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2F/当番ノート

考えるへんな人 – たいらいくし

当番ノート 第31期

考えるへんな人は、ふつうの人とはちょっと違った選択肢をしている/持っている人とも言えるかもしれない。

やはり、東京は、人口1300万超、「人種のるつぼ」のような街が点在していて、多様性に溢れているから、そんな風変わりな人も多いわけだ。けど、その多様性を認めにくいような社会はあるのかもなあ、と思うようになったしまったのはいつからだろう。

ぼくが考えるへんな人に出会うようになったのは、大学を機に沖縄から上京してからだった。……と思っていたけど、実は、勘違いしていて、遡ってみると、沖縄のときにすでにあった。

 

“そいつ”とはじめて会ったのは、入学式だった。沖縄県立那覇国際高校、ぼくの母校だ。1年10組、出席番号3番と5番という、机で言えば、ぼくの後ろの後ろの席だったんじゃないかな。

ザ・オキナワとも言える濃ゆ〜い顔の彼は、初対面のときに少し違和感があったのを覚えている。クラスの40人中8名が男子だったこともあり、近づくまでに時間はかからない。話をするなかで、違和感の正体にすぐに気づいた。

「ああ、同級生なんだけど、同年代ではないのね」

同じクラスだったけど、16歳のぼくらに対して、彼は5コ上の21だった。そんなイレギュラーを想像せずに、入学したぼくとしては、なんというかバカな表現だけど、すごくおもしろかった。

 

彼は同級生だけど、歳上であり、やんちゃなので、いろいろと注目されることも多かった。まあ、まず登校が「車」だったのは、今思えば笑えるんだけど、当時は衝撃的だったわけで。あとは、放課後に校内にピザ宅配しちゃったり、昼の弁当時間にベランダで焼肉はじめたり、16歳でかつ真面目ちゃんが集まるような高校では到底思いつかないような発想をかたちにしちゃうことの連続で、事件は絶えなかった。

そんな彼の発想はやはり読めなくて、高校1年1学期で、結局、学校をやめることに。元々ずっとやっていた音楽活動拠点を変えると、東京に行くことを選んだのだった。

彼が東京に出発する日時は、授業も真っ最中のときだった。ぼくら1名を除いた男子6名は、那覇空港まで見送りに行って、みんなで担任に怒られた。けど、立場的に怒らなくちゃいけないから怒っていた先生は、「あきれた(笑)」と言わんとする表情で、人間らしくていいなと感じたのを覚えている。ちなみに、残った1名は、いまだに同級生で集まったときの飲み会で、そのことをいじられている(笑)。

 

それからかなり時間が空くんだけど、ぼくが大学生になって2年か3年を迎えるころ、連絡だけは取ってゆるくつながっていたなか、東京で再会したときにもまた驚かせてもらった。いつの間にかサラリーマンになっていた彼が働いていたのが「典雅」であり、みなさんわりとご存知の「TENGA」をつくっている会社だった。その選択をしたこと、そして、そもそもその求人を見つけちゃう嗅覚がすごいよなあ、とえらく感動した。

そんな会社で働きながらも、今も変わらずに、音楽は続けているし、むしろ続けるための働き方をつくっていけるようにも見える。

米田智彦さんが「ノマドトーキョー」をやっている頃、ちょうど「ノマドワーク」という言葉がぼくのまわりではじわじわと認知されてきていた。そんなとき、ぼくはまだ会社で働いて、「そういうのできたらいいけど、キャリアがない自分じゃ無理だな」と思っていた。ただ同時に「ノマドワークはできなくても、ノマドライフはできるんじゃないかな」と考えてもいた。

ようは、通勤する会社は変えずとも、住む場所だけ定期的に変えながら、東京で暮らすということだ。それを、TENGAの彼は先にやってのけていた。2週間ほどで生活する場所を変えるんだど、サラリーマンなので通う会社は変わらない、というノマドライフ。

そういう自分の仮説でしかなかったものを、かたちにしている彼はやはり一つ斜め上をいってるなぁ、と感じたし、やはり身近な人だからこそのリアリティはすごかった。だから、ぼくもトライアルしてみたし、それをきっかけに、家なし男子(および居候人)として、京都や小豆島などに移り住むことになった。つまり、恥ずかしながら、インスパイアーされっちゃったわけだ。

結果、それはよかったのだと思う。そうでなければ、今こうやってアパートメントに書くということにすら辿り着かなかった、と思うほどのご縁は、この”生活実験”をきっかけにはじまったからだ。

 

さて、その彼だけど、現在はほとんど台湾にいて、TENGA支部局なものを立ち上げ、いつの間にかグローバルな感じになっているのが更に笑える。そして、音楽活動もゆるゆると続けており、台湾でDJバーを開けたらとちゃっかり準備もしている。

人との出会いはおもしろい。「出会ってなければ…..」というタラレバを考えるとキリがないけど、出会ってきた人が持っている一部が、現在の自分をつくっているのは確かだ。予期せぬところで、予期せぬものがつながることもある。

ああそれで言うと、目を塞ぎながら読んでほしいことで、高1のときに、彼と夜ドライブに連れてってもらったときに、沖縄でもそう多くないアダルトショップ的なお店に立ち寄ったことがあった。

で、そのお店では特に何もなかったけど、どこかのタイミングで彼がオナホールを急にプレゼントしてくれたことがあった。なんというか、そういう意味でも、彼の存在と言うか彼がくれたものは刺激的だったし、あのアダルトが今のアダルトにつながっているんだな、とつながりを感じたわけですよ。

いやあ、ほんとに、人生はネタづくりだわな。

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(とにかく、沖縄顔だ。ちょいちょい連絡とって、今もたまに飲んだりしている。仕事が一緒にできるのはいつになるんだろう)

大見謝 将伍

大見謝 将伍

バーテンダーだけど、執筆したり、企画したり。

「coqktail」屋号で、東京・沖縄を拠点に、日本各地を動きまわりながら、地域資源を活かした、カクテル・場・メディアづくりをやってます。基本的な大テーマは「くらし方・はたらき方」。

好きなカクテルは「Negroni」「Suze Tonic」「Gin Tonic」。

超真面目ななまけもの。俗っぽいのが好きで、妖怪も好きです。


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Reviewed by
大見謝 将伍

大学入学と同時に北陸から上京してきた私にとって、東京は自由な土地に思われた。実に多様な人々がいて、これまで見たことのないような人たちもいた。北陸のあの閉鎖的で狭苦しいコミュニティに比べて、東京はなんと自由なことだろう――10年前の自分にはそう思われた。

だが、東京に10年暮らしてみて、東京には東京なりの固定化したスタイルがあるのだということを思うようになった。「東京の人は東京の人で意外と考え方が画一的で、なんだか息苦しいんです」と、福岡出身の知人が昨日話していた。東京は、自由なように見えて、実は様々なところで私たちを縛りつけているのかもしれない。

人々の多様さをそのまま認められる社会は、いったいどこにあるのだろうか。結局のところ、都会も田舎も関係なく、日本全体が「多様性を認めにくいような社会」になっているということなのだろうか。

考えてみれば、地元の人々も十分に多様な個性を持っていた。もしかしたら、東京の人々から見れば、地方の人々の方がよっぽど自由なのかもしれない。大見謝さんの今回のコラムを読んで、東京に暮らす人々の「不自由さ」を思った。

「考えるへんな人」ー独特の価値観を持ちながら暮らしていて、見方によっては近寄りがたいが、噛めば噛むほどに味わいぶかいスルメのように話せば話すほどのめり込んでしまう人。そんな「考えるへんな人」を紹介していく、大見謝さんの連載。

第3回は、DJきなこもちアイスさんを紹介。

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