「カメラ買って正解でしたね。」
その人は、私にそう言ったのだ。
2001年、秋。
私はここ、カフェACHOで友人とお茶をしていた。
人生初となる『占い』へ行ったのは、一ヶ月ほど前のことだった。
私はこの日、2度目を終えて、初めて行った友人2人とここへ寄った。
占いに行き、自分を診てもらおうと思ったきっかけは、
職場で知り合った同い年のウエダくんが、その場所へ行ったこと。
とにかくすごいから、行ってみるといいよ、とウエダくんは私に言った。
当たるとかでなく、すごい。
その、すごいという最も具体的でない言葉に私はなぜか動かされてしまった。
具体的でないほど、伝わるものがあったのか、
ウエダくんの目がとてもイキイキしていたからか。
その数日後に予定を入れた。
その場所へ行く前日、私はカメラ屋でカメラを選んでいた。
あまり詳しく下調べなどせず、お店に行き、お店の人と話し、
それで、今でもずっと使っているNikonの一眼レフを手に入れた。
その頃既に、東京へ出ることは決めていた。
これから半年このカメラと過ごし、そのまま東京へ行くのだ、と。
カメラを購入した翌日、初撮りだ、とワクワクし、
その場所へもカメラを持っていった。もちろん鞄から出したりはしなかったが。
そしてその時間は始まった。
時間の感覚はまったくつかめなかった。
ウエダくんから、延長したくなるから、とも聞いていた。
終わった時にこれか、って思った。
始まって早い段階で言われたその言葉は、
私の中でとても都合がよく、印象に残り、今でもはっきりと覚えている。
忘れられない理由は、この10年、11年過ごしてきた中にもある。
写真が、カメラが、人と人を繋げる。
それはたまたま写真やカメラであって、写真でなくても、カメラでなくても、
音楽が趣味の人には、音楽なのだろうし、本や、映画でもありうることなんだろう。
東京に出る。
それが私の夢だった。
私はその半年後、東京へ出た。
それまでの半年間も、そのカメラでよく撮った。たくさんの写真を。
休みの度にカメラを持ち出し、ひとりで出かけることも多かった。
遠出をするなら、やはり行き先は東京が多かった。
東京を撮っていた。街も、人も。
東京へ出てからも撮り続けた。人をたくさん、撮った。
恵比寿駅の東口でバイオリンを弾く青年、
渋谷でキーボード弾きながら路上ライブしていた少女、
厚かましくも、声をかけて撮っていた。
友達も。好きになった人も。
カメラを持っていなかったら、写真を撮ることを楽しんでいなかったら、
出逢わなかっただろう人たち。
その人たちを、私はよくファインダーから覗いていた。
そして、11年が経った今。
私はこの人とここに居る。カフェACHOに。
あの時言われた言葉が、私の人生のどの部分を指しているかはわからない。
きっと今までのことも、これから起きることも繋がっているだろう。
写真に助けられてることもあるし、それをきっかけに出逢った人たちに、
どれだけ助けられていることか。そんな瞬間はいっぱいある。
自分にとって、とても都合のよい、
自分の心にずっと、あり続けるだろう言葉。
「カメラ買って正解でしたね。」