鎌倉に行く前にちょっと寄り道して、私の旅する理由と、旅にはまったきっかけについて少し話をさせてほしい。
人が旅をする理由。それって色々あると思う。見たい景色があるから。憧れの土地だから。なんとなく。
私が旅する理由の一つに「ゲストハウスでの出会いに惹かれるから」というのがある。
ゲストハウスで、お互いに交わるはずのなかった人生を送っていた者同士が出会い、同じ部屋に泊まる。それってすごく不思議で非日常的な体験だと思う。
さらに自分が一人旅をしている時に、同じ部屋のその人も一人旅だと分かった瞬間のあの嬉しさといったら。一気に距離が縮まるあの感じは不思議だ。
その不思議だけど、なんだか嬉しくなる一期一会な出会いに惹かれて、旅にする時はいつもゲストハウスを選んでしまう。
ゲストハウスにはまるきっかけとなったのは、20歳になった翌日に行った京都一人旅だ。
それは人生初めての一人旅だった。
あの時は大学2年生で、それまで10代を生きていた私にとって、20歳になることは、なんだか一つ山を越える感じがしていた。
正式に大人認定をされてしまうのだと心の準備をしていた。
そんな大人になるにあたってやろうと思っていたことの一つに「一人旅」があった。中2の時に好きなアーティストの野外ライブに一人で参戦したり、大学生になって一人ラーメンをする行きつけの店があったりと、元来「一人○○」に抵抗がない私だったので、「一人旅」はきっと楽しいイベントになるだろうという予感があった。
結果その予感は当たり、その後海外一人旅で5か国を旅することになるけれど、それはまた別の話。
その初めての一人旅で訪れた京都のゲストハウスで、私は印象的な出会いをした。
そこは清水寺の近くの町屋風のゲストハウスで、東京でインターネットで宿探しをしていた時に偶然見つけて、一目惚れをした。
ゲストハウスらしからぬ古民家風の佇まいで、黒い瓦屋根からは古都らしい風情が漂っていた。
室内にはまるで田舎のおばあちゃんの家のようなの座敷の団らんスペースがあり、ここできっと旅人同士の交流もあるんだろうなぁと思う。加えて、個室のベッドは落ち着いた木目調のベッドで、安眠できそうだ。
極めつけは小さな中庭で、その狭い空間に丁寧に埋め込まれた飛び石に、宿の小さなこだわりを感じた。
宿泊代も手頃な価格であることが決め手となった。その宿に泊まろうと決めたその時、ちょうど20歳の誕生日を迎える2週間前で、秋がいよいよ深まりだし、緑色の葉が鮮やかに色づき始めている季節だった。
京都一人旅の初日。日が傾き始めた頃、清水寺を目指して坂道を上る観光客の波の中、私は大通りから一本奥の道へと入った坂を上っていた。
東京にいる時にも感じたことがあるけれど、メインストリートから一本奥の道へ行っただけで、全然違う景色が広がっていることがある。
今目の前に広がる道にも、大通りからは想像のつかない静けさがあって、私はわくわくとした気分でその坂道を上っていく。
いよいよ前方に清水寺の入り口の鳥居がみえてきた頃、東京で見た写真そのままの町屋風ゲストハウスが現れた。想像以上に清水寺がすぐそばの立地だった。
ゲストハウスの入り口の暖簾をくぐると、宿の主人が温かい笑顔で「いらっしゃい」と迎えてくれた。初めて来たのに「ただいま」と言いたくなるようなほっとする感じがあった。二階の個室に案内をされると、その部屋はこじんまりとしていて、二段ベッドが2台並んでいる部屋だった。イメージしていた通り、なんとなく居心地がよくて、落ち着く雰囲気だ。部屋に荷物を置いた後、一階の団らんスペースに行くと、既に4人の客がガイドブックや本をよんだり、おしゃべりをしたりと自由に過ごしていた。
私が座った席の向かいは、観光に来ている母娘の2人組で、どこからきたの、今日はどこに行ったのと話かけられた。
2人はその日に行ったというおすすめの神社を教えてくれて、そこはガイドブックには載っていない場所だった。そのうちに隣にいた一人旅できている40代くらいの男性も話に混ざり、ここもいいよなんて話をしてくれる。
旅好きで、しかも京都好きな人が集まっているから、自分の知らなかった京都を知ることができて、面白い。それに、その日ずっと一人で過ごしていて、そろそろ話不足だなぁと思っていた私にとって、楽しい1日のしめくくりになった。
おしゃべりがひとしきり終わった頃、そろそろ寝ますねとみんなに声をかけ、ほくほくとした気持ちで二階に上がっていった。
そして個室の扉を開けると、そこには先ほどいなかった女の子が一人いた。
「あ、こんにちは。」「こんにちは。」
はじめましての女の子を前にして、わかっていたはずなのに、初対面の人と今日は同じ部屋に泊まるのだという実感がようやく湧いてくる。それは向こうも同じようで、お互いにそわそわとしてしまう。
だけど、私は知っている。こういう時に、相手との距離を近づけるためには、
おしゃべりがとても大事だということを。
「おひとり、ですか?」と私が聞くと、「はい。」と女の子はこたえる。
私もなんですと言うと、お互いにほっとした感じで、話をし始めた。
話をしていると、驚いたことにその子は私と同い年の20歳で、しかも一人旅にきた理由が私と同じ「20歳の大人になる節目の年になったから。」であることを知った。
その事実を知ってからは、二人の距離が一気に縮まったことを覚えている。その日の疲れなんて忘れて、結構夜遅くまで語り合った。
さらに互いの育った環境まで似ていて、中高一貫の女子校出身で、現在は都内の私立大学にそれぞれ通っていた。もしかしてと思って、その子の大学に通う友人の名前を一人挙げると、「あぁその子なら、私の友達の友達だよ。」と返ってきた。
それまでの人生で、お互いに交わってはこなかったけれど、同じ時代を生きてきたのだという感覚が湧いた。
何よりも、同じ動機でこうしてそれぞれこうして京都までやってきて、この小さな部屋で出会えた今日この夜に、なにか巡りあわせみたいなものを感じた。
思う存分話をして、そろそろ眠くなってきたねと言って、それぞれシャワーを浴びて髪を乾かして、寝床に着く。
ふと女の子が「明日の朝、清水寺でラジオ体操をやるらしいんだけど、行かない?」と言う。彼女が一階の団らんスペースで宿の主人や客と話していた時に、明日の朝5時半から体操をやるので、行かないかという話になったらしい。それでそこにいたお客さん2人と一緒にいこうとなったというのだ。私は彼女の行動力に感心しながら、私も行ってみたいと返事をする。それじゃあ明日、というかもうあと数時間後だね。ちょっとは寝ないとねと言い合い、急いで眠りにつく。
翌朝5時。宿の入り口には、私とその女の子と、30代くらいの男性と女性がそれぞれ一人が集まり、4人で向かうことにした。清水寺の境内は、靄がかかっていて、澄んだ空気が流れていて、東京とは違う朝を感じる。
一度参加したことがあるという女性が案内をしてくれて、清水寺と京都の町が見渡せる小高い丘の上の広場に連れて行ってくれた。
そこには既に先客がいた。清水寺界隈に住んでいると思われる、おじいちゃんおばあちゃん総勢15人ほどだった。その人たちは運動着を着ていて、等間隔を開けて立ち、体をのばしたり屈伸をしている。どうやらここで体操が行われるようだった。
私たちはその最後尾に並んで、女の子と一緒にどきどきしながら待っていると、傍のスピーカーから運動会でおなじみのラジオ体操の音楽が、陽気に流れ始めた。おじいちゃんおばあちゃんたちは、慣れたようにほいっちにと声をだして、のびのびと体を伸ばす。私たちも音楽に合わせて体を動かす。
不思議だった。
この荘厳な清水の舞台を前に、
地元のおじいちゃんおばあちゃんに混ざって、
早朝からラジオ体操をしている。
この状況のあまりの不思議さに、途中女の子と顔を見合わせて笑ってしまった。
なんて贅沢なラジオ体操なのだろう。
観光の時に見る清水寺の景色とは違って見えて、新しい清水寺の顔を見ることができた気がする。
今目の前に広がる景色…清水寺と、体操をするおじいちゃんおばあちゃんと、そして前方に広がる山々…この景色をずっと記憶に残しておきたいと思い、大きく深呼吸をする。
その日は宿に戻って少し休んで朝食をとった後、女の子と一緒にチェックアウトをした。
彼女は今日は東福寺に行く予定だという。朝の清水寺界隈の小路を散歩するのは気持ち良くて、名前も知らない神社に二人で入り、そこでお賽銭をした。
そして、どちらともなく、それじゃあと挨拶をする。
一緒に楽しむところは楽しんで、でもお互いにそれぞれ行きたい場所があるからと、一人の旅路を再開する。
そのことについて事前に話し合っていたわけでもないのに、なんとなく共有ができていた。
だから別れ際は自然で、それぞれが行きたい道へ進んでいく様は、さっぱりしていてかっこよかった。
ちなみにその約1年後、就職活動中に訪れた都内の企業の説明会で、彼女とばったり再会をした。
その時は説明会後に少し話をした程度だったけれど、あの宿の一室で盛り上がった時とは違って、お互いにリクルートスーツに身を包んで、就活生の顔をしていた。
出会い方って不思議で、こうして企業説明会で会っただけでは発展しなかっただろう二人も、あの夜と清水寺の朝を共有しているから、なんだか特別を共有できている相手と思える。
私たちは、こうした人生の節目と思える登り坂の途中で、お互い引き寄せられて偶然出会う流れの中にいるのかもしれない。
彼女とは、またきっといつか出会える気がする。その時は、きっと私も彼女もなにかにむかって道を歩いている真っ最中の時に違いない。
こんなふうにしてゲストハウスの出会いの魅力にとりつかれていった私が、今回の鎌倉旅の滞在先に選んだのは、またしてもインターネット上での一目惚れがきっかけだった。
今回も同じくゲストハウスで、その宿の外観は田舎にある素朴な一軒家という感じだった。
室内は京都のあの宿と同じように座敷の団らんスペースがあるのだが、京都の宿と違うのは、その真ん中に大きな囲炉裏があることだった。
囲炉裏を囲んで旅人同士が和やかに交流する場面がすぐに頭に浮かんできた。
なんだかそのゲストハウスから漂う空気感とか雰囲気が、私が好きな鎌倉がぎゅっと凝縮されている、そんな感じがした。
そしてホームページに載っていたこの宿の紹介文が決め手となった。
畳のにおい。
陽だまり縁側。
オレンジ灯りとぼんぼん時計。
職人手作り藍染め和布団。
地下につながる隠れ家レストラン。
ここで流れてるのは
きっと誰もが懐かしく想う時間。
その文章に綴られているもののどれか一つが魅力的というより、
きっとその宿に存在するすべての要素がかけあわさって、その宿にしかない時間と空気を創りだしている。そんな感じがした。
ここにしよう。
直感に押されて、宿の電話番号をプッシュする。
鎌倉ではどんな出会いが待っているんだろう。
期待に胸を膨らませながら、鎌倉につながる電信音を聞く。