先日渋谷区役所の前で、同性愛パートナーシップ条例反対の運動を見かけて、留学していた頃を思い出しました。
私がパリに留学していた2012年にもフランスでは同性婚への活発な動きがあったのです。
2013年の五月に正式に合法化となりフランスは同性婚を認める14番目の国となりました。
同性婚に関する意見交換は同性同士の恋愛や結婚概念から枠を越えて、異性間でも養子縁組制度や、そもそもの結婚制度のありかた、家族の概念について考えるきっかけとなっています。
自分の性別を聞かれて「男」「女」と何故はっきり言えるのでしょうか。
なぜ異性が恋愛性愛対象だと断言できるのでしょうか。
改めて、
女とはなんでしょうか。
男とはなんでしょうか。
「男」も「女」も
生物学心理学的に探求すれば研究としての答えにはたどり着きます。
しかしこれもまた研究による統計学であり、極端な話が多数派少数派、平均値といえます。
これは一個人的な見解ですが。
産まれてから身体の性としての環境の中で育ち、無意識のうちにそして反射的に「男」「女」としての行動をとるのではないかと思っています。
男がする事、女がする事、がパターン化され各々が実行します。
そして「男」「女」の違いが生じ両者の間に境界線が出てきます。
心の性と身体の性が異なるトランスジェンダーは、身体の変化が大きく現われる成長期にこの境界線に苦悩していますが
必ずしも身体の性を心の性に手術したいと願う方ばかりでは無い事も。
セクシャルマイノリティと呼ばれる性は他にも沢山存在します。
心と身体の性、そして「個人の趣向」は必ずしも一致せず、まるでグラデーションのように様々な色があるのです。
一人のおんな、一人のおとこ、として存在意義を定義する必要は全くなく、一人の人間として生きられればそれが良いのだと思います。
しかし世間から「性別」や「肩書き」「宗教」等を求められます。
これは人類の歩みとして仕方のない事、と片付けていいのでしょうか。
月並みな言葉ですが
一人の人間として見れる事が出来れば
セクシャルマイノリティに限らず男女関係なくセクシャルやモラルハラスメント等の性差の問題は減るのかもしれません。
このように性について考察している私ですが
私が得意とするランジェリーデザインは非常に女性的で官能性が高いランジェリーを生み出しています。
時折思うのです、何故こんなにも「女」を強調するようなランジェリーを作っているのかと。
(2012年制作のランジェリー)
私は何故、「女」を強調したランジェリーを生み出したいのか、改めて自分に問いかけました。
「女!なランジェリーが好きで好きで仕方ないから。官能的な世界観を発信したいから。女である愉しみをもっと知って欲しいから」
と簡単に言う事は出来ます。
もう少しさぐってみると、一つの仮定が見えてきました。
「私は女の身体で産まれ育ち、なんとなく女として生きてきた。」
だから「女」を強調するランジェリーを作り、自分を「女」として形作りたいのではないのか、と。
女になりたい、のだと。
この記事を書きながら
おねえでは無いゲイでフェミニンな友人が言っていた言葉を思い出しました。
「何故整形を否定するのかわからない、ブスでいるくらいなら整形するわ!」
「お母さんが男にモテて何か嫌なの?かっこいいじゃない。」
彼は美しいモノを愛しとても大切にしていました。
そして女として胸を張って生きている女性が大好きでした。
ヒールの歩き方が美しくない女性がいるとこう言うのです。
「ブサイクな歩き方!」と。
彼の姿を思い出すと、見た目は男の友人が、女性よりも身のこなしや仕草が色っぽくフェミニンでした。
町を歩くどの女性よりも優雅な歩き方でした。彼は女装はしませんし、女になりたいと思っていませんが、「女」が好きでした。
ですから、自分が信じる美しさを体現していたのだと思います。
私のもとには
ランジェリーデヴューしたいからお買い物に付き合って欲しい。と連絡がきます。
それは知人の紹介であったり、私の友人だったり。
いつもなんとなく下着を選んでいた、という彼女達を様々な売り場につれていき、色んなランジェリーブランドを紹介します。
その中から、彼女が最も似合う一着を選ぶのです。
テイストはその人次第、セクシー系モード系可愛い系ナチュラル系…
試着した彼女達はみんな自分の新たな姿に照れ笑い、微笑んでしまいます。
一度体験すればあとはもう、各々がランジェリーの世界に突き進みます。
ランジェリーデヴューした彼女達は、女っぷりがあがった気がする!とうきうきしています。
ランジェリーは女性の中にある「緊張感」を高めるアイテムです。
女性として美しさを体現し律するアイテムとなるのです。
不思議なもので、本人の趣向に左右されないのがランジェリーで、ランジェリーはムードによって左右されます。
容姿がスポーティな女性でも、セクシーなものが欲しい時もあればかわいいものが欲しいときもあるのです。
コットンで肌に優しいものが着たいときだってあります。
誰かに見られる見られない関係なく、自分の為に着るのです。
人生において不必要と思う方もいるかもしれませんが
日々の小さな彩りの一つとしてランジェリーを楽しめる心はとても豊かだと思うのです。
ランジェリーに限らず、ちょっと贅沢な食事であったり、旅であったり、食器に拘る事だったり、日々の彩りは人それぞれです。
女である人生を楽しみ、容姿も内面も含めた美へ妥協しない女性の姿はかっこよく魅力的です。
このように心豊かに感度を高めて生きる事は、他者を理解する為の懐の深さをつくりあげていくきっかけになるかもしれない、なんて思ったりするのです。
私が作ったランジェリーも誰かの日々の彩りになっていればとても嬉しい。
少しでも自分の姿を愛し、濃密な「女」の世界を楽しんでくれる事を祈って
これからも作り続けたいと思います。
せいな