島はすり鉢状になっている。だから海に囲まれていながらも、中にいたのではなだらかな丘陵ばかりしか見えなかった。砂浜があるのは、本土へ続く橋の周りだけだ。それでも夏になれば、女たちが水着ではしゃぐ。橋へ続く大通り沿いの一軒家では、その声たちから逃れようがなかった。
まぶたを閉じていても薄明るいほどに、もう日は高い。近くの茂みでじいじいと鳴く蝉の声に混じる、女たちの黄色い声、波の音。息継ぎでもするみたいに大きく息を吸って、ようやくまぶたを開けた。気だるい眠気を振り払って立ち上がる。頭の血の気が引く。
居間へ降りると、姪のみどりと目があった。セーラー服を着たまま、ちゃぶ台で具のないインスタントラーメンを食べている。長い髪をまとめないから、麺をすするにも食べづらそうだ。みどりが視線を逸らしたところで問いかける。
「みどり、おばあちゃんは?」
「さっき出てった」
あいかわらずの低い、そっけない声色でみどりは答える。母はたぶん、また急な仕事でも入ったんだろう。そお、と相槌を打って変な間を空けてから、みどりにもうひとつ尋ねた。
「学校は?」
「午前だけ」
「もう今日で最後でしょう。なら制服は脱いでおいたら。スープがはねて汚れるかも」
普段なら小言を言わずともすぐに制服を脱ぐし、なんなら布団の下にスカートを入れて寝押しだってする子だ。けれどもう長期休暇だ、クリーニングするんだろう、と言いたげに沈黙するだけだった。
諦めて、また別のことを問いかける。
「めぐは?」
「庭」
短く答えたみどりの横をすり抜けて、縁側の掃き出し窓を開ける。
庭は大きな木が一本あるだけの、小さなものだ。だから花壇も何もないその隅で、もう一人の姪が丸くかがみこんでいるのをすぐに見つけた。小さなスコップを手に、穴をせっせと掘っている。ひとつ結びが乱れているのは遊んだせいか、仕事へ行く前の母が適当に結んだからか。
「めぐ、外で遊ぶときは帽子かぶらなきゃだめって、先生に言われてない?」
私の声にふと顔を上げて、めぐは柔らかく笑って見せた。
「とっこちゃん、おはよぉ」
「と、き、こ」
言いながら、縁側に腰を下ろす。日はちょうど真上から差し、じわりと額から汗をにじませた。
めぐはまた、一心不乱に穴を掘り進める。何か目当てのものが埋まっているわけではない。落とし穴を掘りたいわけでもない。ただただ個人的な流行りらしい。遊び終えるときには危ないので埋めるようにさせていたが、不満は見せなかった。
――めぐは、すこし変わってる。
母はそう言って心配した。私が小さい頃だってこんなものだったでしょう、と私が笑うのに、つられて笑ってくれなかった。だから心配なのよ、と冗談混じりでもなく、呟くだけだった。次に会うとき、あの子にも相談しなさいよと母は言った。母の言うあの子は大抵、めぐの母――姉のことを指した。
相談と言ったって、と私は思う。
姉がずっと入院している以上、いろいろ話し合いはする。けれど結局、実際にめぐに接する母か私が、その場その場で適当にやりすごすだけだった。身勝手な私たちが姉の言うことを聞くなんてことは、誰もが信じていなかった。ただ母だけが、娘に母親らしいことをさせるために相談の体を取っているだけなのだ。姉もよくわかっていた。だから当たり障りのないことを言っては、ゆっくりまたたきをした。波の音のような姉の言葉は、寄せても返ってゆく。どこにも残りはしないのだ。
「ねえ、めぐ。今日はお母さんと会いに行かなきゃだから、もうすこししたら手洗ってね。お昼ごはんも病院で食べよう」
「んー」
わかっているのだかわかっていないのだか。でも姉と会うのに駄々をこねたりしたことはないから、きっと大丈夫だろう。立ち上がって、みどりに向き直った。
「みどりは? 病院行く?」
「行かない」
きっぱりと言い切ったみどりは、もう昼食の片づけをしている。私はためいきを飲み込み、だよね、と薄く笑った。みどりはやはり、こちらを見ない。そのどこへも視線を向けない頑なな横顔は、姉によく似ている。
みどりがこういう表情を作り出したのは、中学生になってからだ。けれどこれを、単なる思春期や反抗期で片付けていいのか、私にはわからなかった。私にもそうした時期はあったけれど、みどりのこれは、もっと違う性質のものに見えたからだ。
みどりがこうなってからは、極端に口数が減った。反抗するためではなく、もっと別のものごとが絡んだ結果、言葉が少なくなっているように見えた。だからだろう。私がみどりの反応に傷ついた表情を見せれば、みどりもまた傷ついたような表情をするのだ。私はなるべく傷ついていない態度で、みどりに接するしかなかった。
何かに耐えるように、きついまたたきを繰り返すみどり。眉が濃くて、細く骨ばった身体のみどり。みどりに本当に尋ねたいのは、母や、学校や、めぐのことじゃない。いったいどこでそんな表情を覚えたのか、ということだ。
「ねえ」
とみどりに声をかけられたのは、風呂から出た後だ。
みどりから話しかけられたのは久しぶりだったので、なあに、となるだけ優しい声色で応えた。
「この後、あおいくんと会うの?」
優しい声色の作り方が、もうわからなくなった。あおいといつの間にそんな、とみどりに尋ねても、答えてはくれないだろう。
私はゆっくり頷いた。
「うん。またアパート戻るし」
「じゃあDVD返しといて」
「わかった」
渡されたDVDは、私の知らない洋画だった。
姪と恋人の何気ないやりとりが、こんなに羨ましい日もないだろう、と私は思った。