こんにちは、珈琲子です。50×50センチほどの、秋冬用の緑のスカーフを買ったのですが、二周首に巻ける程長くはないし、ストールみたいに羽織ることもできないので、良い巻き方を模索しています。ただ捻って巻いちゃうとタオル巻いているみたいなんですよね。ではでは本題です。
「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」 栗原類
日本の小学校の道徳的価値観では、よく「他人の立場になって考えなさい」といわれますが、他人の立場になんて立ちようがないのです。それは発達障害じゃなくてもそうで、その人の立場はその人じゃなきゃわからない。エスパーじゃないんだから、その人の気持ちを代弁するのなんて不可能。そこからのスタートでいいんだと僕は思います。世の中には他人の立場に立った気になって代弁している気になって正論をかます偽善者が沢山いますが、それがリアルな「その立場に立った人の意見」ではないことがとても多い。所詮人間は、他人の立場になんて立てないと思います。
ー本文より抜粋
役者、タレント、モデルとして活躍している栗原類さんの本です。栗原類さんが、自分が発達障害であることを告白したテレビを、私は見ておらずあとからニュースで知りました。その時、率直に、多分これからは、今までのように頻繁にはテレビでは見られなくなるだろうな、と思いました。テレビに、この人の告白を受け止め、その上で出演させることのできる番組はとても少ないと思ったからです。言葉になっていない、暗黙のやりとりがテレビのバラエティ番組にはあると思います。そして発達障害であることを告白した著者に、発達障害について率直に話を聞ける番組は少ないと思います。
「同質」を強く求められる社会の中で、同じではないことを認める、告白するのは勇気がいると思います。けれど少し落ち着いて考えてみると、もともと自分とみんなが同質な人間なはずがなく、みんなが合わせているから同質は成り立っているんです。もともとみんな同じなままで生まれてくるはずがない。調和を求めるなら、みんなが同じであるのがいい。和を乱すことはいけないから、言葉を出さずに黙っている。そういった、強制された空気が流れていると思います。
しかし各々の言葉がインターネットに掬い上げられ表現されるようになり、そういった空気も徐々にひずみが生まれています。著者の言葉ははじめテレビで語られましたが、今までの、著者と母親の発達障害への向き合い方、どの特長を許しどこに力を入れて努力し成長させるか、そういった過程がこの本には書かれています。発達障害である人、そしてその周りの人にとってとても参考になる本です。
自分に欠点があること、できないことがあるのを認めるのが、とても辛く、できるならそういった自分から逃げたいと思う時も、勿論あると思います。叶うなら理想の自分が現実の自分でありたいから。けれど人にはそれぞれ欠点があり、完璧はありえません。
私が思うのは、小さな頃から、人にはそれぞれできないことがあること、そして本当は人は環境も、能力も平等ではないことを率直に伝えたほうが良いのではないか、ということです。自分のスタート地点を知らない人があまりにも今は多すぎます。スタート地点を知らなければ、未来の計画を立てることができません。曖昧な夢といったものではなく、明確な目標をつくることができません。自分は何が得意で何が不得意か、この国に生まれた自分のメリットは何か、両親に金銭的余裕がなく大学に行けないなら、どうやってこれから学んでいけばいいのか。自分の持っているものと持っていないものをはじめに確認して、大人になっても時々自分を俯瞰して見つめたほうが絶対にいいです。進んでいる道が正しいのか、確認するべきです。けれど、自分を俯瞰して見つめるなんて難しいです。だから誰かに相談すればいいんだと思います。
栗原類さんの一番の幸運は、お母さんに恵まれたことだと思います。もちろん本人の努力もあると思います。けれど努力の方向性、発達障害への対処法を教えたのは著者のお母さんだし、同質でなくてもいいことを教えたのも著者のお母さんだと思います。味方がいれば、人は困難により向き合えると思います。
2ヶ月間と、短い間でしたがありがとうございました。これからはできる限りブログで書評を書いていきたいと思います!