「君の言葉は知らず知らずのうちにでも人を傷つける」
それはもしかしたら「人を」ではなく、「僕を」と言いたかったのかもしれない。と気づくのには時間が必要だった。
とてもとても長い時間。a long time ago. むかしむかしのものがたりと言えるくらい。
殴られて育った子は、子を殴る親になる、と聞いたことがある。
私はずっと自分の子どもを産むのが怖かった。
私は子を殴らないでいられるだろうか―――。
母は私を良く叩いた。
ピアノ練習をさぼった時、部屋の片づけができないでいた時。
だからと言って母が私に優しくなかったわけではない。
漢字がまだ読めないけれど読みたい本があった幼稚園生の頃、その本の漢字に全部手書きでフリガナをつけてくれたことがある。
足が悪かった私がふくらはぎが張って眠れないと愚図ると眠るまでさすってくれたことがある。
ただその思い出の温かさの横に、激しく怒る母の姿が貼りついている。
泣きながら何度も何度も「ごめんなさい」と言う。
ごめんなさい。もう叩かないで。ごめんなさい。ごめんなさい。
「ママだって叩きながら痛いのよ。絶対物は使わないでしょう。ほらこんな青痣になっちゃった。」
見せられた掌は内出血で青くなっていて、私の鼻血がついている。
私は痛みを見せない子になった。
高校3年生の時。「私たち明日からあなたを無視するね」と電話がかかってきたことがある。
もともと友人の数が多いわけでもなく。なんとなく4人仲良くしていたうちの2人からだった。
後から聞くと「私たち親友だよね」が口癖だったAが、Bを私にとられると思ったらしい。
Bが「ごめんね。学校では話さないことにする。」とこっそり手紙をくれた。
4人の残り一人だったCが「こんなのは嫌だ」と泣いた。
私は学校で独りなことよりもCがそんな風に泣くのが嫌で、それでなくても行かなかった学校にますます行かなくなった。
20年経ってCに会った時「いつも飄々として平気そうに見えた」と言われた。
それでやっと、私はゆっくりと息が吐けた。
結婚をした頃、夫の人が棚の上の物を取ろうと私の頭の上に手をかかげただけでびくっと身をすくめた。
「小さいころ良く叩かれていて、莫迦みたいだと思うけれど未だに人の手が上に来ると身構えてしまうの。」
と口にするにも少し時間がかかった。
「君の言葉は知らず知らずのうちにでも人を傷つける」という言葉は、私から書くという行為を削った。
はじめて「書いた」のは小学5年生の時だった。
シルバニアファミリーのうさぎの人形が欲しくて母にねだった。
買いませんと言われた後に「小学5年生」という雑誌で「シルバニアファミリーの物語を書いて入選したら人形やハウスをプレゼント」という記事を読んだ。
物語はいくらでも浮かぶ。
原稿用紙5枚の物語を書いて私はシルバニアファミリーの人形を手に入れた。
それはうさぎではなく熊だったけれど。
私にとって「書く」は唯一の褒めてもらえる行為だった。
頭の中にある物語を紙に写すだけで大人は褒めてくれる。
私は幾つかの小さな賞を取って「書く」大学へと行った。
私はそこでも書き続けた。
小説、詩、戯曲。形は変わったけれど書くことに飽くことはなかった。
何かになりたかったわけじゃない。
名をあげたいとすら思っていなかった。
ただ目の前の差し出す物語を受け取って欲しかった。
それは「私」だったから。
私はずっと頭を撫ぜてもらいたい、褒めてもらいたいと泣く10歳の子どもだった。
泣く代わりに書く。
「君の言葉は知らず知らずのうちにでも人を傷つける」
褒めてもらいたいと、受け容れてもらいたいと書き続けた言葉は、私から人を奪うと気づくことになる。
遠くの人に伝えようとすると近くの人を遠ざけると言ったのは南の魔女だ。
もちろんそうじゃない種類の言葉を使える人はたくさんいる。そうじゃない言葉はたくさんある。
だからそれは言葉のせいではない。書く私が持つものだ。
私は私が誰も憎んでいないことを知っている。
私を無視すると言ったAを。
言葉を削った二度と会う事のない彼を。
私を深く愛して激しく殴った母を。
これはただ「あったこと」だ。
なのにこうして書くとフェアじゃなくなってしまう。
私にとって書くという事は誠実なのに、現実は書いたという事で公平さを失う。
私は清廉潔癖な人間じゃない。叩けば埃が出るどころか埃だらけだ。
私が誰かにされることは、私が誰かにしたことでしかない。
むしろそう思った時に今の私は恵まれすぎている。
ね、そう思うでしょう?
褒めて欲しいと撫でて欲しいとみっともなく乞うて書いていた子どもはそのままなのに、書くことで失うことを知ってしまった。
それなのにまだ書いている。
心がずくずくする。
今私は、福島へ帰るたび、食べきれないほどのエキソンパイとままどおるを持たせてくれる母と穏やかに話せる。
決して私は良い母親ではないけれど、子を殴らないで済んでいる。
もう不意に上がった誰かの手に身をすくめることはない。
誰かに深く憎まれているかもしれないけれど、誰も憎むことなく生きている。
書くことで失うことを知ったけれど、マイナスの連鎖は断ち切れると私は「知っている」。
だから、もう一度書いてみようと思ったんだ。
「書く」という場所を与えてくれたアパートメントのみんなに感謝を。
つたない文章に2ヵ月間つき合ってくれたインターネットの海の住人のみんなに感謝を。
そしていつも私の背中を支えてくれているあなたに深く深く感謝を。
ここに書く話をうけた時、決めたことはひとつだけ。「身を削って書く」。
削った欠片がかすかにでも届いていたらいいな。井戸に投げ込まれた小石がたてる水音みたいに。