僕は多分、昔から自分の中に浮かんだ考えや思い出した出来事、
思い出の類のことをずっと頭の中でグルグルと考えては掘り下げていくのが好きな性質のようだ。
そしていろんなことに思い至り、妙に納得したり更に疑問を増したりしている。
そいつによってその日一日の気分が大きく左右されたりするので、
全くもって厄介だと思うのだけれど、こればっかりは完全なる癖というやつで治しようもない。
大体、治したいなんてこれっぽっちも思っていない。
写真を始めてから、この癖は一気に悪化した。
悪化したというと聞こえが悪いのだけれど
僕はこういう事柄を、決まってこんな聞こえの悪い言葉で表現したくなってしまう。
聞こえのいい言葉を使って表現してもいいのかもしれないけれど
そうすると僕がその事柄についてどういう感情を織り交ぜながら語ろうとしているのか、
そもそも僕という人間がどういう人間なのか、
そういう感情とか温度とか手触りみたいなものが
掻き消されている気がしてしまうから、敢えて使っているのだろうと書きながら思い至っている。
文章を書きながらも癖が出てしまったようだ。
やはり、どちらも愛すべき悪癖だ。
写真自体は昔から好きで、色々と撮っていたけれど
写真とちゃんと向き合いたいと思い始めたのは
父親に癌が見つかって余命2年と宣告された辺りからだったように思える。
僕は昔から自分のことを無感動で冷たいダメな人間だと思っていた。
(ダメな人間については今も思っていないわけじゃないのだけれど)
なんでそんなことを思っていたのかと振り返ってみると
それは多分、学校時代(防御のために)傍観者を決め込んでいた僕たちに対して
先生や大人たちから向けられていた視線や言葉からだったように思う。
子どもがその時々で感じる感覚や感情なんて、周りの大人の「こうだろう」に
ぴったり当てはまることなんてきっと稀なことだと思う。
僕たちは周りが期待するようにわかりやすくクラスメイトをいたわることをしなかった。
周りが思いもよらないところで憤った。
それはきっと発展途上の子どもだった僕たちにとっては自然なことだったのだろう。
だけど、僕はそれを自分の、僕たちの欠陥だと認識した。
そこから僕はきっと一種の呪いに支配されていたのだろう。
けれど、人生で誰もが経験するであろう不安や悲しみが
父親の一件によって目の前に具現化したことによって
僕の心の中にはわかりやすく、それはドラマの中のお話のように
「悲しい」「不安だ」「どうしよう」「どうしよう」という感情が押し寄せてきた。
そして父親がこの世を去ったとき、一気に決壊して溢れ出した。
病院へ向かう電車の中でその訃報を受け取った僕は泣いていたけれど、
同時にそれは途轍もない喜びの瞬間でもあった。
僕にもちゃんと親の死を嘆き悲しむことのできる心が宿っていた、と。
まともな人間だった、と。
僕は子供の頃からの呪いから解き放たれて、初めて自分に興味を持った。
こんなどうしようもない僕の中から湧き上がってくるものを面白く思った。
人間って面白いなと思った。
そうすると毎日見ていた景色も少しずつ違ったものに見えてくるようになった。
昔から欲張りでなんでも手に入れたいと欲していた僕は、
この違って見えて行く景色も手に入れて所有しておきたくなってきたのだろうか。
多分だけれど、そんなことを知らず知らずに欲していたような気もする。
それから僕は何年も写真を続けている。
飽きっぽい僕にしてはなかなかのもんだ。
なんで写真なのかは結局今のところよくわからないけれど、
そいつも多分僕の中の悪癖がそのうち導き出してくれるのだろう。
僕はそいつに期待している。
僕は僕に期待せずにはいられない。
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初めまして。そしてお久しぶりです。岩男です。
前こうやって入居していたのはもう五年も前のことになるようで、時の流れとは早いものだなと思う次第ですが
僕自身の方はというと、まあ相も変わらずといったところでしょうか。
また二ヶ月間、アパートメントに滞在させてもらうことになりました。
今回は写真と共に「自分語り」とも言うべき僕自身の話をしていこうと思っています。
小説家でもなんでもない普通の僕に書けるものがあるとすればこれくらいなものだと思い至ったからです。
どうぞよろしくお付合いくださいませ。