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2F/当番ノート

私がニューヨークに来た理由は、100個はないが結構ある。

当番ノート 第25期

“僕が旅にでる理由は だいたい百個ぐらいあって”*と、くるりの岸田さんが歌の中で歌っていた。
私がニューヨークに来た理由も、百個はないが結構ある。一つ目の理由は、その曲の一節とまた似ていて、その時自分がいた場所で息が詰まりそうになったのと、小さな理由が山ほどと、大きな理由としては、この街に溢れるエンタテインメントと、行動さえ起こせば巡ってきそうなチャンスの影に心奪われたからだ。

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13歳の時、音楽の仕事をしようと決めた。高校時代、みんながバンドやろうぜ!と盛り上がる中、ヒップホップに目覚めた私は、唯一音楽の趣味が合う友人とラップをやっていた。バイト代はすべてライブにつぎ込み、その時代のスターとその空気を楽しんだ。MTVをよく見ていた。 洋楽のミュージックビデオに刺激を受けた、アワードを見てはワクワクが止まらなかった。歓喜の渦が好きで仕方ない私にとって、MTVのアワードやグラミー賞は、それはそれは輝いて見えた。それがあるのはアメリカなのかな、いつか行きたいなと思っていた。

19歳の時、音楽の仕事に就いた。想像していた以上に忙しかった。しかし、日々に追われるを超え、追い越されそうな目まぐるしい暮らしの中にあっても、音楽の力は絶大だった。心身ともにギブアップ!もう無理だ!という時でさえ、誰かの歌が私の支えになった。その歌に熱狂し、泣いたり笑ったりする観客の姿もまた、私の力になった。たった1回のステージが、誰かの人生を変えることがあることを私自身が体感していたからこそ、その一瞬一瞬を大事にしようと心がけていたように思う。何かを思い出すとき当時聞いていた音楽を思い出したり、その逆で、音楽を聞いてその時を思い出すことがある。私の記憶は、その時の音楽と共にある。

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音楽の仕事をしていく中で、たくさんの素晴らしい才能やステージに出会った。そして、多くの人との出会いがあった。私の周りには、過去にニューヨークにいたという人が溢れていた。エンタメの本場、アメリカ・ニューヨーク。話を聞けば聞くほど、ニューヨークへの思いは募るばかり。しかしながら、行くほどの休みも心の余裕もなく、なかなか足を運ぶには至らなかった。

26歳の時、震災が起きた。私の故郷、福島は大変なことになった。一生きちんと向き合うことなどないと思っていた自分の町と、否が応でも向き合わざるを得なくなった。高校を卒業してからずっと東京で暮らしていたけれど、震災以降、東京と福島を往復する日々が始まった。音楽の仕事から少し距離を置き、それまで知らなかったジャンルの仕事をたくさんした。あっという間に3年が過ぎた。その3年の間に、音楽の力を思い知る出来事がたくさんあった。

震災後、地元の仲間とMUSUBUという団体を立ち上げ活動を始めた。自分の目には希望が失われて見えたその町に、せめて自分たちの手で希望を作りたかった。震災から3か月後、MUSUBUとして最初のイベントを行った。ロックバンド・くるりの皆さんを招いてのライブ。会場は津波の被害にあった海の目の前のイベントホール。砂にまみれた会場を清掃し、電気の復旧しない会場に発電機を入れ、その時を迎えた。少ない事前告知にも限らず、大勢の人が会場に集まり、同じ音楽を楽しんだ。そこにはたくさんの笑顔があって、私はまた、音楽が好きになった。

29歳の時、憧れのニューヨークを初めて訪れた。世界中の人々が夢を追い求めやってくる街。路上のみならず地下鉄にも溢れるパフォーマー、建物に描かれたグラフィティ、華やかなブロードウェイミュージカル、街を行き交う様々な人種の人々、言葉。誰もがこの街では自由で、みんなマイノリティ。胸が躍った。当たり前で、でもそれまで気付かなかったたくさんのことに気付かされた。一ヶ月の滞在の中でたくさんの出会いがあった。とある出会いの直後、”今日話したことを企画書におとして2日後にプレゼンしに来てほしい”と言われ、大急ぎで企画書を作り、あのエンパイアステイトビルディングにプレゼンに向かったときは、久しぶりに緊張しすぎて吐きそうになった。色々な意味で、震えた。この時、この街は願えばチャンスが巡ってくる街だと確信した。大好きな音楽やエンタメに溢れ、生きていることを実感できるこの街で暮らしてみたいと思った。ここでもう一度、音楽の仕事がしたいと。

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そこから少し時間はかかってしまったけれど、今ニューヨークで生活している。思っていた通り、何をするにも簡単ではないけれど、日々成長していると信じ、今日もここで暮らしている。ある人が私に言ってくれた「あなたはこの街に愛されているから大丈夫」という言葉も信じながら。

*出典:くるり「ハイウェイ」より

宮本 英実

宮本 英実

ソ-シャルコラボレーター / MUSUBU代表
福島県いわき市生まれ、ブルックリンを経由し、いわきと渋谷の2拠点生活中。音楽業界でのアーティストマネジメント&宣伝の経験を活かしたエンタメ精神を軸に、企画やイベントで社会×人・地域・コトの共創を後押しするソーシャルコラボレーター。福祉、教育、スポーツまでジャンルをまたぎ活動中。

2011年東日本大震災後、地域活性化団体「MUSUBU」を設立。いわき発信で人々が"沸く"様々なプロジェクトを行う。

https://www.foriio.com/hidemi-miyamoto

Reviewed by
小沼 理

宮本さんが今回の記事で取り上げたくるりの「ハイウェイ」という曲。シンプルなギターとリズムに、一定の速度で流れていく車窓の景色が思い浮かぶ、僕もとても好きな曲だった。
曲の真ん中あたりで、ボーカルの岸田さんが肩肘の張らない声でこう歌う。
“何かでっかい事してやろう きっとでっかい事してやろう”
その直後、それまでずっと同じだった曲のコード進行が変わる。漠然とした“でっかい事”を口にしたことで、少しだけ不安になったような。でも、そんな不安の影にかかわらず、音楽はビートを刻み続ける。前だけを見て進むハイウェイみたいに。そんなくるりの音楽も、僕が、私が、旅に出る理由になっていく。

宮本さんの高揚した文章を読んでいると、ニューヨークでは音楽や劇だけじゃなくて生きることも一つのエンタメみたいだと思う。輝く目をした人たちのトライ&エラー。「人生はクローズアップで見れば悲劇だけれど、ロングショットで見れば喜劇」全力で生きる人の姿を想像して、そんな言葉も思い出したり。

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