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2F/当番ノート

セザンヌの林檎、エピソード1。

当番ノート 第11期

友人のはじめての個展を訪れたときのこと、

知った顔の人たちが一通りギャラリーを訪れては去って行ったあと、その男性はやってきました。

彼は「その界隈」ではプロとして活躍しているのだと言い、

友人の作品と、その展示の仕方、値段のつけ方、果ては気持ちの込め方に至るまでダメだしをはじめました。

「首の長さはこのくらいの方が見栄えがよい」

「ねらっているところはいいけれど、これでは売れない」

「色の加減はもっと抑えた方がいい」

などなど。

彼が去っていったあと、「ねらっているって、なにを?」と2人で首をかしげました。

「これが素敵と思っただけなんだけどな」

名前を聞かなかったので、彼がどこでどう活躍していて、どんな仕事をしているのかわからなかったし、

たとえ彼がその美学を以てたくさんの人から愛され成功していると知ったとしても、

わたしはそのアドバイスのどこにも素敵と感じることができませんでした。

友人は「泣きそうになった」くらいに落ち込んで、そしてまた、自身がときめくものづくりにとりかかりました。

その仕事は、何とかというコンペティション史上、最年少で入賞することになりました。

彼女には彼女でいるべき場所があり、自由に彩ることのできる花壇があり、

そして、彼女が選ぶ花や色彩を、うつくしいと感じる人もまた多かれ少なかれ存在するのでした。

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世の中にはこれだけたくさんの物事が存在しているのに、

人にはそれぞれ、ある特定のことしかキャッチできない受容体があるようで、

それはきっと良し悪しでも、正しい間違っているでもなくて、

そういう作りになっているから仕方のないことなのだと思うのです。

海を眺めても元気にはなれないけれど、雨音には胸が騒ぐ。

「休日」は外で遊ぶよりも、お茶を傍らに椅子に深く腰かけて読書する方が贅沢だと思う。

そして、読む本はオカルトかよしもとばなな。

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アイディアも、ビジョンも、それを見た人がすべき仕事なのだと思います。

コーヒーにミルクを入れるか入れないか、カーテンの色を何にするか、

どのルートで目的地に行こうか、

パンにしようかおにぎりにしようか、

赤を置こうか置くまいか、どちらがしっくりくるか。

朝から晩まで。

はっきりと見えもしない、誰かの仕事を肩代わりするような時間はなさそうです。

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数年まえ、3.14 からできる円は、正確には限りなく円にちかい多角形だと知りました。

それよりさらにまえには、

世の中にあるすべてのものは円という完璧な形を目指して進化しているのだと聞きました。

わたしは「限りなく円にちかい多角形」の方に親近感をおぼえます。

どうかずっと割り切られることのないまま、無数の角をもってぼこぼこしている多角形でありますように。

割り切られることなく、増えつづける多角形の頂点の数は、

世の中に存在している物事すべてとおなじ数だけあるのではないかと思うのです。

それぞれの頂点に、ひとりひとり、ひとつひとつがあって、

その数が制限される日は訪れることなく、減ることもなく、在る分だけちょうどゆるされている。

椅子とりゲームなんかしなくても、すべてに席は用意されている。

そんなふうに思えて、とても安心したのでした。

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このアパートメントに束の間滞在することをゆるされて、

ツイッターすら続かなかったわたしは過去の日記を読み返しました。

わたしにも何か言いたいことがあるのだろうか。

そしたら、ほとんどこのことばかり書いていました。

いろんな人がいるな、そしてわたしもいていいんだな。

こんなヘンテコなことするひとがいた、わたしもこれでいいんだな。

そういうことばかりでした。

わたしが何号室にいたのかは定かではありませんが、

ほんの一瞬、「いろんな人」のうちの一人になれたなら嬉しいです。

読んでくださった方、ここに招いてくださった方、

「ふふふ」と軽やかにわたしの失敗を解決し、はげましてくださった管理人さん、

ありがとうございました。

そして、10期と11期の方たちの日記、ほとんど拝読しました。

この2ヶ月間は、隣や向かいの窓辺の色を覗いては励まされていました。

よくわかるなー、とか、あれ、わかんないや、とか、どんな反応が起こっても、

外を見て、自分の輪郭を知るような時間でした。

ありがとうございました。

Rika M. Orrery

Rika M. Orrery

絵描き、クラフター。
ときどき写真やビデオを撮ります。

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