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3F/長期滞在者&more

第二部 第九話「35歳のルームシェア」

長期滞在者

 あなたには、夢がありますか? 

夢をかなえた人 

夢をかなえられず、あがいている人 

夢を探して迷っている人 

夢なんてなくても楽しく生きている人

 世界にはたくさんの夢があって、たくさんの人がいます。

 僕は夢のおかげで、なんとか生きてこられた男です。お金がない時も、好きな女の子にふられた時も、自分に絶望した時も、 夢のおかげで、なんとか楽しく生きてこられました。 22歳から探し続けて、やっとみつかった夢を、僕は手に入れるために、毎日生きています。 

 34歳のころ、僕は中退復学、卒業まで11年かかった早稲田大学を卒業して、就職もせず、 自分の夢を追いかけていました。

 住んでいた井の頭公園のそばのアパートが老朽化して、取り壊されることになり、どこに引っ越そうか迷っていた時、喜屋武君という12歳年下の友人に、「加藤さん、今度早稲田のそばのビルでルームシェアをするから、一緒に住みませんか?」と誘われました。 

僕は即座に断りました。 

そもそも僕は集団生活が苦手で、一人暮らしを何年もしてきました。部活の合宿がある前日は憂鬱な気分になりました。

それに11年かけて卒業した大学の裏で暮らすなんて、もう飽き飽きだったのです。でも、喜屋武君は人懐っこい目で、何度も誘ってきました。そこまで言うなら、一度見学に行ってみようかと、都電の早稲田駅のすぐ近くにある「平山」と呼ばれているビルに行ってみました。4階建ての古いビルで、1階と2階は大家さんのオフィス、3階と4階を早稲田の学生達が借りていました。香港の九龍城のような、現代の日本とは思えないオンボロな作りで、衝撃を受けました。障子が破れまくり、先住の誰かが置いて行った、壊れまくった電化製品やら服やら本やらが、あちこちに散乱しています。

あまりに怪しいので、いつのまにか、僕は大笑いしていました。

このビルで暮らせば、自分がいままであったことのない経験ができるのではないかと思いました。

 喜屋武君たちとルームシェアすることに決めました。

 3階と4階の部屋を借りていたのですが、3階には年が離れた現役の早大生3人が住んでいました。石垣島からやってきた、気のいい喜屋武君。論理的に話すけど、人懐っこい大久保君。クールな森さん。3階は襖をとっぱらって、大広間みたいになっていて、雑魚寝していました。毎日が修学旅行のような部屋でした。

この部屋は4階建てのビルの3階なのに、なぜかこの階だけ雨漏りがして、畳に染みができて、キノコが生えていました。僕が住むことになった4階の奥の部屋は、襖も確保されいていて、個室になっていました。窓を開けると、大通りで、たくさんの車が走り続けていました。うるさいというよりも、まるで河の流れのような音がずっとしていて、いつのまにか慣れました。

4階は部屋がもう一つあって、誰か同居人を探さないといけなかったので、伊藤さんという知り合いを思いだして、電話してみました。特に親しいわけでもなかったのですが、僕が学生時代、授業で発表した帰りに声をかけてきてくれて、なぜか僕のことを絶賛してくれたのです。それから、キャンパスの中で時々あって、話すことが何度かあり、もうすぐ卒業するから就職するとか、やっぱり就職はやめて芸人になるとか言っていましたが、とりあえずは卒業してバイトをするとのことでした。この人なら一緒に住んでも疲れなさそうだと、なんとなく誘ってみたら、あっさりOKしてくれて、同居することになりました。

このビルは鍵が開けっ放しで、早稲田大学から徒歩5分ぐらいの場所にあったので、しょっちゅう学生が出入りしていました。ある日、家に帰ってくると、ルームシェアしている住人が誰もいなくて、知らない学生がテレビゲームをやっていました。そんなことがあっても、誰も驚かず、ここは平山だから、ということでみんな納得していました。

様々な人達がここにやってきましたが、藤村さんという巨体の男がいて、遊びに来たことがあります。彼は関西の大学を主席で卒業して、大企業で働いたり、ドキュメンタリー番組をつくったりしていましたが、30代をすぎて早稲田に入り直して、猛勉強しているという男でした。異様な迫力がある男で、彼は革命でもするために大学に入って勉強しているのではないかと僕は推測していました。若い学生達を集めて、明治維新の志士のように、どこかに押し寄せる気ではないかと僕は妄想していました。その藤村さんも平山に遊びに来て、この60年代の革命の季節の風景になっていそうなビルが気に入ったようでした。帰り際、平山のビルの出口で僕が「藤村さんは何をするために早稲田に来たのですか?」と聞くと、一言「キャンパスラブ」と答えたので、爆笑してしまいました。でも革命よりも、キャンパスラブを30すぎて、本気でするために大学にやってきた、藤村さんを僕は大好きになり、仲良くなりました。 

夜中になると宴が開かれ、ビールを飲みながら、喜屋武くんの恋愛話を肴に、みんなで朝まで語りました。 平山はまさに人間交差点とでもいった感じの場所で、たくさんの人が訪れました。毎日がどんちゃん騒ぎで、修学旅行でした。生産的ではなく、資本主義とは全く関係ないエネルギーが、このビルには充満していました。様々な出会いがありました。それは僕にとって、遅い青春だった気がします。


あの頃の友達のある者は結婚し、ある者は音信不通で、ある者は相変わらずです。そして僕は巨大な夢を抱えて、今も歩いています。 

このビルは数年後に取り壊され、今は横文字の名前がついた、高級マンションになっています。 (つづく)  

加藤 志異

加藤 志異

妖怪
加藤志異 かとうしい
1975年岐阜県生まれ
早稲田大学第二文学部卒業
絵本ワークショップあとさき塾出身
妖怪になるのが夢。
妖怪になって
世界を面白くするために
神出鬼没の妖怪活動を展開中。

自身のドキュメンタリー映画
「加藤くんからのメッセージ」
(監督 綿毛)が
イメージフォーラムフェスティバル
2012東京.横浜会場で観客賞を受賞。
全国各地で劇場公開。
《公式ホームページhttp://www.yokai-kato.com》

スペースシャワーTV
ナンダコーレ
『読み聞かせグルグルグルポン』
(監督saigart)
出演

絵本の原作に
「とりかえちゃん」
( 絵 本秀康

Reviewed by
佐伯享介

「夢は叶う。僕は妖怪になる」
そう絶叫する男性の映像を、7年経っても覚えていた。その映像とは、加藤志異さんを被写体にしたドキュメンタリー映画『加藤くんからのメッセージ』の予告編だ。私は自分が働いているウェブメディアで「そんなドキュメンタリー映画が上映されることになりました」というお知らせを、7年前に記事にしたことを覚えていた。ほんとうにもう、数万本くらい記事を書いてきたのに、ちゃんと覚えていた。

そのご当人である加藤さんが、新しく連載をはじめるという。しかも、そのレビューを書かないか? とアパートメントの管理人さんからお誘いを受けてしまった。何かの縁としか思えない。ので、一も二もなく引き受けることにした。

第一部が執筆されたのは2015年。6年経って、加藤さんの筆致はどのように変化したのだろうか?

待ちに待って届いた第1回目、第一部から数えると通算第9目回は、妖怪含む早大生たちのルームシェアのお話。毎日が修学旅行みたいな日々。夢や恋愛、さまざまな人が行き交う人間交差点。その様子を語り聞かせるように伝えてくれる加藤さんの文章は、物事をコトコト煮込んで出来あがるような、角がとれて丸くなった言葉からできている。語り手のまなざしは、時間をともに過ごした人々、もう無くなってしまったあの場所、そして世界中にあふれるたくさんの夢と、たくさんの人々を、私たちを、包み込む。

次回は、どんなお話を聞かせてくれるのだろうか? 楽しみに待っていよう。

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