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2F/当番ノート

猫の不思議を考える

当番ノート 第31期

なぜ、猫はかわいいのか。

それは登山家が、「そこに山があるから」と言って危険を犯して登るのと同じかもしれない。
つまり、猫の存在そのものが、すでにかわいい。

しかしそうは言っても、ちょっと考えてみる。なぜかわいいのか。

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▲ヨハン。私が一緒に暮らしている猫。すごく鳴きます、叫びます。今年で10歳になります。以下、ヨハンの写真とともに、猫について考えます。

猫は犬と違って、野生の本能を忘れていない動物と云われている。猫が自分の体を始終ぺろぺろするのは、自分の臭いを消して、獲物に気付かれずに近寄るためらしい。また、狭いところや窮屈な箱に入りたがるのは、自分より大きな動物から身を隠すための行動らしい。
しかし、家猫は自分の臭いを消して獲物を捕る必要もないし、天敵に襲われる心配もないはずだが、いまだそういった習性はなくならない。とにかく必死にぺろぺろするし、箱に入って落ち着いている。
そういった、何事にも純粋に、一所懸命に頑張っているところが、かわいい。

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▲ちょっとはみ出てるけど、ちょうどいいらしい。ちなみに、ネコ科の動物はやはり狭いところが好きで、虎も広いところではなく、ぎりぎりのところに丸まって入る傾向があるとのこと。

野生の本能がまだ残っているということは、人間の言うことをあまり聞かないということでもある。だから、犬のように訓練するのは、まず不可能と言っていいだろう。ということはつまり、猫の生態は完全に解明されていないということでもある。
どのくらい知性があるのかを探る実験や、飼い主のことをどう思っているかを探る実験など、実はなかなか正確なデータは得られていないようだ。猫は気ままなので、ご飯を与えたりして気を引いても、実験に参加してくれないからだ。
そういった、「わが道をゆく」というところが、かっこいい。いろいろなことを気にしながら終始忙しなく生きている我々人間としては、正直憧れですらある。

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▲ヨハンはぺろぺろが好きで、好きすぎて少しお腹がはげてきてしまい、ちょっと心配になり獣医さんに診てもらったことがある。先生が言うには、このくらいならまだ大丈夫、もっとひどい子は、お腹全部はげてしまっているらしい。

現在の猫の祖先は、約10万年前まで遡ることができる。中東に生息していたリビアヤマネコである。このリビアヤマネコが人に飼われるようになって、徐々に現在の猫になっていったとのこと。

どのような物語があって猫が人に飼われるようになったか、なぜ人が生活している周辺にうろつくようになったか、謎である。しかし一番の理由は、やはり「かわいいから」かもしれない。
もちろん、ネズミを退治してくれるということで飼われるようになったのかもしれない。狩猟生活から農耕生活へと、徐々に人間の生活が変化し、文明が生まれつつあるエジプトで、大切な穀物を保管しておく倉庫で猫を飼っておけば、ネズミに食い荒らされる心配はない。しかし猫は気侭な動物である。倉庫にいても面白くないと思って、野山に戻ってしまうことだってあっただろう(当時のエジプトは現在のような砂漠地帯ではなく、温暖な気候で、緑豊かな土地だったと言われている)。だから人間は、そうならない為に、猫にたっぷり餌を与える必要があった。大切な穀物を守る為の必要経費というわけだが、それにしても、エジプトでは当時猫は神として崇められていたということを考えると、倉庫番の役割以上の、何かすごい物語がそこにはあったのかもしれない、と妄想してしまう。

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▲すごく大きな口。さすが肉食動物。猫は、口の大きさが全身との比率から考えてかなり大きい。逆に人間はその比率が一番小さいらしい。

例えばこんな話があったかもしれない。
まだファラオが誕生していない、文明以前のエジプト。
部族のリーダーの一人息子が手柄を立てようと一人で狩りに出かけたはいいが、獲物を深追いして結局迷子になり、ごつごつとした岩山で路頭に迷っていると、ちょうど同じように迷子になっていた野生の子猫を見つけた。日中は雲一つなく晴れていた空に、いつしか雨雲がたちこめ、冷たい雨が降ってきた。雨音だけが冷たく響く岩山で、彼らは抱き合ってお互い暖をとっていたが、やがて、リーダーの息子は疲れ果てて声も出なくなった。しかしその子猫はミーミーうるさく泣きわめき、そのミーミーを捜索隊が発見し、彼らは無事一命を取り留めた。
やがて彼は父の跡を継いでリーダーになり、王となった。王は猫の恩を忘れていなかった。猫を大切にするよう人々に命じ、その結果、人々は野生の猫を見つけると餌を与えるようになった。そんなものだから猫の方でも人間に近づき、ミーミー、ニャーニャー寄ってきて、街に猫が居着くようになった。こうして、人間と猫の奇妙な関係性が生まれた・・・

考えてみると、現在の猫は、なんとも謎なポジションにいるように思う。
外に出たことのない家猫でも、野生の本能が残っているので、外に出ればすぐその環境に順応して、野良猫としてやっていけるらしい。実際家猫が野生化して、その土地の生態系がおかしくなってしまうことがあるとのこと。また逆に野良猫も、餌を与えてやれば、少しずつではあるけれど、警戒心を和らげ、頭をなでなでできるようになり、最終的には抱きかかえることもできるようになるかもしれない。そしてその結果、家猫になるかもしれない。
そう考えると、猫は人間の生活にうまく適応し、(うまく入り込み)、自由に自分のポジションを確立することができるわけだ。そんな勝手気侭なことができるのは人間に愛されているからで、なぜ愛されているかと考えると、結局「かわいいから」ということになってしまう。

「かわいい」と思う理由は、その生き物の全身の大きさと、頭や目の大きさの比率に関係しているらしい。人間を含めほ乳類は、頭や目が大きいと、「かわいい」と思うようにできているとのこと。確かに人間の赤ちゃんも頭が大きい。また、子供がかわいいと思うキャラクターは、やはり大抵頭や目が大きい。頭に大きなかぶり物をしただけで、子供はわーわー寄ってくる。かわいいと思うと、それを守ろうとし、愛するようになる。だから赤ちゃんや子供は本能的に守られるようにできている。
さて、猫はどうだろう。確かに頭や目は大きいが、その比率がもっと大きい動物もいる。だから、猫のかわいさはそれだけではないように思う。最初の方にも書いたが、猫がかわいいのは、もしかしたら、謎な部分が多く残っているからなのかもしれない。
しっぽの長い猫が、自分のしっぽを必死になって追っかけてくるくる回る動作は、自分の行動と、追っても追ってもその距離が縮まらないこととの因果関係がわからないことで起きてしまうが、そのバカさ加減は見ていてかわいいのだが、そもそも、なぜ追うのかという疑問が生まれる。捕まえてどうしようというのだろう。やはり、謎である。

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▲丸まっているヨハン。ニャンモナイトと言うらしい。

私は子供の頃、外猫を飼っていた。野良猫といえば野良猫だが、餌をあげていたので私にとてもなついていた。
その猫が、ある夏の暑い日、蝉をくわえて私のところに持ってきた。蝉は可哀想にじーじー唸っている。猫は、いわゆる甘噛み状態で蝉をくわえているのだ。「俺強いだろう」「お前、できるか?」と言わんばかりのドヤ顔。猫同士で意地の張り合いをするのはいいが、人間にそんなところを見せる必要があるのか?そんなことしなくてもご飯はちゃんとあげているのに。私はそのとき、猫は私のことを人間と思っていないのでは、と考えた。つまり、対等の立場。これはすごいことだと思った。なぜなら、明らかに人間の方が猫より強い。大きいし、知性もある。しかし猫はおかまいなし。対等、いや自分のほうが上だとすら思っているふしがある。

このような、「かわいさ」に裏打ちされた強さこそ、猫の一番のチャームポイントなのだが、そこから引き起こされる行動そのものが、結局謎という、なんとも不思議でミステリアスな動物、猫。映画『猿の惑星』よろしく、『猫の惑星』のような世界にもしもなってしまったら、我々人間はその世界を甘んじて受け入れざるを得ないだろう、そのかわいさ故に。

最後にうちの猫、ヨハンについて書かせていただく。
ヨハンはとてもうるさい猫である。とにかくミーミー鳴く。主張が激しい。私はいままでいろいろな猫と接してきたが、こんなに鳴く猫は初めて。また、人を全く怖がらない。初めての人に対しても、お腹が空いていたら、「飯出せー」と、鳴くというより、叫んでいる。自分の家の猫があまりに鳴くものだから、人の家の猫が全く鳴かないと、逆に不思議に思ってしまうが、普通はそんなに鳴かないのだろう。
ヨハンを見ていると、つくづく猫のチャームポイントはそのかわいさにあると思いつつも、しかしその魅力の根本は、猫の行動一つひとつが結局のところ謎だらけで、そういった、どこかミステリアスなところに、何か憧れのような感情を我々人間が抱いてしまう、そこが一番の猫の魅力なのかもしれない。

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高松 徳雄

高松 徳雄

東京・下北沢の古本屋、クラリスブックスの店主。

神田神保町の古書店にて約10年勤務した後、2013年に独立・開業。現在に至る。
クラリスブックスでは、文学や哲学、歴史、美術書やデザイン書、写真集、さらにはSF、サブカルチャーまで、広範囲に取り扱う。

本の買取は随時受付中。
また、月に一回、店内で読書会を行なっている。

Reviewed by
黒井 岬

外にいる猫には、近付くと逃げるやつと撫でさせてくれるやつとがいる。
そっけない猫も猫らしくて良いが、触らせてくれるどころかすり寄って喉を鳴らす猫は、あれはもはや毒である。
撫でないわけにいかない。
その時点で人の方は阿呆面だ。毒に侵されているのだ。

小さい頃おそらく埃か何かのアレルギーだった私は、外猫を触ると花粉症と似た、ただしその10倍くらいひどい症状が出ていた。
ただ猫は好きだ。
猫の毒に当てられたらひとたまりもない。
だめだと分かっていても撫でに行って、そのためしょっちゅう地獄のような顔で帰宅していた。
今となっては良い思い出である。

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