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2F/当番ノート

毎日になると不思議じゃなくなった

当番ノート 第12期

玄関を開けると、女性の手が目の前の塀から出ています。
わ、
と思って思い返してみたら、
前の日の晩に、真っ暗なアパートの廊下に黒い染みがふたつついてて、
なんだろうなあと思って触れたら柔らかくて、それをじぶんで塀の上に置いたのでした。
ああ思い出したと安心してその女性の手をそのままにして、
ぼくは近ごろ出かけたりしているのですが、
そんな安心した朝はもう一週間ほど前のことで、
いまだに玄関を開けると女性の手がそこにあるのです。
きっとこのアパートの交友関係上の誰かのなのだろうと思って
そのままにしておいたのに、いまだにその女性の手の持ち主が現れないのです。
すらっとした指のようです。きっとスマートな方なんじゃないかと思ってます。

そういえば、このアパート、先日となりのひとが引っ越して出て行ったのですが、
逆となりのひとたちと全然会ったことがありません。
こんなに大きな箱のなかでもしかしたらぼくは独りなのかな。
ではこの女性の手はいったいなんだのだろう。
ぼくのなかから、ぽろっと落ちてしまったそういう手なのかなあ。
ぼくのなかの女性がもうぼくなんかヤになって、えーいと踏ん張ってみたものの、
両手しか外に出せずに、うんうんと、もがいてみた、
もうだめかなあと思ったときにぽろりと地面の染みになった。
ぼくのなかの女性はいま手がないので、絵も描けずに本も読めずに、途方に暮れている。
だからかなあ最近気持ちが落ち着かないのは。

おとことかおんなとかあったり、おとなとかこどもとかあったりして、
なんだか逆位置にあるような、そういう関係だったりするけど、
たぶん、おとこだっておんななのだろうし、おとなだってこどもだろうし、
って最近思っています。
分けちゃうほどに理解しやすくなるのだろうけど、
分けちゃわないほうがなんだかほんとっぽいなあと思います。
こどものころと同じことばじゃなくなってるけど、今でも同じこと言ってるんだろうなあと。
これを書きながら、ちょっと玄関を開けてみたら、
やっぱりそこに女性の手が今日もありました。
今ではそれを見ると、ちょっと安心してたりしてます。

ところで、近ごろ果物ってすごいなあと思ってます。
あんなにちゃんと手がべたべたにならないように皮で包んでくれているうえに、
中はすごく水が入っているし、
捨てられた皮は土を肥やすし、吐き出された種からはまた新しい実がなるのです。
じぶんでじぶんを育てているようで、ほんとにかっこいい。
ほんとにぼくなんか足元にも及ばない生き方をしているなあ果物は。
りんごとみかんが美味しい冬は、好きです。

りんご少年

熊野 英信

熊野 英信

1984年から生きてます。
絵とことば。
カレーと珈琲。
音楽とさんぽ。

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