いろんな人の縁がゆっくりと絡みあい、
もつれたり、ほどけれたり、切れたり、また撚れたり。
瀬戸内の男木島という島で15歳で家を出るまで育った僕は、
当時の人口が400人と少ないながらも、共働きだった両親という事もあり、
夕飯時分までいろいろな家に預けられたけど、それ相応に楽しく幼いころを過ごしてきた。
曾祖父の代までは鰆漁の網元で生計を立てていた家は、
そこそこ潤っていた家の一つだと聞いている。
曾祖父は海の男というか、とにかく喧嘩っぱやく、感情で手や足がでる、
揉め事の中心には必ずいたというような人物だったらしい。
それでも、経済的な成功もあり、何回か結婚するけど
長くは続かず、法律的には3度結婚している。
そんな祖父の兄弟はとても多く聞いただけでも20人以上はいる。
僕が把握しているののでも10人くらい。
名字が同じでも血縁関係はなかったりで、とにかくややこしい。
最後の奥さんになった、つまり、僕から見た曾祖母は
その曾祖父をある意味上回る人物だった。
口の悪さにかけては、まず手がでる曾祖父さえも黙り込んでしまい、
沖に出られない若い衆相手に呑んで・博打を打つ豪傑。
長男を戦争で無くしていた、曾祖父が他界した際、
大阪で鉄線工場を営んでいた祖父(下から3番目)は兄弟全員でのくじ引きで負けたとからいう、
なんともしょうもないという理由で家族を連れて、島に戻ることとなった。
一緒に戻る事になった父は島には高校がないので寮のある香川県の高校へ
高校卒業後、一旦神戸で銀行に就職するが一年で退職。
(理由:上司とど付き合いの喧嘩)
結局、島で再度就職し、関西で働いている時に知り合った母と22歳で結婚。
大阪の母方の家はそりゃあ、もう、大反対だったらしい。
聞いたことも無い、船がないと行けない島になぜ、嫁ぐのかと。
そして反対を押しのけて2人は島で暮らす事になった。
それが僕のルーツ。
そして、じゅんじゅんはその島が好きだと言ってくれる。
19年の前今日4月17日おそらく、父が40歳で他界した。
おそらくというのは、海で死んだので誰もその時刻がわからないから。
法律上は20日。
所詮紙切れの上の話。
ふと、そんな事を思いだした。
泡沫の夢ような時間。
ここはとてもいいアパート。