本のある風景が好きだ。
背の焼けた本のたたずまいが好きだ。
勢いよく閉じた時のパンッという頑丈な音が好きだ。
時に自分の間違いみたいなものに気付かせてくれるその厳しさが好きだ。
わたしの一生を費やしたところで全部は手に取れないその夥しさが好きだ。
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本のことを書こうと思うと、
どうしても言葉がまとまんないな。
(これからちょっとうっとうしいほどの本の話をします。)
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わたしは本が好きだ。
けれど「無類の本好き」ではない。
「本の虫」でもない。
好んで読む本の方面は決まっているし、
ジャンルを絞ったところで
そこに精通してるわけでもない。
読んできた本を思い返しても大した量じゃないから
自分のことを読書家とは、
とてもじゃないけど言えないなあと思う。
むつかしい本は、目が文字の上を滑るだけで
いつも思っているほどには、読めない。
「受け取れない」ことはちょっと悲しい。
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わたしの本の読み方は変わっていると思う。
1冊の本を、始めから最後まで
集中して読むことは少なくなった。
だからいつでも好きなものを読めるように、
かばんの中にはいつも5、6冊の本が入ってる。
1冊のことを考えても、ぱっと開いた
そのページから読み始めたり、後ろから読んでみたり。
いろんな本があります。
音のしない空間でしか読めない本。
声に出して読んでしまう本。
お風呂で読んでいると、いつも落としてしまう本。
最初の数行、数ページは覚えてしまうほど読んだのに
何年かかっても未だに読み切れてない本。
ハードカバーじゃないとしっくりこない本。
買ってはすぐに手放して、また買ってしまう本。
書店で手にとっては棚に戻してしまう本。
いつも同じところで泣いてしまう本。
すきな人に読んでもらいたい本。
図書館で借りたら、とても好きになってしまって
どうしても返したくなくて譲ってもらえないか訊いたことのある本。
知ってる本がある。
知らない本がたくさんある。
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本が「読むための本」じゃなくなる瞬間が好きだ。
読むだけならiPhoneでも、
パソコンでもわたしの電子辞書でも読める。
お母さんが母親という役割から
解き放たれる瞬間みたいなうつくしさ。
ただの物質になる時間。
読まれない時間も本は本で在り続ける。
ホモ・サピエンス・サピエンスがいなくなっても、
きっと本は本のままなんだろうと想像する。
人から生まれてもそれを拠り所としない
孤高さも揺るがなさも好きだ。
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本を手入れしてる時間が好きだ。
わたしの手の中にしずかに収まって
丁寧にあらゆるところを点検される時間。
その時間が好きだと思ったのは
BOOK OFFで働いているときだった。
スピードを要求されることから
逃れられはしなかったけれど
許される時間の中では
次にそれを手に取る人のことを考えて
なるべく丁寧に、本をきれいにした。
天気が良い日、たまに気が向いたら
1冊1冊パラパラとページをめくって
風を通してやったり、日に当たりながら
ほこりを払って拭いてやったりする。
ただ、わたしの本は「きれい」ではない。
本棚だけではなく、お風呂場やキッチン
ベッドの中や床の上にぽん、と置かれた本は
ページの隅っこが折ってあったり
湿気を吸ってぐにゃりとなっていたり
日の当たり方で変な焼け方をしていたり、
焦げ茶の頼りない栞は
先の方がもけもけになっている。
何を言ってるんだ、と怒られそうだけれど
わたしは本が好きだし、
わたしなりにではあるけれど大切にしている。
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不思議なことがある。
こんなにもたくさんの本があるのに
出会うべき本にはきちんと出会う。
本はわたしに「出会いの力」を教えてくれた。
教えるだけでなく、養って、培わせてくれた。
出会ったら手に取ってゆくのだ。
21年生きて分かってきたこと。
どこに身を置くのかも
だれと一緒にいるのかも
なにを食べるのかも
どんなことをして生きてゆくのかも。
これからは選んでゆくことばかりなんだということ。
迷っても、誰のせいにもせず
後悔しても後悔しない覚悟や厳しさを抱えて
選び取っていかなければいけないと思ったのだ。
そんなときに自分を信じられるのは
とてもつよいことだなと思った。
本だけではない、人も、場所も、未来も。
きっとわたしは出会ったらきちんと選んでゆける。
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「報酬は少ないけどたくさん本が読めるわよ。」
これはキューバの作家レイナルド・アレナスの自伝
『夜になるまえに』の映画版に出てくる台詞。
主人公のレイナルドが、国立図書館の
朗読の仕事の面接を受け採用された時に
図書館の館長がレイナルドに向かって言った。
残念ながら司書の資格は取らなかったし
わたしが図書館で働くことはないだろうけど
「わたしもそんな風に生きたいなあ。」と思う。
「たくさん本が読める」ことは
たくさん出会えることに等しい。
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いつかわたしは「場所のような人」になりたい。
もちろんとても力のいることだと思うから
今の私にはまだまだむずかしい。
「場所をつくること」と、「場所のような人になること」は違うとしても
わたしは「場所」を感じられる空間があればいいなと思う。
そういう空間をつくってみたいとも。
そこでたくさん出会って別れて笑ったり泣いたり見守ったりしたい。
そしてなにより、その空間には
「本があったらいいなあ。」と思ったりする。
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だから本屋さんをやりたいと思います。
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本屋さんのなまえも
どんな本を並べるのかも
本棚はどうしよう。
何冊くらい置こうかな、とか
ぜんぜんわからないのだけど。
3月4日~3月17日の2週間、
今「あのね、」展をやっている
町田SIGHT BOX Galleryで
個展をさせていただくこととなりました。
背中を押してくれたのは、オーナーのトシさん。
ひとまずその空間でわたしは本屋さんになる予定。むふふ。
大急ぎで準備をします。
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そういえば今朝、藤井さんから
twitterのリプライがありました。
藤井さんは高松で予約制の古書店「なタ書」を営まれている。
「高松、なかなか行けないしなあ」と思ったままで
お店にうかがったこともなく、
もちろんお会いしたこともなく、
ただ、会ってみたいと思っていたのでした。
よく調べてみたら、なんだ。
同じアパートメントの住人さんじゃないか。
「本屋さんはすぐ出来ます!
夢とか言ってる場合じゃないでしょう!!」
ひょえー!と思ったけれど、頷いた。
やりたいことからやってくべきだ。
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さてさて、2ヶ月の間お世話になった
この部屋ともお別れです。
最後に長々とやってしまいました。
読んでくださってありがとうございました。
わたしの部屋にはよく陽が射したから、
夕方3時過ぎに大きく暖かくなる日溜まりに
手とか足の先を差し入れに
いろんな人が来てくれたなあ。
大したおもてなしもできなかったけれど
みんな遊びにきてくれて
ほんとうにありがとうございました。
あたらしい場所をつくってもらったので
そちらの方にもよかったら遊びにきてください。
それでは。
またきっとどこかで。
とまべち みお。