スズキの魅力は、細身の身体に対してやや口と頭が大きすぎるというバランスの崩れにある。
特に大きな個体になるほどその傾向は顕著(全ての個体がじゃないけど)で、子どものころは均整のとれたまさに魚類のスタンダードたるにふさわしい体型をしているのが、だんだんとバランスが崩れてくる。
このバランスの崩れはおそらくとても理に適ったもので、魚食性の強いスズキにとっては、口が大きければそれだけ大きな獲物を飲み込めるし、細長い身体は水の抵抗を受けにくく逃げる獲物を追うのに都合がいい。本当のところは知らんけどきっとそんなとこだと思う。
ある機能に特化したあまり崩れたバランスというのには凄みがあって、美しいというよりは色気に近い魅力がある。
こないだNHKの「アスリートの魂」(これいい番組)でやってた競歩の大利選手は「すね」に力こぶがあった。いわゆる普通の脚というとすねはほぼまっすぐで、ふくらはぎに丸く筋肉がついているものだと思うのだけれど、彼女の場合はすねがこんもりと盛り上がっているものだからテレビを見てて脚が今どっちに曲がってるのか一瞬わからなくなった。かっこいい脚だった。これは「美しい」というよりもきっと「色っぽい」に近い。スズキの体型の魅力もここにある。
ただ、この種の「色気」には泣き笑いの顔のような、どこか悲しい滑稽味も宿っている。
水中で獲物を捕らえるという目的を追い求めた結果、何やらちょっと妙なバランスになってしまったスズキ。
競歩という特殊な歩き方を極めた結果、不思議な力こぶができた大利選手。
(そんなつもりないのになんかちょっと失礼な言い方になった)
生き物ひとりひとりに、(あるいはひょっとすると「種」の総意としても)きっと「ああなりたい、こうなりたい」がある。
意識的あるいは無意識的に努力して、そこに近づいていく。
でもそこには同時に、自分が本来別段望んでいなかったものが一緒にくっついてくるということがあって、
そういった不如意が生き物ひとりひとりの、そして「種」としての命のあり方のような気がする。
スズキの体型はそういう命のあり方の縮図であって、だからそこには単なる美しさではない、愛すべき魅力がある。
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久しぶりに文章を書いて、自分の言葉のあまりのぎこちなさにちょっとイライラした。
これから2カ月、僕がいろんな魚の何を好きなのか、「アパートメント」のために描く絵と一緒に載せていきたいと思います。