日々の中で、わたしたちは些細なことから、その先を大きく変えることまで、
いくつもの選択を繰り返しながら生きている。
それはどちらかではないときもあるし、
ひとつしかない場合もある。
ひとつしか訪れないときはきっと、そうなる前に、その方向へのなんらかの選択をしているのだろう。
そうしてひとりひとりに訪れた選択の中には、
運命や偶然や必然などと呼ばれるような、縁が降ってくる。
その縁は他者と他者との選択を引き寄せ、
お互いが同じ扉を開いた時、それは選択と選択の結婚になり、
どちらかが選んでも、もう一方のどちらかが選ばなかった時、
または、どちらとも選ばなかった時、
それはお互いの物語への参入を得ることなく、交わらない新たな物語を描いていく。
わたしの選んできた選択、
わたしの選ばなかった選択、
あなたの選んできた選択、
あなたの選ばなかった選択、
現在この地点を歩いているのは、全て選択の日々があった。
選ばなかった選択に対して、時に、後悔や自責の念がまったくないと言えば嘘になる。
過去を振り返って、足をバタバタさせながら頭をかきむしるほど恥ずかしくなることや、
いまだに許すことのできないこと。
思い出すだけで涙がでて、ごめんなさいと言いたくなること。
選ばなかったものの屍、
選ばれなかったものの屍、
ご縁の、なかったものたちの屍。
けれど、わたしは今、選んだ場所に立っている。
それらの屍を、時に奥から引っ張りだして、そっと抱きしめてみたりしながら。
引き寄せた選択が、正しかったのか、間違えていたのかなんて、
それは選んだわたし本人にもわからない。
だけど、今触れ合っている、選択して結ばれたたくさんのものたちのことを考えると
わたしはわたしの好ましい選択をしたと言えるし、
わたしを選択してくれているものたちに好ましく思われていたならば、とっても嬉しい。
縁がすっと降ってきて、選ばれて、円になっていく。
そうした円を繋げた先が、今、わたしの立っている場所。
こうして選択の日々の中で、ご縁がありまして2ヶ月間こちらに住まわせていただくことになりました。
短い間ですが、なにとぞよろしくお願いいたします。