『花』のような人だから。
それは美しいって意味じゃなくて。
水と光を与えてもらって初めて、育って、花を咲かせられる。
キホちゃんは、そういう人なんだよ。
人に支えられて生きているということを、忘れてはいけないよ。
夜勤明けの夫を連れ出して、10月に入ってすぐの月曜日、
静岡の街を散歩した。
目的はいくつかあった。
一番の目的は、鷹匠にある大野カメラ店へ行くことだった。
今回、このアパートメントのコラムを書くことが決まった時に、
また写真を撮ろう、って思った。
実のところ、8月から9月にかけて私は、
自分のカラダをうまくコントロールすることができなくなっていた。
そんな時は、いつもカメラを手にすることができない。
写真を撮ることができなくなってしまう。
今までのことを振り返ってみると、カラダが不調の時だけでなく、
精神的に落ち込んでている時も、そうだった。
静岡に住まいを移してすぐの頃なんてのも、自分では気づかないほど不安定で。
まわりから言われて初めて気づいたが、そういえばその頃の写真はほぼ無いに等しかった。
それでも娘たちと散歩する時間だけは多く、ぽつりぽつりと撮ることはあったのだけど。
写真を撮ること、人が撮った写真を見ること。
続けていてよかったと思える瞬間は、人と繋がれた時。
一方的に好みの写真を見つけて、ドキドキしたり、涙流したり、
なんてことも日常において、何度あったかわからない。
また、自分が撮った写真を見てもらえて、さらに言葉をいただけることだったり。
あるいは、被写体に声かけて撮らせてもらう時。
そんな瞬間が私には、たまらない。
そして今回も、救われた。救い出してもらった。
また、撮ろう、撮りたい、と思えた。
フィルム2本分が撮れた。
その2本を現像、プリント。
この作業を、いつもの量販店でなく、もう少しこだわりを持ってやっていただける場所。
それを探していた。見つけた場所が、大野カメラ店だった。
静岡の街を歩くのは久しぶりだった。しかも、夫と。
夫と静岡の街を歩くのは、友人を呼んで披露パーティーをした時以来ではないか。
挙式をするタイミングは結局のところ逃しっぱなしで、今に至ってしまったが、
あの時、あの披露パーティーはやっておいてよかった。たくさんの笑顔に再会できた。
大野カメラ店の店主大野さんは、とても丁寧な対応をしてくださって、
来てよかった、と思った。
夫も、久しぶりにおもしろい話が聞けた、と喜んでいた。
数時間後受け取りに行くと、プリントの仕上がりが想像以上にキレイで、
あぁやっぱりココに来てよかった、と再び思った。
写真は、この日写真の仕上がりを待つじかん。
静岡の街を、ぶらぶらと散歩したじかん。
その時に撮ったものだ。
帰り際に、カメラに入ったフィルムを巻き上げて、最後に依頼して帰った。
その中に入っていたもの。
こうしてまた、繋がっていくんだな。
同時に私は、こうしたものに支えられていることを、認識する。
忘れてはいけない。