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2F/当番ノート

栄西と密教、そしてお茶

当番ノート 第30期

栄西が著した『喫茶養生記』は茶と桑の効能について述べた養生論です。
上巻では密教の加持でもって「内なる治療」を行い、さらに五臓(心臓・肝臓・脾臓・肺臓・腎臓)のうち心臓を最上位に位置付け、心臓は苦味を好むから苦味のある茶を飲んで「外からの治療」を行うと気力旺盛になると説きました。ついで下巻では、飲水病(糖尿病)、中風、不食病(食べ物を受け付けない)、瘡病(できもの)、脚気の各病状はみな桑によって治すことができるとする。茶は熱湯で濃茶で飲むのが良いとし、諸薬はひとつひとつの病に効くものだが茶はすべての症状に効く万能薬だと述べました。茶は桑とともに最高の仙薬として、これらを飲むことが養生の妙術になるのだと栄西は主張しています。そしてこれらの知識はすべて中国(当時の王朝は宋でした)に渡って得たもので根拠があるとも示しています。

栄西が『喫茶養生記』を書くにあたって典拠としたもの、それはほとんど全てが当時の宋の最新文献に当たるものでした。上巻の茶論については『太平御覧(たいへいぎょらん)』を、下巻の桑論については『大観本草(だいかんほんぞう)』を土台として書いていったのです。

茶と桑の摂取を養生と関連付けて述べているのが養生記の特徴なのですが、栄西はそもそも、10代で比叡山に登り天台密教を修め、その後20代後半で中国へ渡り臨済禅を学んだ人でした。喫茶養生記の冒頭「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり」と述べるこのくだりの「仙薬」や「妙術」というのは、神仙思想をベースとした道教の言葉そのものなのですが、仏教を学んだ栄西が道教の思想に触れるというのは、いったいどういうことなのでしょうか。

【岡山市にある安養寺。栄西は11歳までここで修行し得度した】

【岡山市にある安養寺。栄西は11歳までここで修行し得度した】

仏教はインドで発生したのですが、のちに中国で広まる際に中国土着の道教の方術などを多く取り入れて広まることになりました。道教ではもともと、有限性ある身体に不変の金石を取り込んで不老不死を願おうと水銀を成分とする丹薬(たんやく)といい、この丹薬を体内に取り入れることを「外丹」と呼びました。この外丹を服用するという仙術を行っていたのです。ところが外丹は、なにしろ水銀を体内に摂りこむわけですから、ひどい害を人体にもたらし、逆に人の生命を奪いかねない事態にまでなりました。そこで外丹に匹敵する薬を、自らの気力で体内に作り出そうと考えていくようになり、それを「内丹」と呼ぶようになっていったのです。先に述べた栄西のいう「内なる治療」は「内丹」、「外からの治療」は「外丹」にあたります。

道教において内丹の概念は非常に重要で、この言葉が初めて文献上確認できるのがじつは天台宗の禅師の書いた書物の中なのです。天台宗第二祖にあたる慧思(えし)の『立誓願文(りつせいがんもん)』です。以下に引用しますと…

「長寿命を求め、天及び余趣に生くることを願わず、願わくば諸賢聖、我好(よ)き芝草(しそう)及び神丹を得て、衆病を療治し飢渇(きかつ)除くを佐助(さじょ)せんことを、常に諸禅を行修するを経るを得んことを。願わくは神山静寂の処を得て、神丹の薬を足らし此の願いを修し、外丹の力によりて内丹を修せん。衆生を安んぜんと欲して、先ず自らを安んずるなり」

天台宗の師が内丹という言葉を用いて「長寿命」を求めていた。それは護法のためでもあり、長寿命のためには「好き芝草及び神丹(=外丹)」を得て諸々の病気を治し、飢えや渇きを取り去り、常に禅業を行い、内丹を収めるのだというのです。「芝草」は霊芝ともいい、仙薬すなわち仙人になるための薬のことです。つまり、仏法を守るためには長生きが必要で、そのためには養生をしっかりと行い、仙薬で病気を治し、禅の修行をし、深山静かな所で、仙薬の力を借りて内丹を修め、衆生の安らぎのために自らが安らぎを得るということになる、と慧思はいっているのです。

この慧思の文章を読むと、栄西がなぜ養生を説くのかが次第に明らかになってきます。「衆生の安らぎ」のために栄西自身も長寿を求めていたのではないか、ということなのです。

【慧思】

【慧思】

栄西は存命中2度にわたり中国に留学し、その2回とも天台山に訪れました。天台山はもちろん中国天台宗発祥の地でありますが、もともとは道教発祥の地でもありました。智顗(ちぎ)が天台宗を開いた後も多くの道教の寺院があったといわれています。そのためなのか、天台宗には道教の思想が色濃く反映されているように見えるのです。

『喫茶養生記』にも天台山と仙人との関わりが示されているところがありまして、以下に該当箇所の原文を挙げると…

「天台山記に曰く、茶久しく服すれば、羽翼生ず。これ身軽にして飛ぶべし、ゆえに言ふのみ」

『天台山記』は作者も成立年代も不明の書物なのですが、茶を飲めば羽の生えた仙人になる、茶はまさしく仙人になるための飲み物であり、仙薬なのだといっています。ゆえに天台山は道教と関わり深く、道教では茶は仙薬であったために、天台宗でも茶は仙薬という特別なものとなったわけなのです。

天台宗は密教の部類に入るのですが、古代においてひとびとは、現実世界に起こる様々な苦悩の除去や利益の享受を密教に期待しておりました。不老長生、病気平癒、悪行滅尽、五穀豊穣、天変地異鎮圧などです。空海や最澄よりも以前、奈良時代にはすでに密教が伝わっておりました。これを雑蜜(ぞうみつ)といいます。これは空海・最澄がもたらした密教(純密)と区別されますが、古密教を奈良時代のお坊さんたち(玄昉や道鏡といった人たち…高校で教わりましたね)も奉じて、病気平癒のために「看病禅師」として天皇近くに近侍していました。あの奈良の大仏でおなじみの聖武天皇のもとには126人もの看病禅師がいたとも言われております。これは、それだけ社会が密教に期待していたのだということを意味しております。

栄西よりもはるか昔、400年も前から古密教が日本に取り入れられて、病気平癒や長寿のために活動していた。「禅師」という呼称には、じつは禅宗の意味合いだけではなく、天台宗のお坊さんたちにも使われて看病禅師という高僧が存在していたのです。

そのように考えていくと、栄西もまた看病禅師の一面を持っていたことが明らかになってっくるのではないでしょうか。二日酔いに苦しむ鎌倉幕府将軍源実朝に茶を献上し看病に当たったことが『吾妻鏡』に述べられていることからも推察できるのではないかと思います。

茶を養生の仙薬として長命を祈願することは、じつは平安時代の密教で行われておりました。茶を養生の仙薬としたのは喫茶養生記が初めてではなくて、密教の伝統的奥義の中に存在していたのです。

栄西は元々は密教僧でした。しかし中国にわたり臨済禅と出会い、帰国後は禅の普及に努めようとしました。しかし禅の普及と同時に天台の教えを捨て去ることもなく、禅密の混合(ハイブリッド!)で活動していたのです。栄西が建立した京都の建仁寺(京都最初の禅寺なのですが)は、創建当初は純粋禅のお寺ではなく、天台と真言も含め3宗並立のお寺でした。鎌倉にある寿福寺(こちらも栄西創建なのですが)も正式名称を「寿福金剛禅寺」といい、名称に「金剛」とある通り禅密の研修でした。

栄西という人は、禅と密教の活動を同時に行っていたわけですが、喫茶養生記で「茶は万病の薬」として「茶によって心と身体の安らぎを得よ」と養生の重要性を説きました。お茶が健康に良いことはみなさんもご存知のことと思いますが、飲食や呼吸、運動など日頃の生活習慣をよく見つめ、病気にならないように養生に努めることはもちろん大切です。それと同時に健康維持は自分一人でできるものではなく、周囲の人たちと調和し、取り組む環境を作ることも大切です。「内丹」と「外丹」の両方が大事なのです。

お茶には「ご一緒にお茶でも」と言って人とのつながりを深める効用もありますね。

【建仁寺。京都最初の禅寺。ちなみに、日本最初の禅寺は博多にある聖福寺(しょうふくじ)である】

【建仁寺。京都最初の禅寺。ちなみに、日本最初の禅寺は博多にある聖福寺(しょうふくじ)で、こちらは1195年にやはり栄西が建立している】

大沢 寛

大沢 寛

塾講師を16年間しております。昨年より鎌倉で「古典作品にみる鎌倉」というタイトルで講座を開いております。

古典で使用される言葉や文法は現代語とは異なるので、難しいという印象を受けることが多いと思いますが、なるべく分かりやすく、親しみやすい内容でお届けできたらいいなと思います。

千年・数百年前に生きていた人も現代に生きる私たちも、日々の営為に思い考えることはそれほど変わりません。ですから、現代語訳されてものでも読んでいただければ、共感できることが多々あると思います。

古典を読む楽しさをこちらでお伝えできたらいいなと思います。
よろしくお願いいたします。

Reviewed by
唐木 みゆ

あけましておめでとうございます*

今年から大沢 寛さんのレビューを担当させていただきますイラストレーターの唐木みゆです。
鎌倉のことや道教のこと、とっても好きなので、うほうほです



お茶といえばよく思い出すセリフがあって、
中国で漢の劉邦と軍師の張良のやりとりなのですが

劉邦「どうしてそんなにゆっくり茶を淹れるのだ、茶など湯を入れてさっさと飲めばよかろう」
張良「ゆっくり淹れた茶は、人を元気にするのです。」

というもので
ドラマ「大漢風」のセリフだったんですけども、なんかぐっときてしまい、
お茶をなるべく大切に扱って飲むようにし心がけています。難しいですけど。。

たとえば、なにか特別な日なんてものは個々人がその日をどのように扱うかで
全然意味のないものに流れ去り、一方とても思い出深いものになりうる日でもあります。
物についても活きるかどうかは、扱いだと思っているのですけど
ことお茶は、その扱いで発揮する力がぴんからきりまでものすごく違います。
椀の中の湯が
ただ、場しのぎの液体の時もありますし
交換不可能なその時の瞬間、わずかの機微を表出させた、意思、または調和である時もあります。
どうせ分かりやしない、と思ってはいけない!いけない!

ただのお茶に一体どれほど、もてなされることかというと
茶室で感涙する人をたびたび見たことがありますし、師弟関係や仲良しだけでなく、
通りすがりの初対面の人である事もありました。
ファミレスでお喋りするときに至れないような
深いお互いの琴線にふれることが発生しうるもので、だから「茶道」というぐらい学ぶことが多いんですけども。

栄西の『喫茶養生記』は読んだことがないけれど、
日本と中国では茶の何をもって薬とすか、の考えは少し違っていると思います。
日本では、(結果的に)状況としつらえでの総合点ですが
中国、台湾ではお碗の中の湯のうまさそのものにメチャクチャ注力されています。
どちらにせよ、薬と活かせるかどうかは時間に点を打つ、押し流されずに立ち止まることなのかなと、私は思っているんです。
すっかりお茶だけの話をレビューによせてしまいましたが、
まあまあ、お湯も沸いたところで、
一服どうぞ。


レビュー:唐木みゆ

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