【頼音】
【匠音】
以前、友人に見せられた2つの単語。
このふたつの単語を見たときに、頭にはなにが浮かぶだろうか。
私は見たことがない組み合わせの字面に少し思考が停止した。
その数秒後、もしかして人名…?とかろうじて頭は再起動したものの、読み方がわからない。「よるね」?「しょうね」?だとしたら響きは女の子っぽいが、どうも違うような。でも男だったとしたらなんと読むのか。
「らいおん」
あれこれ考えている最中に答えは告げられた。
らいおん、である。人の名前に「らいおん」とは何事か。と思ったのもつかの間、
「しょーん」
続けざまに「しょーん」ときた。ここまでくるといっそのことカタカナではいけなかったのかと思わずにはいられないが、なんらかの親の意図があって漢字になったのだろう。それにしても言われてみるとそうとしか読めない名前に思えてくるから不思議だ。
ちなみにこの2人の名づけ親というのがロックシンガーのダイヤモンド☆ユカイである。
親の名前に☆が入れば子も「らいおん」になるよなと妙に納得してしまった。子どもの名前というのは親の思想や願いが少なからず込められているものだよなと思ったら、なんだか少しいい名前に思えくるから不思議だ。
毎日呼ばれている自分の名前が、どこかにあったものではなく両親が考え抜いてつけてくれたものだとわかったのは、自分の子どもの名前を考え始めてからだった。先に挙げた2人の子の名前も、自分の子の名前を考え出して思い出したものである。
通っていた産婦人科で「女の子ですね」と口にされたのはいきなりだった。
性別は大体7〜8ヶ月ごろにわかると本に書いてあったので、油断していた。6ヶ月目の通院の時に担当の先生が教えてくれたのだが、こちらから聞いたわけでもなく、何の前ぶれもなく我が子の性別がわかってしまい、あっけらかんとしてしまった。最新の機器はお腹の中の子の表情もわかるほど発達していると聞いたのもその時だった。
ツマとはそれまでも「名前どうしようかー」なんて男のか女の子かわからないまま口癖のように話していたのだが、性別がわかるとこの会話にも現実味が増してくる。子どもの名前をつけることの重みを感じるようになったのもこの時で、それって、当たり前だけど、親の重大な仕事なんじゃないか、とやっとわかってきたのである。
子は親を選べないというが、名前もまた選べるものではない。変な名前をつけようものなら変なあだ名が待っているだろうし、子どもが気に入らない名前をつけたら大きくなったときに嫌われるのではないかと不安にもなった。
名付けの難しい、というか、なかなか決められない理由は、生まれたときだけでなく、その名前を子どもが一生背負っていくというところである。たとえば今は良い名前に思えても、将来にわたってその印象を保てるとも限らない。自分たちが「やっぱこっちの名前の方が良かったかも」と思ってしまうような名前はつけられないのだ。
悩みに悩んで、とりあえず参考までにと「人気名前ランキング」なるものを2013年から2001年までチェックをしたりもした。名前にも流行りすたりがあって、なんというか、やはり年を追うごとに段々今っぽくなってくる。
ランキングではなんとなく毎年上位に食い込んでくる名前や漢字もあれば、颯爽と現れては消えていく漢字もある。キラキラネームをにおわせる漢字や名前がが段々と存在感を表し始めるのも私たちの不安をあおる要素になった。キラキラネームはつけたくないけど将来それが普通になって、古風な名前をつけたうちの子がクラスの中でいじめられたりしないか…などと想像をしてしまう。なんだか文字にするとばかばかしい想像に思えてならないが、実際のところそうならないとも言い切れない。
キラキラネームと呼ばれる奇抜な名前が増えてきたのは90年代からとされている。
ケータイ小説が普及して、その影響を子どもの名前に反映させたのだと予測できるが、最近になって成長した子どもが改名を申し出ることが増えているという。
ちなみにメジャーリーガーの松坂大輔選手が生まれた1980年は、同年に甲子園を沸かせた荒木大輔さんの影響もあって、「大輔」という名前が男児の名前ランキングでトップとなっている。社会現象とも呼ばれるぐらいのブームになると、名づけにも大きな影響を与えてしまうのだ。
こちらは改名の手続きに関してのページ。
https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E6%94%B9%E5%90%8D
ここに並んでいる名前をみると、そりゃ変えたくもなるよなと納得してしまうものばかりなのだが、この手続きがなかなか通らず大変らしい。経歴詐称や犯罪に利用される可能性があるので改名をするための基準は厳しくなっているらしい。
なにも奇抜な名前をつけようと思っているわけではないので改名の心配までする必要は無いのだが、いい名前かどうかも名づける側の主観でしかないので、キラキラかどうかはもちろん、子どもが成長したときに「いい名前」と思ってくれるような名前にはしてあげたい。
名前とは不思議なもので、考え出すとお腹の子が実体を帯びたようなものに感じられ(もちろん実体はあるのだが)、これまでよりもわが子として身近に感じられてくる。
「子どもの顔を見たら名前が自然と浮かんできた」なんて話もたまに耳にするが、そんな風に浮かんでくる気はこれっぽっちもしないし、生まれてから出生届を出すまでの間に焦ってつけるわけにもいかない。なので今から漢字字典を引いたりしながらツマと毎晩のように話し合っている。まだまだ決まりそうもないのだが、生まれてくる前でありながら娘の姿がおぼろげながら目に浮かんでくるような、幸せな時間なのである。