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2F/当番ノート

「アタシ」のすヽめ (に)

当番ノート 第27期

「うそー、うっとこと一緒やわ。珍しいな。うっとこもずっと、”おちょんちょん”言うとってん。小学生の時みんなにその話ししたら、そんな呼び方せんわみたいな言われ方して、ずっとうちだけの呼び方なんちゃうやろかと思うとったわ。よかったー。」
21時前。学校。教室。本来であったなら役目を終えて、机の配列や、黒板や、ラーフルや、日直の名前や、ロッカーや、掃除用具入れや、色気のない白いカーテンあれこれが、昼間の学生の営みを匂わせて、貼付けられたような、半透明な黒が教室全面を覆い、なにかしら景色にそぐわないその黒、暗闇を、不気味の象徴と呼びたい、夜の教室。
けれどもスイッチを押して、蛍光灯の力を借りたならたちまち、さっきまでの匂いはどこへやら、暗闇と違和感はきれいに外へ流れて、なじんで、案外、殺風景。夜の教室。こんばんは。
「確かに初めておんなし呼び方してる人に会ったかも。ていうかあんまりしたことない種類の話で、盲点やったかも。中学校に上がるまで、ずっとそれが正しい呼び方やと思ってたから、家によって名前が違うこと知ったんはたしかに驚きやな。”おちょんちょん”って名称、特殊なんやろか。ていうか、小学生の時にみんなでそんな話してええのん。変態学級とちゃうの。」
変態学級てなんやの、変な言い方しなや、と言って、笑われた。”おちょんちょん”というのは、女性器、のこと。

また、お目にかかれました。覚えてくれていましたでしょうか。
アタシは丁度一週間前に思い立ってから、割合まじめに登校しています。夜の教室、というのには、全日制の高校でなく定時制、夜間の学校に通っているからで、時間は18時から21時過ぎまで。単位制で、選んだ科目から三年間の決められた単位数を取得し、それですから、自己管理が出来ないと、留年、という結末がカンタンにやってくる。アタシは二年生で、今年度に取れるだけの単位を取っておかないと、三年生になっても卒業が出来ず四年目、おめでとう。と、皮肉の祝言を告げられそうな気配。まじめに、というより、不まじめが祟って、登校をしている始末です。
今日も一時間目、美術の授業から自画像を描いて、話す相手もないもんだから没頭していると、自画像のために、前に置かれた鏡の中のアタシと、何度も目を合わせることになって、ほとほと嫌になっちゃった。目も鼻も口も、一つも好きでないけれど、特に輪郭。これが醜貌の限りを尽くしていて、鏡の前に立つ、それだけのことを困難にさせるのです。告白しておこうと思う。アタシは、不細工だ。頬骨とエラが張って、額の狭い、17歳の妖怪だ。ああこんなこと、別に言いたくなかった。
これを描けと言われたって、アタシは嫌で嫌で、せめて髪型だけでもと、鏡とにらめっこしながらねじくりねじくり、もはや自画像を脇に据えて、現実のアタシにばかり気を揉んでいたら、
「そのままでええの。いじくり回さんと描きなさい。嫌でも、そのまま描いてみなさい。」
と先生に注意を受けて、顔から、ジンジンと音がするほど赤面した。言わんといて、言わんといて。
美術を終えて、2限目、数学。3限目、現代文。(数学は微分積分の意味が分からず、プリントに落書き、現代文は安部公房の「赤い繭」が面白かった。)それから4限目、英語の時間には、視聴覚室でビデオを観ながら、リスニングを兼ねた授業ということ。
移動のために廊下をとぼとぼ歩いていたら、後ろから、
「ボンちゃん!」
と聞こえて、見ると、同学年の早紀ちゃんが、食肉解体業者みたいな、青い青いオーバーオールを着て、階段の手すりにもたれかかって、薄く緑がかった蛍光灯に全身を染めつ、おいでおいで、と手招きをしていた。
「ボンちゃん、今から視聴覚室行くねやろ。あたしもやねんけど、やめとこよ。ふけよよ。鍵かけ忘れてる教室見つけてん。あっこ、あたしら普段入られへんとこやで。」
ボンちゃん、とはアタシのことで、「天才バカボン」の、それそのまま、バカボンに似ていると言われてつけられた、大変に不名誉なあだ名である。天才、の方をもじって欲しい、とアタシは常々思っています。
一日中誰とも話していなかったから、早紀ちゃんの誘いを嬉しく思ったアタシ。普段は入れない教室、なんて言われると、夏の夜、学校のプールに忍び込むような、青臭い、思い出の中に輝く、秘密めいた行為を思い起こして、単位だなんだの実際の問題、諸々は忘れて、快諾してしまった。
早紀ちゃんは、手にコンビニの袋を携えていて、見た目の恰幅が良いから、お菓子ばかりが袋に詰められているように見える。
「それ何入ってんの。豚肉?」
食肉解体業者のイメージを引きずったまま、聞いた。
「なんで豚肉よ。なに、お腹空いてたん。ビールとおつまみしか入ってないわ。」
全然意に介さないご様子。
「ほんでなんなん今日の服。オーバーオールやし、めっちゃ青ない?青すぎひん?食肉解体業者かと思った。」
「ああ、それで豚肉かいな。あほ、おもろないわ。気に入ってるねんでこの服。そんなん言わんといて。」
箸にも棒にもかからない、そんな会話しかできないアタシ達は、3−Aと書いてある教室に着いた。三年生の、三階にある教室。
ザッカザッカ、遠慮のない音を立てて袋から、早紀ちゃんの奢りのビールをあけて、窓も開けたら、白い色気のないカーテンが、わざとらしくそよいでいますよ。教室は、夜気を吸い込むと、内と外の中間。ここにいる理由、みたいに、続けて何度も何度もタバコに火をつけて、口から出るのは、粘ついた煙と、
”おちょんちょん”。

なにがどうなってそんな話に、なったのだったかしら。
はじめは、中学卒業後の進路が、この高校しかなくて絶望したの、いやいや、わたしは中卒は困るから高校修了過程がもらえるだけでとりあえずはありがたいの、そんなような悲しい話題から始まって、お互いの家庭不和の話、そこから、あらゆる家庭料理の中でも、カレーと味噌汁の具が、一番家庭の方針が色濃く表出せり、となり、さらに、恥ずかしかったお弁当の話と続いて、酔いも手伝って、下のお話に発展したのち、なあなああんたとこは女の子のおまたについてる大事な部分なんて呼んどった。となったのだ。そうでした、そうでした。
早紀ちゃんは、お下品。いや、お下劣。下の話ある時、必ず早希ちゃんが居ると言ってよい。
29歳で、一念発起して定時制に入学、とこれはまあ、普通ですけど、それまでに、辛酸を舐めたこと数知れずといった風で、言葉の折々に、鑑別所、服役、ポン中、ハッパ、パキパキ、フラッシュバック、風俗、釜ヶ崎、DV、種違い、エトセトラ。生活の中で口にする機会は凡そないであろう、憚られる言葉たちが、普通の顔をして出てくるのだ。もし、漫画の吹き出しが日常に可視化されたなら、早紀ちゃんの吹き出しはきっと、黒塗りが大半。
いまも、性風俗を生業にしているらしくて、店のコンセプトは電車やねん、と、何が誇らしいのか少し胸を突き出して言っていた。電車内を模した部屋で、座席の前のつり革につかまった、制服や、スーツ姿の女の子が何人か待機すると、これまた、車掌さんの服を着た男性が、「出発進行!」だの号令をかけ、お客さんが痴漢として乗り込み、それぞれの女の子に様々の猥褻行為をして、女の子が気に入ったとあらば、個室にしけこみ、挿れては出しての淫行を、するんですって。いわゆるイメクラ、というものらしい。ああ、汚い。なにが出発進行!だ。
風俗店の雰囲気を、日常を、頭では知っていたつもりだけれど、現実感を伴って話を聞くことこそ無かったから、ついこの間、お店の名前が気になって早希ちゃんに聞いてみたなら
「え?『全裸でGO!』ていうところやけど。」
アタシ、泣きました。笑いすぎて。

”おちょんちょん”から、話題も尽きた頃合いに、早紀ちゃんがもじもじし始めて、あたしそろそろ行くわな、と言って重そうに腰を上げた。最近ぼうずばっかりやったから、ちょっとでも出とかな来月が大変、みたいなことを、言い訳めいた口調で吐きながら、ほなね、とそそくさ教室を出てしまった。
言ってくれれば一緒に出たのに、とも考えたけれど、一人居残って机に掛けていたら、何度も濾過して純度の高まった寂しさ、と言いたいものが、タバコの残り香と混ざって鼻から口から、アタシの身体に沁みてゆく感じがして、アタシに似合っている。と思ってしまいました。
似合いの服を、見付けた時と似た気持ち。
早希ちゃんは、この心地よさを知っていて、アタシを一人にしたのかしらん。
タバコの灰と、それからビールの缶と、おつまみを、ひとまず袋にまとめたら、フー、と肺の中の空気が勝手に出てきて、はらほれ、なんかいい気持ちで、小休止。たぶん今、アタシの顔は赤いと思う。
近頃、ずっと頭の中から離れない思惑があって、それを思い出す為にアタシは、鞄の中をまさぐった。折口が破れそうな原稿用紙を取り出したら、そこには
「アタシのススメ」
と、淡い薄茶色の、割に綺麗な字で題目が書かれてある。
自分で出した癖に、アタシはこんなもの、後生大事に抱えたフリしてどうしたいのだ、疑念と当惑と、ちょっとの怒りで、脳が浸され、その髄液が瞳を伝って、今にも机にポタリ、と落ちそう。先頃の心地よさを原稿用紙が、夜気を吸い込む掛け布団みたいに、貪欲に吸収している気がして嫌になり、またすぐ、裸のままの原稿用紙を、そんなつもりもないけれど、乱暴に鞄に突っ込んだから、くしゃっと音がした。酔っているからだ。と言い訳をするのを忘れずに。
開け放たれた窓の外に、青い光がチラついたかに見えて、それは酔っぱらって、真っ赤に熟れて弾けそうな、潤んだアタシの瞳が捉えた、涙の中の早紀ちゃん。校門の前、長い信号の待つところ。
いってらっしゃい、早紀ちゃん。いいえ違った。出発進行!早紀ちゃん。

入ってはいけない教室。未成年の飲酒。タバコ。全裸でGO! 今日は秘密がいっぱい。まだあなた、そこにいます?お見捨てなく。まだ、話せること、あります。
アタシは、筆入れから鉛筆を出して、落として、机に簡単な書き置きを残し、すぐに帰った。

”おちょんちょん”って、何か知ってる?

北野 セイジ

北野 セイジ

なにもないから、東京に来ました
東京は24区
僕は26歳
アパートメントでは、文章を書きます
9回の連載で一つのものを書く予定(未定)です
第1回から読んでいただけたなら幸い

Reviewed by
岡田 陽恵

今週の北野さんこと「アタシ」の内緒話。
抱えている淋しさだの過去をユーモアに変換して言葉にするという行為は、どこか料理に似ているといつも思う。
美しさが意地と見栄にあるのなら、北野さんはちょっと細い線でしなりながらもからだの奥にその美しさをまとう。
そして北野さんの心意気を今週、ここで読みました。

なにが心意気なのかはぜひ、読んでからのお楽しみ。

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