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2F/当番ノート

いつか見た映画、そして映画館の思い出パート2

当番ノート 第31期

前回に引き続き、今回もまた映画と映画館の話。

私の今までの人生の中で一番映画館に通ったのは、中学から高校にかけてだった。特に、中学2年の夏休みには、40日間の休みの間に、20本の映画を見に行った(と記憶している)。2本立てや3本立てもあったので、映画館には10回くらいは行ったと思う。
そして高校に入ると、渋谷や三軒茶屋に留まらず、銀座や有楽町の映画館にも行くようになった。また、早稲田や目黒の名画座にも行った記憶がある。神保町の岩波ホールにも何度か行った。

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▲この時期に見た映画のチラシがいろいろとしっかり保管されていた。やはりこの時期は、私にとっての映画黄金時代だった。
ルイ・マル監督『さよなら子供たち』、エットーレ・スコラ監督『マカロニ』。どちらも早稲田松竹で見た。ともに大傑作。
以下、保管してあったチラシをいくつかご紹介。

中学2年の夏休み、思い出せばきりがないが、後々いろいろと影響を与えたという意味では、藤沢の映画館で見た、キューブリックの『博士の異常な愛情』が一番だろう。『2001年宇宙の旅』の監督ということ以外なにも予備知識がなく、面白そうなタイトルだったからという、ただそんな理由で見に行った。ちなみに、『2001年宇宙の旅』は日曜洋画劇場で放映したときに見て、テレビ画面に釘付けになったのを、淀川長治さんの解説とともに今でも鮮明に覚えている。その放映を見てから、雑誌の「ぴあ」を毎週隅々まで読み込み、キューブリック作品がやっていないかを確認したものである。

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▲アキ・カウリスマキ『真夜中の虹』 この前後に、『レニングラードカウボーイズ・ゴー・アメリカ』『コントラクト・キラー』を見た記憶が。

さて、『博士の異常な愛情』を見に行ったのを特に覚えている理由は二つあり、一つは映画の内容が衝撃的だったこと、そしてもう一つは、藤沢に行くのが初めてで、映画館になかなかたどり着けず、上映ぎりぎりに席に着いたからだ。このことは、確か中学生のときに思い出アルバムかなんかに書いた記憶もある。当時はスマホなどもちろんないので、雑誌の「ぴあ」の小さくしょぼい地図を頼りに映画館に行かなければならなかった。一応初めて行く場所なので、余裕を持って出かけたが、それでもぐるぐるいろいろな所を歩き回って、ようやく看板を見つけた時には声をあげそうになったほどだ。
ところで同じ時期に、横浜の本牧で、同じくリバイバルの『カサブランカ』を見に行った時も、映画館に行き着くまでに時間がかかり、大変苦労した。
この映画、『博士の異常な愛情』のあまりの衝撃に、映画館を出てしばし呆然とし、確か映画館の目の前にあった古本屋の店先で、偶然『2001年宇宙の旅』のパンフレットを発見し(もちろんリバイバル版)、衝動的に買ったことを覚えている。その古本屋さんの名前はわからない。普通の、街の古本屋だったという記憶しかない。映画館の目の前ではなく、その通り沿いだったかもしれない。やはり、どうも私には映画館と古本屋がセットになっているようだ。
映画館は「フジサワ中央」という名前で、ネットで調べると写真も出てきたので、間違いない。大きな階段があり、そこをダッシュで登った記憶がある。現在はもう閉館してしまっている。とても歴史のある映画館だったようだ。

『博士の異常な愛情』は中学2年の夏休みの思い出だが、その時期の思い出としてはもう一つ、『月の輝く夜に』を、聖蹟桜ヶ丘で見たことが印象深い。これも、場所が初めてのところというのが、よく覚えている理由の一つだろう。田園都市線沿線に住んでいたので、まず、溝の口駅で南武線に乗り換えて分倍河原に行き、そこで京王線に乗り換えて聖蹟桜ヶ丘に行くのだが、分倍河原と聖蹟桜ヶ丘、二つの駅とも、まず、初めて耳にする駅だったし、漢字が多くて、全く違う世界のような雰囲気がそこにはあった。渋谷にはよく行っていたが、電車の乗り換えをするとなると、ハードルが高い。『銀河鉄道999』のように、乗り遅れてしまったら大変だ、という気持ちがあって、いろいろと緊張したのを覚えている。しょせんは中学生、そんなものである。
現在、聖蹟桜ヶ丘には映画館はないようだが、私はどこかデパートの中の、小さな試写室のようなところで見た記憶がある。椅子も普通の折りたたみ椅子だったような、気がする。
この映画は、大人向けのロマンチックムービーなどというジャンルになるかもしれない。ませた子供だった私は、なぜか、漠然とこの映画が好きになった。いい映画というものは、分からないながらも、誰に対しても訴えかける何かがあるものである。音と映像がしかけるマジックである。その究極の例は『2001年宇宙の旅』かもしれない。

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▲ビレ・アウグスト監督『ペレ』。なぜかあまり知られていないけれど、大傑作。

この2本以外にも、1988年からの数年間というのは、私にとってはとても濃厚な時代だった。大友克洋の『アキラ』を劇場で見て、あまりに興奮して、すぐまた見に行き、さらにロードショウが終わってから、再度名画座に見に行った。『ラストエンペラー』と『フルメタルジャケット』は渋谷パンテオンで見て、特に『ラストエンペラー』の映像美に感動し、これもすぐまた見に行った。(渋谷パンテオンには2階席があり、2階席は通常指定席なのだが、たしか、午前中の最初の回は全席自由席だったので、私は2階席で見たいという理由で、頑張って早起きして一番最初の回に行った。ちなみにこの当時は基本的には映画は全席自由席。座席指定席は大きなスクリーンではあったが、基本的にはなかった。)

1989年、ちょうど元号が平成になった年だ。その年、銀座の和光の裏手にある銀座文化(現シネスイッチ)で、『ゴッドファーザー』を見たのは、私の映画人生において特に決定的だった。たしか、日本の女優が選ぶ洋画名作選、などという特集で、吉永小百合や岸恵子が選んだ過去の名画を週代わりで上映していたのだ。(この原稿を書いていて、昔のチラシがないか探していたら、しっかり保存してあった。センスのないしょぼいチラシだが、私にとっては大切なチラシとなった)

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▲これがそのチラシ。『ゴッドファーザー』以外にも、いろいろと名作が。

なんとなく、『ゴッドファーザー』という名前は知っていて、なんとなく、ギャング映画と思っていて、そしてなんとなく、音楽を聞いたことがあって、という状況の下に見に行ったが、その衝撃はすさまじかった。そして私は、この映画には続編があるということを知り、しかしその時は映画館ではやっていなかったから、当時多少は安く出回り始めていたVHS版をすぐさま購入したのだった。もちろん「パート1」「パート2」、二つとも購入した。「パート2」は二本組だった。
少し大げさだが、このVHSは、すり切れるほど見た。学校が終わって家に帰ると一人だったので、じっくり一人で見ることができた。この名作に若い頃出会うことができたのは、とても幸運なことだった。そして、だからこそ、「パート3」を高校1年の春休みに、わざわざ早起きして初日に有楽町の日劇に見に行った時の、あの落胆、悲憤は決して忘れないだろう!ひどすぎる!確かに考えてみれば、「パート2」の続編などあるわけがないのだ。『ゴッドファーザー』は「パート2」で完結している。私の中では、「パート3」はなかったことにしている。
その後大学生になって、池袋の文芸座(現新文芸座)にて、「パート1」と「パート2」の同時上映があったので、もちろん見に行った。「パート2」を劇場で見ることができたのはこれが最初で最後だが、ほんとに貴重な経験だった。

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▲残念、ただただ残念な映画、『ゴッドファーザーパート3』

高校生になると、三軒茶屋や渋谷を越えて、銀座や有楽町に行くようになったが、その頃できた日比谷シャンテ(現在はTOHOシネマズシャンテ)と、有楽町駅の目の前にあった名画座、有楽シネマなどで、ヴェンダース、コーエン兄弟、カウリスマキ、トリュフォー、フェリーニと出会った。また、現在も営業している早稲田松竹にも行くようになった。
特にこの日比谷シャンテにはよく行くから、会員になったほうがいいかも、と思ったことがある。映画上映前のCMで、「シャンテシネカード会員募集中!」といつも出ていたからだ。劇場のおねえさんに聞いてみたところ、学生さんだったら学生料金なので、意味がないですよ〜、などと言われて、なんだかちょっとがっかりした記憶がある。
今にして思えば、この映画館はとても重要な役割を果たしていたように思われる。新しい作品も上映するが、昔の名作も上映する。既に世の中にはレンタルビデオはあって、少しずつ映画館離れというものが進んでいたが、それでもやはり、名画は映画館で、という要望は強かったんだと思う。『8 1/2』から『ドゥ・ザ・ライト・シング』まで、こういう名作を映画館で見ることができたことに、私は心底感謝している。

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▲スパイク・リーの作品の中では、一番かもしれない。『ドゥ・ザ・ライト・シング』

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▲日比谷シャンテのリバイバルで見た『大人は判ってくれない』。このチラシを見て、ものすごいかっこいいと思っていろいろ調べると、野口久光という名前にぶちあたった。映画はこのように派生的にいろいろなことを教えてくれるのだ。

映画好きということで知られていた私は、ある時友人の一人が女の子とデートをするので、何を見たらよいかとアドバイスを求められた。その時期に見た映画で印象に残っていたものは、『愛と死の間で』で、少し前に『デリカテッセン』『トト・ザ・ヒーロー』を見ていた。高校2年の冬だった。私は、ちょっとマニアックかもしれないが『デリカテッセン』がよかったが、デートで行くなら『愛と死の間で』かな、と答えたが、しかしその友人は何を間違ったのか、チャーリー・シーンの『ホットショット』を見に行ってしまい、それが原因がどうかわからないが、結局彼女とはそれきりになったようだった。
その選択ははっきり言って大失敗だが、しかし記憶にはしっかり残ったようだ。30年近く前の話にもかかわらず、今でもその話で盛り上がる。
映画は、単に一時的な時間つぶしではなく、我々の記憶の中にしっかり組み込まれ、財産となるべきものだ。これは、いろいろな方法で映画を見ることができるようになった現在でも変わらないことだろう。
次回は、そういったことについて考えていきたいと思ってる。

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▲最高傑作!ヴィム・ヴェンダース『ベルリン天使の詩』 有楽シネマで『東京画』との2本立てで見た。

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▲なんと!コロンボは天使だった!やはり、どうりで。コロンボ(ピーター・フォーク)がスクリーンに現れた時、そして先輩天使としていろいろと助言するあたり、泣ける!

さて、2回にわたって昔の映画や映画館についての思い出をつらつらと書いたので、若い方にはよくわからないことも多かったと思う。逆に、40歳前後の映画好きの方には、昔を懐かしんでもらえたかな、と少しは期待している。一つ一つの映画、そして思い出を語り出したら収集がつかないので、あまりまとまりのある文章ではなく、その点は申し訳ないと思う。何かの機会に、的を絞って掘り下げていければと思っている。

高松 徳雄

高松 徳雄

東京・下北沢の古本屋、クラリスブックスの店主。

神田神保町の古書店にて約10年勤務した後、2013年に独立・開業。現在に至る。
クラリスブックスでは、文学や哲学、歴史、美術書やデザイン書、写真集、さらにはSF、サブカルチャーまで、広範囲に取り扱う。

本の買取は随時受付中。
また、月に一回、店内で読書会を行なっている。

Reviewed by
黒井 岬

実家が田舎なので、映画館には頻繁には行けなかったし選択肢も2つくらいしか無かった。
東京には電車で行ける距離にいろんな映画館があって心底羨ましいなと思う。
けれど遠かった映画館は気軽に行けない分、年に数回の貴重な楽しみでもあった。
『映画は、単に一時的な時間つぶしではなく、我々の記憶の中にしっかり組み込まれ、財産となるべきものだ。』
味わい方は沢山あれど、映画の印象というのは鑑賞前後のことやその環境のことも多少なりとも含まれている。
映画館までの道のり、観終わった後の夕闇、あの時自分は何歳だったか。
何年も経ってふと思い出した時に、自分が何と出会っていたのかを知るような経験は、きっと豊かだ。

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