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2F/当番ノート

緑の街。

当番ノート 第5期

あじさいを好きだと気づいたこの夏。
詳しいわけでもなく、ただ好きで。
この秋に撮ったあじさいが、
枯れてるというより、咲いてる途中、
まだこれから咲き誇るのではないかと。
そう思えた実家の脇に咲く、あじさい。

彼岸花。
娘と一緒に自宅のそばのお寺に行った時に。
彼岸花。
学校の帰り道に川の土手にたくさん咲いていた。
娘もこの秋、一本道の通学路で川の向こうにこの赤い花を感じながら、
学校に通っていたのだろう。

実家の庭で父が育てている、ミニ薔薇。
父が花を育てるようになったのは、定年間近の頃だった。
私は既に家を離れて暮らしていた。
たまに実家に帰ると、趣味は釣りとパチンコだった父が、
庭の土をいじり、花や野菜を育て始めていた。
しかも庭の一角には、祖母が生きてる頃最後までやっていた、
小さなプレハブのお米屋さんが数年前まであった。
お米屋さんは、祖母が若い頃本通りの商店街にあり、その二階に祖母は暮らしていた。
両親が自宅を建て直す際に同居することを決め、一緒に暮らし始めた祖母は、
それでもしばらくは、自宅から徒歩10分の距離を歩いて本通りまで通っていた。
途中からしんどくなったのか、ある日突然庭に小さなお米屋さんができた。
祖母が亡くなってからは、その小さなお米屋さんも取り壊され、父の庭は広がった。
季節毎に違う花が咲き、野菜や果物が豊富に採れる、庭。
花も木も増え、父の手を加える範囲も広がり、
それに比例して、父は多くの時間植物たちに手をかけるようになった。
父がしゃがんでいる後ろ姿を、実家に行く度に見かけるようになった。
今このミニ薔薇は、裏の勝手口のそばにちょこんと咲いており、
私たちを迎えてくれる。

山。
自宅の目の前にある。
小学一年生の頃、私はよく実家の近くにあった山に遊びに行っていた。
ハクガンジと呼ばれていた。
私たち子供も大人も、そう呼んでいたのだが、
実際は白岩寺と書き、そのお寺は山の中腹にある。
お寺には代々伝わる、幽霊掛け軸というものがあり、
それを見せてもらったことがあると思うが、はっきりとは思い出せない。
お寺よりも、その山に登ることが遊びであり、冒険だった。
低学年の子供でも確か20分くらいあれば頂上まで行けた。
学校の遠足などでも行った、頂上は公園になっている。
が、小さかった頃の私たちはそんなふうに整備された部分ではなく、
そこからまた向こう側へ下っていったところにある、
実際に防空壕があったと言われる場所や、誰も通らないだろう山の部分に興味があった。
そんな探検遊びを終えて帰る時のこと(確か土曜のお昼)。
山から降りるでこぼこの道をみんなで一斉に駆け下り出した。
走るのに自信があった私は誰にも負けない気持ちで、一番に飛び出した。
勢いよく、風をきり、気持ちよかった。
が、途中で自分のカラダが宙に浮き、次の瞬間地面に突っ伏していた。
ただ、転んだだけなのだが、下り坂での転倒は勢いが増す。それだけのスピードも出ていたし。
思いきり打った。胸のあたり。
胸と地面との間にぶら下げていた水筒が挟まれ、それがよかったのかどうかもわからない。
痛くて、立ち上がれなかった。
あとから駆け寄ってきた友人たちが心配して、私を囲んでいたところへ、
ひとりの男性が現れた。青年というべきか。
その青年が山から私を背負い、自宅まで送り届けてくれた。
実に、おんぶで徒歩30分くらいだっただろう。
自宅では安静にしていただけで、特に外傷もなく数日もすれば痛みも消えた。
それでも、あの青年が通りかからなかったら、私はどうなってたんだろうな。
今でもなんとなくだが、助けてくれたその青年の顔は思い出せる。
はっきりとではないけれど、その人のもつ雰囲気など。
山にまつわる一番古い記憶。

久しぶりに撮ったフィルムには、
撮った時に意識していたのか覚えていないのだが、
たくさんの緑がそこに写っていた。

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