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2F/当番ノート

すべてどこかに保存されていてほしい

当番ノート 第36期

以前の投稿にも書いたように、現在カナダのトロントに滞在している。

渡航してから日本と違うなと感じることは勿論たくさんあるけれど、少し印象に残っていることを今回書こうと思う。

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渡航してすぐに語学学校に通い始めてから、半年になる。

考え方の違う人とやり取りするのは骨が折れるけれど、知らない価値観を知るのは基本的には面白い。

 

人生に対する考え方の違う相手と対話すると、自分の心のどこか深層に流れている意識を思いがけず知ることがある。

あるとき先生が皆に、何歳まで生きたいかと尋ねた。

長生きすること自体にはそこまで興味が無いし七十歳くらいで自分は十分かな、などと思っていたら、ほかのいろんな人たちが百歳とかそれ以上生きたい、と言う。

なぜ?そんなに長生きしても良いことないのでは?

そう思ってしまった自分に少しぎょっとしつつ理由に耳を傾けていると、彼らは自分の孫やひ孫が見たいし可愛がりたいのだそうだ。

ああ自分は子どもを育てたい気持ちがあまり無いから、こう思うのか。

そうも思ったけれど、この質問に対する答えの違いはもっと根本的なところにありそうな気がする。

極論を言ってしまうと、私はどうやら人間はいつかいなくなると思っている。

自分が死んだ後ずうっと先の未来の人間がそれに見舞われるというより、日がふっと落ちるように人間にその時が来るだろう、というような。

だから自分の遺伝子を残すことにも、ひ孫に会えるくらい長く生きることにも執着しないのかもしれない。

長生きしても意味がないとか、人間はいなくなるとか、言葉にしてみるとあまりにも後ろ向きだけれど。

いまを生きている人、生きた人を肯定したいとも、ずっと思いつづけている。

子孫が残っても残らなくても自分の人生を生きたいし、ほかの人にもその人の人生を生きてほしい。

知らないすべての些細な物語が、どこかに保存されていてほしい。

この世のどこかにそんな仕組みが働いていることを信じてもいるのだと思う。

いまある全てが、いつかは消えて無くなるとしても、と。

 

黒井 岬

黒井 岬

服を作る人。
1993年、新潟県生まれ。2011年より東京に移り、専門学校に4年間在籍し服飾を学びながら作品を製作する。
自主製作のほか、ミュージックビデオ、映画、ダンサーなどの衣装製作を行う。

Reviewed by
kuma

「神の記憶」ということを考えた人がいる。生きたもののすべての記憶は、降り積もる雪のようにして、あるひとつの場所に蓄積されていくのだと。僕も似たようなことを信じている。

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