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2F/当番ノート

第七話「33歳の自分経営」

当番ノート 第22期

 1975年、愛知との県境にある、岐阜県の山奥で僕は生まれました。
 僕が幼い頃住んでいた家は、小さな山の上にある一軒家で、何代も続いた旧家でした。
藁ぶき屋根に五右衛門風呂、火鉢まであるという、江戸時代のような住まいが僕の原風景です。当時はアスファルトの道路もなく、一番近い店まで歩いて30分かかりました。
 母親が嫁いできたばかりの頃、深夜人が近づかない裏の林に幼児がいるのを見かけ、幽霊がでたと言って大騒ぎしたことがあるそうです。
 父が確かめに行くと梟でした。
 そんな田舎で、僕は小学生になるまで両親と三人で暮らしたのです。
 父親はほとんど家にいなかったので、母子家庭のようでした。
 母は時々車に乗せて、街の本屋まで連れて行ってくれました。
 そこで偶然買った一冊の本が、僕の世界観に決定的な影響を与えることになります。
 水木しげるの妖怪世界編入門(小学館)という本です。
 それを開くと、水木しげるの超現実的な描写で世界中の妖怪が描かれています。

 世界には恐ろしい妖怪がいっぱいいます。
 実際に外国にいったことがなかったので、妄想はどんどん広がりました。
日本にはひょうきんな妖怪が多いが、海外の妖怪は、人を食ったり、引き裂いたり、血を吸ったりする化け物ばかりなのです。
 例えばギリシアのカボチャの妖怪エムプウサイは「ほんとうは醜い顔をしているが、美人に化けることもでき、とても恐ろしい妖怪。美人に変身したときは、やさしくつきあい、ごちそうをいっぱいたべさせてくれるが、目的は相手を太らせてから食べようとしているのだから、ゆだんならない」と書いてあります。
当時の我が家の便所は外にあって、当然ボットンだったから、読むとトイレにいけなくて非常に困りました。
でもだんだんと、怖い妖怪達が大好きになり、
僕は妖怪の存在を信じ込むようになりました。
世界中に様々な妖怪がいると思うと、楽しくてしかたありませんでした。
子供のころは、一日中妖怪のことを考えて遊んでいました。

しかし年を重ねるにつれて、
妖怪の存在を疑うようになっていきました。
人間の妄想が産み出した虚構の産物なんじゃないか。
僕は漫画や絵本で妖怪をたくさん描いてましたが、
現実にはいないと考えるようになりました。
いつのまにか、妖怪もサンタクロースも信じない、
つまらない大人にはなっていたのです。

2008年、32歳で早稲田大学に復学してから、
僕はがむしゃらに勉強しました。   
以前取得した単位があったので、順調にいけば二年で卒業することができそうでした。       
そして二年目に、あるゼミを受けました。
「自分のプロジェクトを経営する」という不思議な名前の授業で、通称「自分経営ゼミ」と呼ばれています。
教室に行くと、元通産省の官僚出身で、ひょうひょうとした雰囲気の教授が待っていました。
教授の名は友成真一と言いいます。
友成先生は、
マクロな政府の側から、世の中をよくしようとして努力してきたそうです。
しかし、それが一人一人の幸せにつながっていないことを痛感し、官僚をやめて、ミクロな地域や個人の改革に乗り出したとのことでした。
自分経営ゼミでは、自分の腑に落ちる夢を見つけて、実現するにはどうすればよいか、みんなで話し合います。
自分の夢を経営できるようにするのです。
ゼミの中で、自分の夢について一人一人がプレゼンをすることになりました。
僕の番がきました。
その時、僕の口から無意識に言葉が出ていました。

「僕は妖怪になりたい」

 大人になって信じられなくなっていた妖怪に、
自分がなりたい。
妖怪という存在には、僕が本当に本当にやりたかった夢の本質がつまっている気がしました。
僕の今までのおかしな人生、

沢木さんのin your own way

早稲田への憧れ

漫画家になりたいという夢

誰かを愛したい想い、誰かに愛されたい想い

だめだめな生活

土井さんの絵本

荒川さんの不死への情熱

僕の様々な想いや経験、
今まで言葉にできなかった何かが、妖怪という言葉にこめられているように思えたのです。
僕がやりたいこと、僕の夢は妖怪としか表現できないものでした。

「僕は妖怪になって、不死になりたいです。妖怪の絵本を創り、世界中で読み聞かせをしたいです」

大声で演説すると、教室は大爆笑になりました。
妖怪という言葉には、何かユーモラスな響きがあって、不死の持つ危険な香りが緩和されました。
なんだか怪しいんだけど、面白おかしくて、可能性のある存在。
みんなが笑ってくれている、これだ、妖怪だ!!
この妖怪という存在になって活動すれば、僕のやりたい不死への情熱を他人に伝えることができるかもしれない。
妖怪には、不死の情熱も、絵本も、漫画も、全て詰め込める気がしました。
友成先生に

「僕は妖怪になりたいんです。可能でしょうか?」

と聞くと、先生は

「妖怪?簡単になれるさ」

と笑って答えてくれました。
卒業論文の担当教官は友成先生にお願いしました。
タイトルは「僕は妖怪になる」。
友成先生の研究室に毎週通い、妖怪について議論しました。論文とは言えないような文章でしたが、何とか書きあげることができました。卒論には、どうすれば妖怪になれるか、実現するためにプロジェクトの輪郭を書きました。
僕が書きたかった一番重要なことは、
妖怪は「夢と現実の境界をなくす存在だ」ということです。
昔は妖怪は山や川にいると信じられていましたが、現代日本ではほとんどの人が信じなくなり、
水木しげるの漫画や絵本など、フィクション(夢)の中に妖怪は住んでいると考えられています。
しかし、現実の世界で生きる僕が、妖怪になると宣言して活動することで、夢の世界にいる妖怪を、現実の世界に存在させることができるのではないかと考えたのです。
多くの人々は、絵本の世界と、現実の世界は別のものだと考えます。
でも夢と現実の境界は、人間社会の常識がつくりあげた幻なんじゃないか。
夢と現実に境界はない。
妖怪は本当にいるし、サンタクロースだっている。
妖怪にだってなることができる。
僕は妖怪を絵本でかきながら、自分自身も妖怪になりたい。
夢の絵本の世界と現実の世界をつなぐのが妖怪だ。
妖怪は夢と現実の壁を通り抜けて活動する。
妖怪は、
生きる絵本なのです。

友成先生は僕の変な論文に、A+をくれました。
そして、卒業式の何日か前に友成先生の研究室に相談にでかけました。
当時アルバイトをしていた医療事務の派遣会社が、僕を正社員にしてもいいと言ってくれたのです。でも僕は迷いました。

「僕は社会から見れば、あちこち欠落しています。まずは
正社員になって、短所をなおしてから、自分の夢を追った方がいいでしょうか。
それとも就職をせず、全力で妖怪を目指したほうがいいでしょうか?」

僕の話を聞いた後、友成先生は

「こんなことをいうと、加藤くんの人生を狂わせてしまうかもしれないけれど…
もし加藤くんが就職して自分の欠点をなおしてしまったら、加藤くんの長所も失われてしまうかもしれない。
加藤くんがそのまま妖怪をめざしたほうが、
社会にとって良い」

と言ってくれたのです。
加藤くんにとって良い、ではなく、社会にとって良いと言ってくれたことに感動して、僕は就職をせず、全力で妖怪を目指すことに決めました。

卒業式の前日の夜、僕は大学の中にある24時間使えるパソコンルームで演説の原稿を書いていました。
自分の夢を明日の卒業式で語ることにしたのです。
卒業式に舞台が用意されているわけではありません。
誰にも求められていないのに、僕は一人で演説することを決めました。
その文章を書きながら、自分の人生を振り返ると、僕は愕然としました。
僕はいままで様々なことにチャレンジしましたが、ほとんどが挫折し、途中で投げ出していました。
多くの人たちが応援してくれたのに、僕はみんなの期待を裏切ってきたのです。
自分は何でも一人でできると思い込んでいましたが、
実際には、一人では何一つものごとを成し遂げることができない男なんだ、ということを認めざるを得ませんでした。
ずっと涙が止まりませんでした。
でも、はじめて自分に対して正直になれた気がしました。
徹夜して卒業演説を書き終え、大隈講堂前に向かいました。

2010年3月25日、朝から小雨がふっていました。

つづく

加藤 志異

加藤 志異

妖怪
加藤志異 かとうしい
1975年岐阜県生まれ
早稲田大学第二文学部卒業
絵本ワークショップあとさき塾出身
妖怪になるのが夢。
妖怪になって
世界を面白くするために
神出鬼没の妖怪活動を展開中。

自身のドキュメンタリー映画
「加藤くんからのメッセージ」
(監督 綿毛)が
イメージフォーラムフェスティバル
2012東京.横浜会場で観客賞を受賞。
全国各地で劇場公開。
《公式ホームページhttp://www.yokai-kato.com》

スペースシャワーTV
ナンダコーレ
『読み聞かせグルグルグルポン』
(監督saigart)
出演

絵本の原作に
「とりかえちゃん」
( 絵 本秀康

Reviewed by
大見謝 将伍

" 妖怪は夢と現実の壁を通り抜けて活動する。妖怪は、生きる絵本なのです"ーー夢と現実、子どもと大人、その間にある距離、体温、匂いの違いこそ大切にしたい。どちらも行き来できる存在であれ。

「あの時のあれ」が、「今のこれ」に繋がっている。そんなことに気付かされることがある。遡ってみると、幼いときの過敏とまでいえるほどの五感で得たものは、未来をつくる種だったのだ。

後ろを引きずることは良いことではないが、後ろを振り返り、その種を見つけ、時空を越え、今目の前に持ってきたのち、これまでに生きて耕してきた土に植え、しっかりと育てるという気持ちをもって水を遣る。

そうやってきた人のこれからは、明るいだろうし、その種がすくすく育っていくのを一緒に見守りたくなる。加藤のさんの「妖怪」という種は、今や加藤さん一人だけのものではなく、その広がりを見せ、いつしか社会の種になっていくのではないだろうか。いや、ぼくはそうなることを願いたくなった。

「今自分がやってることが何になるんだろう?」「どんなことにつながるんだろう?「これが無くなってしまったら自分はどうなってしまうのだろう?」さまざまな不安に苦しめられている人はいるだろう。

だけど、その今はなにがなんだかわからないその存在は、きっとどこかで、架け橋をつくりはじめる。過去と今、そして未来がつながりはじめる日が訪れる。そのときを、じっくりじっくり待てばいい。案外、ひょんなときに突然やってくるかもしれない。

つながる瞬間はある。必ず、とは言わない。想いを持たない人のところにはやってくるわけはないから。そのつながる瞬間を引き寄せるのは、自分だけしかない。ということは、とどのつまり、自分の歩いたきた道のりを振り返り、現在地点を確かめ、これから“その”方向へと歩いていく、自分の直感を、自分自身を信じていくことだけじゃあないか。

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