マンボウは緑色のビニールシートで保護された水槽の中にいた。
何年か前に水族館に行った時、
僕はそのマンボウの水槽の前で、
長い間忘れていたことを思い出していた。
それは僕がまだ学生のころ、時間はあるしお金はないしで、
バイクひとつで日本中を旅していた時のことである。
その日は海を渡るためにずっとフェリーの中で過ごしていて、
深夜になってもなかなか寝付くことができず、
デッキにでて風にあたりながら気分転換をしていたのを覚えている。
デッキから見下ろすその夜の海はほとんど波もなく、
ちょうど目の高さくらいのところに月がでていた。
僕は誰もいないデッキで物思いにふけりながら、
月明かりが海に反射してキラキラと光る様をしばらく眺めていた。
そうしていると突然、視界の隅にぬらりとした黒い切れ間が入ってきた。
はじめはなんだかよくわからなかったが、
それはゆっくりと船の方に近づいてきて、
ようやくその正体が分かった。
マンボウである。
しかし、そのマンボウはまったく体を動かすことはなく、
死んだまま波に揺られて、
キラキラと輝く海の上を小さな暗闇になって移動していた。
おそらく息絶えてから海面に浮き上がり、
この海をひとり彷徨っていたのだろうと思う。
僕は水槽の中のマンボウを眺めながら、
その漆黒のマンボウのことを思い出していた。
もうすでにマンボウではなくなってしまい、
小さな暗闇となってひとり死に漂っていたマンボウの方が、
目の前で泳いでいるマンボウよりも、
幾分も有機的で、生きものとして腑におちるものだった。
僕は漆黒のマンボウがまだ生きているころの、
暗い海の中を餌を求めて泳いでいる風景のことを思った。
海の底でひとり静かに寝ている夜のことを思った。
そして彼の記憶が途切れ、仲間の記憶から忘れ去られ、
死骸となって海面に浮かび上がる瞬間のことを思った。
生きることについて、僕はいまだに明確な答えを持っているわけではない。
けれど、生きることを思う時、僕はあの夜の海のことを思い出す。
僕も死んだらあの漆黒のマンボウのようになりたい。