指して「エンジェル。」と言ったのが忘れられない。
そこに『それ』がいたなんて、私は全然、知らなかったのだ。
その瞬間から、天使は日常に隠れているものとなった。彼女は内向的な私にきれいだったり楽しかったりするものを指し示めすことで、笑い方を教えてくれるような人だった。
私は今でも、この時ほど非常識なことばかり起きた時期はないと思っているし、これほど人の持つ引力に抗えないと思ったこともない。誰に話しても「そんなことってある?」と笑われるような、小説が現実になったかのような日々だった。さよらならは出会った日のごとく突然で強引だったけれど。
彼が日本を発ち、(発つほかなかったというべきか)、彼女たちは卒業して引っ越していった。その2年後には私も。私たちが過ごした強烈な日々は今や記憶のなかで存在するのみだ。
それでもあのアパートで彼と彼女と出会って私の人生は色付きになったのは、確かなのだ。それからというもの、なるべく不思議で突拍子のない出来事であるほどとりあえず立ち止まることに決めている。どきどきさせてくれる人と出会いは、生きていることへの贈りものに違いない。
彼も彼女たちもどこにいってしまったんだろう、と今だに思うことがある。それぞれ過ごす人生はあの頃のようには同じアパートに収まりきれていない。
だけど出会った記憶がまだまだ私を歩ませてくれている。記憶は正しく在り得ないけど、頼もしい。
これから毎月第2土曜日に私が暮らしたアパートさながら素敵な住人が暮らす『アパートメント』で、人との特別で可笑しな巡り合わせについて書いていこうと思う。
まずは挨拶代わりのこのお話、幻想のようなきらきらを「エンジェル」と名付けることで手のひらに摑まえていた彼女と、「出逢いを躊躇せず、鳥かごから飛び出せ!」と叱咤激励してくれたけど結局すべてが謎のままだった彼との思い出、がみなさんをも微笑ませることを願ってやまない。
これって全然、特別なことじゃないんだろう。
きっと、そこかしこに。