大人というものがもし、世間様がよく訳知り顔で代弁している、悲しい、辛い存在だとしたら、アタシは本当に、大人になりたくないな、と思っている。いいえ、ならないと決めている。きっとアタシが大人になった時には、大人という概念が作った、誰のためかわからないルールは知らんぷりして、それでも翻弄はされるでしょうけど、波のさなかに屹っと立って、阿鼻叫喚の地獄を許して、生きていたいと思うのだ。本当ですよ。
もしかしてアタシの言うこと、青臭い青春の迷妄だとか、今やカサブタの古くさい傷跡、くらいにお思いでしょうか。そうかも知れませんけど、あんまりバカにしないでください。
馬鹿の一念岩をも通す、という言葉があるじゃないの。これは、馬鹿な人が一念で岩を貫いた諺でなくて、一念を通す人は、みんなに馬鹿と揶揄されるけども、その一念は尊く、岩をも貫くことがあるということですよ。それならアタシは、馬鹿になってやる。
え、そんなこと知っているって?ごめんなさい。なんだかお説教のようになってしまいました。いやだいやだ。あなたが優しすぎるから、聞いてくれるから、それが、いけないのです。
アタシ、17歳。大人の始まりの、予告編。予告編が面白く、観てみたら案外とつまらない、というような事が往々にしてありますから、もしかしたら、今が一番楽しかったりして。いえいえ、本編始まってからのお楽しみ。ただ、今の所、良い作品をお見せ出来そうにありません。アタシはもう、汚い大人の足音が、聞こえ始めているようです。
告白をします。アタシ、「馬鹿の一念」をついこの間、バカにいたしました。いえ、もちろん今まで、もっといけないことだってしてるのだけど、その一念を笑ったせいで、アタシ自身を路傍の人として、認めてしまったというか、労働者の裾に付いた泥をせせら笑ったというか、そんな気持ちにさせたのです。
その日から少し、綺麗なものの表層を疑い、汚いものの底に輝く一粒を、探すことが増えたように思います。それとなにより、告白をしたいだの、酔狂な念に駆られた、きっかけである。あなたには、どうかしら。
今日から数えて2週間と1日前、丁度アタシが学校をさぼり、アルバイトの代替出勤をして、店長の鶴さんと二人で、街コンという貸し切りのパーティを終えてからのこと。
午後早くにパーティを終えて、片付けもそこそこに、通常午後からはカフェとして開く店だから、外に出て急いで看板を出して、夏も目前の陽光に目を細めていましたら、アタシが働く店は商店街の細い脇道を入ってすぐの所にあるのですが、その商店街から、若い女の子の2人組のうち一人が、こちらに向かって大きく手をふっていました。こんな機会にはまず、自分に対して行われた行動でなかった時のために、一度後ろを振り返る悲しい習性を体得していて、例に漏れず後ろをちらり、一瞥したなら、何が可笑しいのやら後ろから、キャキャキャキャ!みたいな笑い声。知り合いだとしても、あまり好きでない人だ、きっと。そして、的中。
「ちょっとー、顔忘れたん?」
「えー、知り合いなん。こんにちは。ここで働いてるんですか?」
「そうそう、友達の友達でこの間一緒にグループ展見に来てくれやってん。ね。」
「へー素敵ー。私もちょくちょく個展開くことあるんでえ、ぜひ見に来てくださいー。」
「私ら今休憩できるところ探してたんやけど、入れる?カフェやんなここ。」
「えー、お洒落な店ー。私ここがいいー。」
アタシの言った、初めまして、の挨拶は、華麗に清々しく空を抜けて、日差しの強さに溶けたのかと思うほど輪として迎えられず、ぎっしり詰まった会話のテンポに、じゃあとりあえず、どうぞ、と本日一組目のお客様。
二人のうちの一人、彼女は尾上ちゃんといって、「オノエ」と読む。アタシの少ない中学時代の友人が通う、芸術系専門校のグループ展で紹介された女の子で、アタシより一つ上。濃い化粧の見た目もそのまま、描く絵もギラついていて、余白なく埋められた色の洪水は、まさに暴力。仕上げに、高い口紅を惜しみなく塗りたくったらしく、嗅ぐと、おばさんの匂いがした。美容部員とCAに強く憧れていて、いまはドメスティックブランドの販売員、と、二人の会話から、なんとなく推察できた。もう一人は尾上ちゃんの友達。名前は知らない。奇遇なことに、二人も学校をさぼって、休日だと並んでなかなか入れない、日本初上陸のハンバーガーを食べに行っていた、とのことだった。
ガランとした店内に案内すると、二人の大きい大きい声が、誰もいない店の中をピンボールみたいに駆けてゆくから、それが余計に寂しく響き、流行っていない店、という雰囲気がどことはなしにできてしまっている。少し二人を恨めしく思うと、ああ違う違う、BGMを流すのを忘れていただけで、有線を流すとすぐに空気が緩やかになり、「なんか寂しいと思った」と笑われてしまったのだった。ごめんね。
「なんかおすすめのメニューある?」と聞かれたので、どうせ、と思いながら当店自慢のパンケーキを勧めると、「ワタシパンケーキスキー」だの言い言い、フレーバーを吟味する二人。さっきハンバーガー、食べたんじゃないの?
ちなみに余談だが、うちのパンケーキはあまりおいしくない。
当店自慢のパンケーキも綺麗に食べ終え、コーヒーを啜る二人の輪に少しづつ迎えられて、カウンターで話していると突然、ちょっと聞いてよ!と、尾上ちゃんが語気を強めて、アタシを睨んだから驚いた。
「ちょっと聞いてよ!めっちゃ怖い話があるねん。ほんま、ほんまにびっくりするで。なんでこんなことするねんやろうって。私わからんねんけどさ、でもさ、なんか呪いっぽいねん。私に対してというより、世間に対しての。」
話の入り方からして奮っていて、さっぱり分からないことを捲し立てる尾上ちゃん。じっくり見てみて、やっぱり、彼女の顔が好きじゃない。どうせ大した話でないと、その時は思っていたの。
「えーとどこから話そう。まず私、服の販売してるねんけど、その店に藤原っていう男の子がいんのね。その子がまあ、全然仕事が出来んくて、レジの誤差は頻繁にだすわ、独断で服を割り引いてお客さんに売るわで、もう総スカンというか、店で嫌われてるのね。当たり前やけど。で、何回注意しても一向に治らんから、店の子らの総意で、藤原に反省文書かせることにしたんよ。したらまたその反省文がすごくて。あの、映画でさ、『嫌われ松子の一生』ていう映画知ってる?タイトルがそれをもじったんか知らんけど、『嫌われフジコの一生』ていうタイトルやねん。いやほんまに。みんなでそのタイトル見た時にまず大笑いして、藤原っぽいっていう話にはなったんやけど。あ、オカマっぽいねんその子。それで、そんなん、みんなでしっかり見る気にはなれへんから、反省文書かせようって言い出したんも私やし、私が持ち帰って目を通すことになって。それで帰って読んでみたら、これがほんまにしょうもなくてさ、今まで自分は色んな人に嫌われて生きて来たとか、自分が良かれと思ったことは全部裏目にでるとか、一番お客様のためを思って働いてるのは自分やとか、要約するとまあそんな感じの。あほらし、と思ってさ。藤原の半生なんかだれが見たいねんと。私が書いてこいって言うたのは、半生文じゃなくて反省文やと。そこからまずはき違えてるから、もう話にならへんねん。」
「えー怖い。やっぱ尾上ちゃんのこと恨んでんのかなあ。怖い話ー。」
尾上ちゃんの友達はこういう話にはなぜか興味が湧かないのか、話を終わらせようとしているのが見え見え。アタシは知らず知らずに、熱心に聞き入ってしまっている。
「ちゃうねんちゃうねん。まだ終わりじゃないで。むしろここからよほんまに怖いのは。反省文さ、家であらかた目を通してもうええわお前って感じやったから、明日また店長に直訴しようと思って、とりあえずお風呂に入って、んで、ドライヤーで髪乾かしててん。ほんで、この紙キモいから燃えへんかなーと思って、なんとなく紙にドライヤー当ててみたのね。したらさ。あーめっちゃ怖い。ペンで書いてあった文字がスーって消えてさ、その下から薄ーい茶色の文字が浮かび上がってきてん!すごくない?その、方法がさ、怨念的っていうか。炙り出しっていうやつやろうね。熱を通すと文字が浮かび上がるって手法。タイトルも意味がわからんくて、『アタシのすすめ』って書いてあんの。読んでもなにが言いたいのかさっぱりやねんけどね。あ、それでその藤原、次の日、店に来んかった。多分もう来ーへんと思うけど。」
「待って尾上ちゃん、それ、めっちゃ怖い。今その反省文持ってないの?なんかおどろおどろしくて気持ち悪いけど、でも見てみたい。」
さすがのお友達も話の異様さに食いついて、アタシはと言うと、もうすっかり二人の親友になって、もっと話を聞きたい感じ。
それがあるねん、と言って、尾上ちゃんはサマンサタバサの鞄から、適当にしまわれていたであろう、クシャクシャの茶色封筒を引き出して、友達に手渡した。なんかどきどきするわーと言いながら、紙を見た途端、
「やー!私これ嫌!もう見た目が怖いもん!文字の感じが怖い。絶対呪われてるよ尾上ちゃん!狂ってるこの人!」
息を漏らすように、恐らくほかのお客さんに気を使って小さく叫び、汚いものを持つみたいにして人差し指と親指だけで紙を掴むと、すぐとアタシに渡してきた。その顔ったら。
「読まへんの?」と聞くと、私はもういいとの返事。アタシも内心どきどきしながら紙を開いた。読んだら、目が丸くなった。
『アタシのすすめ 文:フジコF(ACK)フジコ アタシ、と言うと言葉がするす 出てくるねン。アタシ、と言うとどっ から女ノ子やって来て、アタシにイロンなコと言わせるねン。ずッと前からそやねン、そやねン。あンたらなンか、おかしイわ。レジ、アタシちゃうで。ダレ 。フク、あのコ良いゆうたデ。ダレや。店ノ ギ、ちゃンと閉めたで。ダレや。みンな嘘つきばっかり や。自分ンの得ウレシだけや。自ぶんでそれ言われへンヨワい、アタシ。 ンは死ンだで。言えばエエのに言う口なイから撃たれて死ンだデ。アタ は死ぬの嫌やデそ からコれから、アタシを借るノ。ホンまはドオ思てるのン。コレで良イト思てるのン。アン心ノためダケニニン間を落と死 るのン。オシエて。告白して。シテ。でけヘンのやッたらアタシという ごらン。イイたイことも、アルはずヤ。アタシノ鏡ハうすよ れてテ、ヨオミ へン。みえンほうが エ ともアる。それハ、ジゴく。アン他らのコとヤデ。男がアタシと言ウたらば、アかンか。ことの葉の意味ヲ、茶化せるデ。当時者で、ナくなるデ。オドケテ、なンデも、いえルデ、アン他らみ いな地獄にも、おススメ。女ノ言葉は、ヤサシい横槍。何モ言エヌナら、女の口ヲ借るがお似合。アタシは女になるねん。アタシなアタシなアタシなアタシなアタシな…』
確信的に字を間違えたり、不必要なカタカナが混じった文体は確かに、怖い、それから、なんというのか、痛い。自分で作った傷口を、編集して装飾して、人に見せて喜ぶ、自傷家の快楽めいた趣きを、感じる、けど、でも、ああなにか、アタシに足りぬモノを見せつけられた気が。これを笑うのはイケナイことな気が。だいたい、世に出回っている文学の類いだって、誰が見たいのか自分の傷を、きれいに飾って、他人の傷を暴いて、えぐって、喜んでばかりじゃないの。それなら、世に出回らない、この市井の告白は、文学よりも意味があったり、するのじゃないの。ああ、告白ってそんなものアタシに、あったかしら。ないとしたなら、じゃあ、今のアタシは、本当か。本当て何。
「な?めっちゃ怖い。狂ってるわ。」
尾上ちゃんに声をかけられて、はっと気づいた。
「いや、うん。怖いけど、それだけじゃない感じが。な、この人今生きてるの?大丈夫なん。」
「さあ知らん。生きてるんじゃない?大体こういう怖がらせるように仕向けた文章書くぐらいやから、生きてるでしょ。もし遺書のつもりやったら、私ならもっと分かりやすく書くもん。まあ、死んでてくれてもいいけど。関係ないし。」
仰天。アタシはもう、この子と付き合うのは、金輪際、よそうと思った。だいたい、反省文を同じバイトの子達が書かせるのも異様だし、この文もよくよく見ると告発文で、みんなで寄ってたかって、藤原君にミスをなすり付けたことが書かれてある。それを、この子は!
「なあ、どう思う。それ。やっぱキモいやんね。」
違う、なによそれ、それだけと違う、アタシはな、アタシだってな、
「うん。おっかしいわ、この人。バカやわ。」
店の音楽が止んだ気がした。尾上ちゃんは、笑った。
鶴さんは、アホ。二人が帰ると言うから、店先までお見送りしていると、暇なのか、鶴さんもやって来て、尾上ちゃんを見て、「美人さんやね。友達?」ですって。それを聞いて尾上ちゃん、ポーっとしちゃって、キツい顔が真っ赤になって、地獄の門番みたいだった。
「まあ、連絡先もしらないんですけどね」と最大級の勇気で、皮肉を込めて言ってやると、「じゃあ、今交換したらいいやん。」と鶴さん。交換する羽目になってしまった。アホ。アホ。
二人が帰って、ほんの10分程度で尾上ちゃんからメールが来た。こういうことにはマメなのだ。
『きょうはありがと!パンケーキごちそうさま(絵文字)また行くね(ハートの絵文字)それと、さっき見せた反省文カウンターに置き忘れてきちゃった!わざとじゃないねん、ごめんね(顔文字)もうだれも見んから、捨てといてください!』
カウンターを見やると、二枚に渡った「アタシのすすめ」が乱雑に置き捨てられていた。それから、またすぐメール。
『それと、ドライヤーで文字でてくるのはわかるけど、なんで書いてた文字も消えたんか気になって調べてみたん。フリクションボールペンで書いた文字ってドライヤーで消えるんやって!そんなんよく思いつくわ~w 今度学校でライブペイントするねんけど、そん時にその手法で面白いことしてやろうって、思ってます(絵文字)こないだのグループ展、コンペで最優秀賞取れてん!また見に来てね!よかったら鶴さんも一緒に(ハートの絵文字) 』
成功するのはこういう子かもしれない。純粋な損得で動けて、自分を愛する事に恥のない人。
馬鹿の一念岩をも通す。その言葉、疑わしくなってきました。
アドレスはすぐに消して、「アタシのすすめ」は、アタシの鞄に。