【第3話:命とヤバい女の子】
◾︎八百比丘尼
花の命は短いけれど、命短し恋せよ乙女といいますね。それでは、命が短くない女の子の恋はどうか。
八尾比丘尼は人魚の肉を食べて、不老不死になってしまった女の子です。彼女は誰よりも長生きし、若く美しい姿であちこちを旅した。そしてあらゆる人と永訣しました。
よもつへぐい、とは非日常との交わりだ。
自分と異なるものを口に入れて、それを受け入れて同化してしまうことだ。
人魚の肉は黄泉のかまどで煮炊きしたものではないけれど、しかしこういったことは、私たちの毎日において案外頻繁に起こります。
私たちは毎日、自分と異なるものを受け入れて、少しずつデモニッシュにアップデートされている。アップデートしたものは、簡単に元に戻せない。
知らなかったことを知ってしまった後からなかったことにはできないし、無限の命を手に入れてしまった後からか弱い少女には戻れない。
八尾比丘尼はそのパワーのためにいろいろなものと別れながら歩き続けなければならないし、儚くて命短き乙女には二度と戻れないのだ。
ところで、花の命はほんとうに短いのか。
短き命のあるうちにしなければならない恋とは、ほんとうに同性・異性間における青春的恋愛のみを指すのだろうか。
花の命が短いと感じるのは、花弁を鑑賞する立場の感覚です。私たちは咲いてから一週間やそこらで死滅しないし、まだまだ欲しいものだってあるし、あと何十年か自分の仕事をしたりごはんを食べたりする。女性の平均寿命である86年は、一般的に長い年月です。
恋とは、その果てしなく長い時間を生きる気力のことではないのか。そうでなければ、誰がバレンタイン・デーに自分のためにチョコレートを買うものだろうか。
日本全国を歩き回った八尾比丘尼のそれは紛れもなく恋です。誰と連れ添っても自らのパワーのために別れの朝を迎えてしまうなら、自分に恋をするほかありません。
私は彼女にセルフィ棒をプレゼントしたい。セルフィ棒さえあれば、シャッターを誰かに頼まなくてもすてきなポートレートを撮ることができるからです。
別離をたくさん経験しても、あらゆる人と永訣しても、楽しい景色を見て写真を撮りまくり、かわいい風来坊でいてほしい。
海も、山も、見たことのない街も、図書館も、プールも、狭いアパートの借り住まいだって、いつもあなたを待っているのだから。そしてそれは、永遠の命を以ってしてもきっと楽しみ尽くせないものだから。