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2F/当番ノート

ストーリーテラーって何ですか?

当番ノート 第33期

ストーリーテラーって何ですか?

3年ほど前から自己紹介をするときに「ストーリーテラーです。」と名乗ると「なんですか?それ?」となるので、「おはなしを語る人です。」と言うと「ああ、朗読ですね。」と返ってくる。(そうだよね。そう思うよね。)と思いながら見た目の違いはほとんどないようにも思うのだが「違いがあるとすれば、観客との間に媒体(本とか紙とか)を持たないでそのまま素語りをするんです。」と話すと、「ああ、、、、、、へえ。」とほとんどの場合、納得と言うかなんとなくイメージを作っていただける。(朗読と素語りの違いは最後で)

― 素語りをする人をストーリーテラーと言う。

ヨーロッパでは中世から小さなアイリッシュハープを片手に村から村へと演奏とストーリーテリングをしながら生計を立てるアーティストがたくさんいた。これがストーリーテリングのはじまりとも言われている。語るものは他作もあれば自作もあり、詩も多く語られた。もちろん小説や歴史を語るものもいた。特にこれと言った決まりもないのだ。好きなもの選び、好きなように自由に語る。自由というのは自分がどれほどのものなのかを知ることのできると言うか、知ってしまうのだからそれはそれで手厳しい。どこかで聞き手のニーズに応えるものも出てくるものも出てくるし、あくまでも自己を貫きアーティスト然とするもの出る。そこには何の垣根もない。聞き手はもちろん自分の好みに合わせていくから、人気商売で「あいつは食えないやつだ」が出るのも当然至極のことだ。

スコットランドのエジンバラで初めてストーリーテリングのワークショップを受けた時、講座を受けているほとんどの人が口を揃えて「日本には落語家がいるじゃない」と言う。(そうだよね、でもちょっと違うんだけどなあ)と思いながらもグーグルから得た知識を頼りに話し始める。乱暴な言い方だがストーリーテラーにはなんの修行もない。ある日「私ストーリーテラーです。」と言えたならそれで立派な肩書を持つのだ。これがスコットランドのストーリーテラーである。落語家になるには門下に入り修行がいる。これが大きな違いの一つと言っていい。

ワークショップを受けていく中で、徐々に「私もストーリーテラーになりたい」と思うようになっていった。そんなことを休憩時間に話すと講師であるクレア・ヒューイットが「なりたいじゃだめよ。「なりたい」と「です」の間には覚悟が違う。覚悟はそれに向かう姿勢が変わってくるのだから。ストーリーテラーです。と胸を張りなさい。」と。今から思えばこれは私に踏み出す勇気をくれたのだと感謝している。
興味深かったのは、最終日に見たというか聞いた、ストーリーテラーたちのある作品であった。10人のベテランのストーリーテラーたちが同じ作品(約5分ほど)語る。作品の話の筋は同じなのだが、言葉尻はその人なりに改訂して良いルールだ。3人ほど語り終えた時に驚いたのは、どの作品も違うのだ。それぞれが同じ作品をどんなふうに解釈しどの言葉に重きを置いたのか語り方も声も間にストーリーテラー自身が現れてくる。最後の人が語り終えた時、観客はほぼ総立ちで拍手を送った。誰もが違う10作品を聞いたような不思議な気持であったに違いないと思う。

帰国のときに、私がワークショップを受ける前に思っていたストーリーテリングを学びたいと思った理屈は消えていた。
読み聞かせや素語りは眼で活字を追うのと違い、直接、感情をつかさどるところに届き想像力を育てることが出来る一番有効なことだとか、子どもにも疲れた大人への癒しの効果とか・・・なんだか知らないけど頭でっかちな事柄はすっかり吹っ飛び、ただただ好きなことだから続けたいと思うだけの自分がいた。何より楽しくて嬉しいのは自分なのかもしれないな。

最後に、素語りは朗読よりも物語の中にストーリーテラー自身が強く現れてくるように思う。他者の作品にストーリーテラー自身の解釈がのり語られるのだから、物語と語り手の距離はとても近い。良きも悪しきも・・・。

次回はストーリーリングってなんですか?
ストーリーテリングは語り手と聞き手が作り出す十人十色の世界。

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Hanayo Ito

Hanayo Ito

ストーリーテラー
こどもとおとなの ハーナのおはなし屋さんを主催
  木工アーティスト

Reviewed by
ふき

人間は物語る動物なのだとか。それについて思いをはせるとき、いつも思い出す文章があります。

“物語をする人にとって、きのうという日は、いつも身近にあります。それは過ぎ去った年月、何十年という時間にしても同じです。物語のなかでは、時間は消えない。人間たちも動物たちも消えない。書く人にとっても、読む人にとっても、物語の中の生きものは、いつまでも生きつづける。遠い昔におこったことは、いまも本当に存在する。”――アイザック・B・シンガー著『やぎと少年』まえがきより

私達人間は、遠い昔から、様々な経験を、そして説明できない出来事を、物語と言う形で昇華させ、語り継いできました。満ちては欠ける月、大雨のあとにかかる虹、春になるといっせいに萌え出る芽。それら1つ1つに豊かな想像力で物語をあたえました。また、日々の暮らしや人々の知恵も同様に、口から口へと伝えられていく中で物語となりました。誰かが語り、聞く者がいた。聞いた者がまた語り、それが連綿と繰り返されて、「遠い昔の今日」は、いつも私達のそばにあり続けます。それを担う現代の語り部が、ストーリーテラー。さあ、物語に寄り添うハーナさんの2か月の始まりです。

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