入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

プロポーズと内省(2月26日から1週間のこと)

当番ノート 第37期

cover

2月26日(月)

朝起こしてもらうと、もう7時半になっていた。飛行機が飛ぶの、9時15分なのに! 朝ごはんをかきこんで歯を磨いて荷物をまとめる。名残惜しむ暇もない。

お母さんが車で送ってくれることになって、わたしとお母さんが先に車に乗りこむ。恋人さんだけお父さんに呼び止められて、お父さんは恋人さんに戸籍謄本を渡して、何かを言いながら恋人さんの手を強く握っていた。

恋人さんも車に乗り、お父さんに手を振って見えなくなってから「お父さん、何か言ってた?」と聞くと、ののかをよろしくねと言ってたよ、と言った。お父さんとお母さんとおじいちゃんとおばあちゃんの名前が入った戸籍謄本を見る。何というか、結婚をするんだなぁと思った。

車の中でも、お母さんは何度も何度も、本当によかったと言っていて、お母さんの本当によかったはもう何度も聞いたから、本当によかったと思っているにしてもあんまり安売りしないでほしいと思った。でも、それくらい、たくさん思っていることなのだろう。結婚というより、相手が恋人さんで本当によかったとも言っていた。わたしもそれはそう思う。

お母さんはそのあとすぐに用事があったみたいで、わたしたちを下ろしてサッと帰っていった。あんなに名残惜しそうにしていたのに去り際はサッとするところも、何だか儀式っぽいなと思った。

飛行機に搭乗してから、わたしは「本当は、わたしが映っている写真のクレジットに、ちゃんと恋人さんの名前を載せたいんだ」と言った。恋人さんは写真家で、編集者さんやディレクターとお仕事をすることもある。同じ業界なら特に、わたしのことを嫌いな人もけっこういるので、わたしと恋人さんが結婚していることを知ったら恋人さんに発注がこなくなるんじゃないかと思って、信頼できる人にしか言わないようにしている。

そうしたら、恋人さんは「じゃあ、ののかちゃんの記事にクレジットを載せても大丈夫なように、僕はたくさん実力をつけて売れるね」と言ってニコニコしていた。急なことで目の中の筋肉がぎゅうううっと縮んで、涙が勝手に出てきてしまった。恋人さんの言葉はうれしかったし、ありのままを書くだけで嫌われてしまう自分の仕事と、それをやめられないわたしって何なんだろうというふがいなさのようなものが、頭の中でこねられてこねられて“ないまぜ”になった。

今までそんな風に言ってくれた人はいなくて、「俺への迷惑を考えろ」という人がほとんどだったので、こっそり書いた日記にカギをかけて、引き出しにしまう明治時代の女性みたいな感じだった。そう言ってきた人たちは全体的に人でなしだったけれど、人でなしでなくても、わたしのような人が結婚相手だったら、わたしは恋人さんみたいにやさしい言葉はかけてあげられないだろうなと思った。わたしはまた何度目かの、プロポーズの答え合わせをした。

東京に着くとすぐ、恋人さんはそのまま仕事に出かけていき、わたしはみいちゃんが待つ家に急いで日常がまた流れていった。

家に帰ると、みいちゃんが鳴きながら駆け寄ってきた。お水はギリギリ残っていて、エサのお皿は1粒残らず空っぽになっていた。トイレの猫砂は飛び散っていて、すごいようすになっていたけれど、いい子でお留守番していたので、いつものドライフードよりも高級な、ささみのかたまりをほぐしてあげた。部活後の高校生みたいにガツガツと食べていた。みいちゃんは正直だから信頼できる。

「みいちゃん元気だったよ」と写真を撮って恋人さんにLINEをして、ヒーターをつけてみいちゃんをずっと撫でてあげた。いつもはベッドの下から出てこないみいちゃんが、今日は膝にすり寄ってきて離れなかった。もうあんまり、家は空けたくないなと思った。

家で原稿をしていると、夕方に恋人さんが帰ってきて、ようやく東京の家に帰ってきたんだなという感じがした。お互いに仕事をしたり、手を休めたりしながら、婚姻届を出すのはキリがいいから28日にしよう、ということになった。夜になって恋人さんは珍しく飲み会に出かけて行った。

わたしは何だか急に、疲れがドッと出てしまったみたいだった。何かの手違いで、婚姻届が受理されなかったり、記事が炎上して恋人さんの親戚に結婚を反対されたりしたらどうしようと未だに思っていた。面倒な儀式とか手続きを終わらせたい。そうして早く、本当の落ち着いた生活をしていきたい。

2月27日(火)

業務委託先の会議で、オフィスへ。宿題になっていた企画の詰めをうまく説明できず、そして考えも甘くてボツになる。

会議が終わったあと、上司に「ちゃんと考えたようには見えなかったよ、遊びじゃないんだよ」と叱られる。いつもやさしい上司にそこまで言われたら、いよいよ終わりだ。夕方まで仕事をするつもりだったけれど、オフィスにいられなくなって、わかりやすく肩を落として家に帰った。

どろんとした空気を引きずったまま、家に帰ってくると恋人さんがいた。わたしはまたひとりでに喋り出して、「一生懸命やれば信頼を回復できるはずだ、絶対にそうだ」というようなことを傷のついたCDみたいに何度も何度も唱えて、恋人さんはそれをうんうん、と言いながら聞いてくれていた。

夜は前々から楽しみにしていた飲み会があるので、誰かに絶対に来いと言われたわけではないけれど、何としてでもいかなければならない(と、わたしは思っていた)。

気持ちを持ち直すために、感情を乗せなくていいタイプのライティングの仕事をして、家を出て、バスに乗る。早めに着いてしまったので、少し遠回りをしてお店に行った。

今日の飲み会は定期的に開かれる、女の子がたくさん来る飲み会で、シンガーソングライターの人とか、大手IT企業で働いている人とか、眩しい人ばかりだった。眩しい人ばかりなのだけど、自分の仕事や肩書を鼻にかけたような人がいないのが、この飲み会のいいところだと思っている。

20人近く来る予定の飲み会にはまだ4人くらいしかいなくて、とりあえず乾杯してパラパラと始まった。自己紹介をし終わったら、隣に座っていた元気な女の子が「わたし婚約したんですよー!」と言って、わたしはなぜかドキーンとした。

みんながおめでとうとか、どういう人なのとか言う中で、届を出す日はいつにしたらいいんだろうという話になった。目の前に座っていた女の子は、「いちりゅうまんばいび」と「たいあん」と、あともう1つ何かめでたい暦が重なったすごい日に届を出したらしい。

斜め前に座っていた女の人は、覚えやすい記念日に出したと言っていた。届を出す日の暦を気にしたことがなかったので、少しだけそわそわしたけれど、明日が仏滅だったら、これ以上悪くなることはなさそうなので、それはそれでいいのかもしれないと思い直した。

昼間のことがあって、気持ちが落ち着かないこともあって早々とおいとまする。酔いが回ったせいか、わたしは恋人さんと出会う前の、ピュアな独身時代の気持ちになっていた。何だかとても自由で、気楽で、ものすごく寂しい気持ちになっていた。毎週きまって会うのにその人はわたしのことが好きじゃなかったことや、結婚すると言ってから今日までのみんなの反応とかが重く感じたりしたことも思い出したら悲しくなってきた。

バスに乗って、家に帰ってドアを開けて出迎えてくれた恋人さんの顔を見た途端に泣いてしまった。

結婚するって言ったら何かすごいことみたいにされているのが辛いとか、恋人さんと結婚するのはうれしいけれど、ここまでくるまでに何であんなにたくさん男の人のことで悔しかったり悲しかったりしなきゃいけなかったんだと言って、何も悪くない恋人さんの胸をグーでガンガン殴った。

恋人さんは、「わかるよ、多分、おんなじ気持ちだよ」と言って、わたしのグーをよけることなく受け止めてくれた。

マリッジブルーというのは、この人と結婚していいのかな、と思うことだと思っていた。この人と結婚したいととても思っていても、マリッジにまつわるブルーになることもあるんだなと思った。

ちゃぶ台に婚姻届けを広げて、2人でそれぞれ書きこんだ。姓を選ぶ欄は、「夫の姓」と「妻の姓」のどちらかにチェックをするようになっていて、こんな簡単なことなのかと思った。チェックするときに恋人さんは「僕が佐々木でもいいけど、どうする?」と言った。わたしはどっちでもいいけれど、手続きが面倒になるのは嫌だけれど、婚姻届にまつわる手続きが面倒になるのはもっと嫌だなと思ったので、「わたしがそちらになります」と言って、夫の姓にチェックした。

明日は午前中に届を出さないと、お互いに合う時間がない。早めに起きて出しに行こうと言って、1時すぎに布団に潜った。

2月28日(水)

朝起きると、もう9時とかだった。わたしは何だか決戦に行くような気持ちになっていて、機械みたいにシュッシュッと身支度をした。

恋人さんは少し体調が悪そうで、まだベッドにいた。いつもだったらやさしくしてあげたかったのだけど、届を出す直前のわたしにそんな余裕はなくて「今日出さないなら出さないでいいけど、今すぐ決めて!」とヒステリーを起こした。恋人さんは力を振り絞るようにして起き上がって服を着始めた。悪いことをしたなと思いながら、わたしは少しだけホッとしていた。

役場に届を出すときは、たぶん恋人さんもわたしも緊張していて表情がとても固かったし、なぜか怒っているような雰囲気だった。1秒でも早く終わってほしいと思っていた。

受理されて、役場の人に、おめでとうございます、と言われて、何かこんなもんなんだね、と言った。盛大に祝われることには違和感はあるけれど、いろんな人におめでとうと言ってもらうのに手続きが地味なのもそれはそれで気持ちが悪い気がした。派手か地味かのどちらかにするか、間くらいにしてほしい。たとえば、役場の人がケーキをくれるとか。

そういえば、届が通ったので、恋人さんは恋人さんではなくなってしまった。新しい名前を考えようと思うのだけど、主人は絶対に嫌だし、夫も旦那も何だかしっくりこなかった。外向きに何て呼んだらいいか考えているとき、妹のかえちゃんが旦那さんのことを「配偶」と呼んでいたのを思い出した。最初は「配偶者」と呼んでいたのだけど、面倒になったのか、そのうちに「配偶」になった。「配偶」というのは、何だかいい。両性具有生物みたいでカッコいい感じがする。敬意をこめて“さん”を付けて、「配偶さん」と呼ぼう。というわけで、恋人さんは今日から配偶さんになった。

疲れてしまったので、近くの喫茶店に入る。配偶さんは仕事用の大きなカメラを持って、わたしにレンズを向けていた。するとお店の人がやってきて「何かに掲載する予定ですか? 店内での撮影は……」と言いかけた。配偶さんは焦って「お店の中でカメラを出してすみません! でも僕らただの夫婦なので!」と言った。お店の人はちょっと怒っている感じだったのに、ぷ、と吹きだした。わたしは、わたしたちは「夫婦」なんだなぁと思った。

そのあと、それぞれに仕事に行った。業務委託先のオフィスに行って、詰めの甘かった企画の相談をしに行く。わたしの詰めがやっぱり甘くて、また少しだけ叱られた。届を出した報告はしそびれた。バックオフィスの人にだけ、苗字が変わったので契約書を新しくしてください、と小声で言った。婚約したときに上司はとても喜んでくれていたので、いつか報告したいけれど、わたしの仕事ぶりがこの調子だと、数カ月後とかになってしまうかもしれない。

届を出して、ようやく大仕事を終えたのに、日常がいつもどおり流れていくのが気持ち悪くて、その気持ち悪い気持ちを気持ち悪い気持ちのままツイートしたら、たくさんの「おめでとう」をもらって、とりあえず、やっと、終わった気がした。結婚がいろんな人の承認を得るもの、という慣習は、わたしの中にも根付いてしまっているんだなと思った。

結婚は1人でするものじゃないんだよ、というお父さんの言葉を思い出す。お父さんは相手がいることなんだよ、という意味で言ったと思うけれど、もっと言えば相手の親とか親戚とか、仲良しのお友達とか取引先とか、わたしを知っているすべての人を巻き込んでしまう大きなことなのだなと思った。とても個人的なことなのに、社会的なことになっている結婚は、やっぱり不思議で、変だなと思った。

それから、昨日の飲み会で話に出ていた話が気になって、「入籍日 縁起」と検索したら、入籍日カレンダーというサイトが出てきた。私が婚姻届を出した2018年2月28日は「良いとも悪いとも言えない、なんとも言えない日。仏滅ではないので、候補日にはなりうる」と書いてあった。他の日にちが「絶対にオススメ」とか「絶対に避けましょう」と書いてある中で、無責任で気の抜けたことが書いてあったので、肩の力がふわっと抜けた。

それでもわたしはちょっとまだ、少しだけそわそわしていた。嫌だなと思ったけれど、これは今だけの気持ちなので、元気なときは味わえるだけ味わっておこうと思った。

寝る前に、昔、とても好きだった人のことを思い出して、やりとりしていたSMSの画面を開いた。そこには「記事を書きました」という言葉と、リンクだけが一方的に貼られていて、半年くらいそんな調子で、自分でやったことなのに、わたしは思わず「こわ」と呟いた。

どうせ今回も返事は返ってこないだろうと思いながら、仏さまにご飯をお供えするような気持ちで、「結婚しました」とだけ書いて送った。

3月1日(木)

3月になった。今日は渾身の記事が出る日だ。引っ越しとプロポーズをした1月に取材していたのだけれどエネルギーが足りなくて、なかなか書き始めることができなかった。ようやく出るのがうれしい。

ここ最近は外に出づっぱりで疲れてしまったので、今日は引きこもって文章を書く。家にいると決めた日はめがねにすっぴんだ。そうでないときもすっぴんのときも多いけれど、すっぴんで都心まで出ると弱くなった気がしておどおどしてしまうからよくない。逆に気楽でいい。

午後に連載の原稿を提出して、ちゃぶ台に顔だけ突っ伏した。もう、骨抜きです。

聞きなれない通知音がして、画面を見ると、昨日SMSを送った人からだった。彼のことはもう死んだと思うことにしようと思っていたので、生きていたんだと思ったし、わたしがお供えするように一方的に送っていたメールたちも全部しっかりと届いていたんだなと思ったら、苦笑いしてしまった。その人からのメールはいつも中身がないので、感情だけ受け取ることにしている。とりあえず、わたしの結婚を喜んでいるみたいだった。その人とのことを指でなぞるように思い出した。大好きだったけれど、改めてこの人は「結婚」という箱には入らない人だな、と思って安心して、幸せな気持ちだけが残った。

夜ご飯の時間になって、何かおいしいものをつくりたくなって、実家で食べた鶏ハムをつくることにする。お母さんによれば5分でできると言っていた。

作り始めて材料を鍋に放り込んでから、お醤油を切らしていたことに気が付いて、もうダメだ~という気持ちになって、その場に座り込んだ。恋人さんは仕方がないから買いにいこうと言ってくれて、一緒に行ってくれるならと、足を引きずるようにして近くのスーパーに向かった。5分どころか手の込んだ夜ご飯になってしまった。

夜になって、編集者の方から記事がYahoo!のトップに載ったという報告をもらう。わたしのTwitterでは反響は普通だったので、どういうアルゴリズムなんだろうと思ったけれど、本当にアクセス数やコメント数が多くてそうなったらしい。素材が良かったとは言えうれしいし、わたしのことを知ってくれているwebライティングとかその周りのあたたかい“土”をホームに、もっともっと外に出ていきたいなと思った。

3月2日(金)

久しぶりに配偶さんと出かけることにする。だいたいいつも一緒にいるのだけど、仕事をしながら話しているのも少し飽きてきた。デートっぽいことがしたいというわけで、表参道に行くことにした。

表参道には配偶さんのお母さんが行ったフォトジェニックなお菓子屋さんがあって、ちょっと行ってみたいなと思っていた。わたしは昔から華やかな場が苦手だ。自分には華やかな場が似合わないと思っているので、華やかな場に行きたいと思うこととか、そこで楽しんでいる自分を想像するだけで、手で顔を覆いたくなるほどに恥ずかしくなってしまうのだった。

だから、成人式や大学の卒業式に向けて、半年以上も前からみんなが気合を入れて美容室を予約するのを白い目で見ながら、本当はとてもうらやましかった。わたしだってお金と手間をかければかわいいんだ、と思いながら、お金と手間をかけるのが怖かった。お金と手間をかけるのは努力の賜物なのだ。

大人になってからはそこから少しだけ素直になって、カラコンを入れてみたり、ネイルをしてみたり、華やかな場所に行きたいと言えるようになった。配偶さんのお母さんが食べたと言っていた、筒状のクッキーの中にミルクの入った飲み物、わたしも飲んでみたいです。

クッキーショットという筒状のクッキーの中にミルクの入った飲み物をドキドキしながら注文して、食べた。味はすごくおいしい、というわけではなかったけれど、クッキーショットを食べた、という満足感が胸のあたりにジワーっと広がっていった。みんな、こういう満足感にお金を落とすんだと思う。

しばらくすると、わたしは急にお腹が痛くなってきて、その場に座り込んでしまった。天気はよかったけれど暑すぎもしない気温なのに、汗が止まらなくなった。また胃腸炎かな、と思う。わたしは1カ月半に1回くらい胃腸炎になるので、それくらいのペースで内科に行っていて、突然のたうち回るような痛みを感じても、もう心配しなくなった。年をとること自体で成長したと思うことはないけれど、慣れとか経験は確実に強みになっている。

服を買いたかったのだけれど、結局断念して、家に帰って寝込んで、夕方を引きずってそのまま夜になってしまった。

デートは不完全燃焼で、また明日から仕事とかいろいろだと思うと悔しかった。何か、もっとパーっとやりたい。胃のあたりがムカムカとして、おへその下がキリキリと痛むので、自分の身体が憎たらしく思えてきて、右手の親指と人差し指で左手をつねった。

3月3日(土)

今日は配偶さんに、わたしの幼馴染みの男の子と会ってもらう日だ。わたしの幼馴染みはわたしの実家から歩いて20秒くらいのところに実家があって、少年団も同じだったし、考え方がすごく合う!というわけではないけれど、何かのときには大事な報告をしたくなるので、やっぱり「幼馴染み」なんだなと思う。

幼馴染みは北海道に住んでいるし、配偶さんに会ってもらうのは、何だか不思議な気持ちがした。ぎこちないところから始まって、よもやまばなしをするうちに打ち解けたみたいになって、幼馴染みは配偶さんのことがとても好きになったみたいだった。人あたりはいいし、やさしいけれど、好き嫌いがわりとはっきりしている幼馴染みがこんなにも強く人を好きだというのは珍しい気がしたので、うれしかった。

空気がゆるんできたあたりで、幼馴染みが「ちょっと聞きたいんだけど、どうしてののかと結婚したの? 俺は友達として大好きだけど、こいつとんでもねぇ女じゃん!」と言った。わたしを含めてみんなが思っているようなことをこんなにまっすぐ聞けるのは幼馴染みくらいだなと思いながら、わたしも配偶さんを見つめて首をかしげた。

配偶さんはまっすぐ、幼馴染みのほうを見たまま、「僕、ののかちゃんのことをとんでもないと思ったことがないんですよね。とんでもないかもしれないんですけど、僕はとんでもないと思ったことがなくて」と言って、納得した。配偶さんは、わたしの“とんでもなさ”を気にしていないところがいい。とんでもなさを面白がられると、元気がないときにつまらないと思われてしまうんじゃないかと思ってプレッシャーになる。

幼馴染みは「へぇ~、そうなんだね」と言いながら、安心したような顔をして、わたしは幼馴染みを見ながら、得意げにうんうんと頷いた。

幼馴染みと別れてから、配偶さんと一緒に少しだけ仕事をして、わたしは撮影に行った。撮影に行く前にどうしてもうどんが食べたくなって、はなまるうどんでかけうどんを注文する。はなまるうどんの天かすは、色が白っぽくて、丸亀製麺のそれよりもカラっとしていて、上品な感じがした。チェーンのうどん店に上品も下品もないけれど、どちらかというとわたしは丸亀製麺のほうがジャンクで好きだなと思った。

夕方、お友達の家に撮影をしにお邪魔する。同行したカメラマンさんに、2人はどこで出会ったのと聞かれて、お互いに家のない時代に流れ着いた他人の家で出会いました、と言ったら、ドン引きしていた。会社を辞めて半年くらい、家がなかった時期は、おもしろい出会いがたくさんあったなと思う。もう戻りたくはないけれど。

家に帰ると、バタンキューだった。そういえば今日はひな祭りだった。お腹が痛くなかったら手巻き寿司とかをしたかったなと思った。

3月4日(日)

今日は昨日会った幼馴染みと一緒に、また別の幼馴染みの家に遊びに行く。寝坊をしてすっぴんのまま。まぁいいか、あのメンバーなら。

遊びに行く幼馴染みは去年の夏に子どもが産まれている。お祝いもろくにできていなかったので、まずは百貨店で子ども用品を探す。小さい子はすぐに大きくなってしまうし、好みもあるだろうから難しい。迷って迷って、かわいい靴下にした。2人でこれにしようと決めたものの、正解なのか渡すまで不安だなと思った。多分、幼馴染みもそう思っていたと思う。

街を歩いている間に、幼馴染みが急に「そういえば、ののかって人妻なのか! そう思うと、ののか相手でもちょっとウキウキするな!」というようなことを言ってきた。人妻という言葉を聞くと、ちょっとエロそうな、ウキウキするような気持ちはなぜかわたしもわかる。わたしは何も変わらないけれど、人妻を名乗るだけでウキウキしてもらえるなら、積極的に人妻を名乗っていきたい。

赤ちゃんのいる幼馴染みの家までは電車で40分くらいかかる。電車に乗っている間、将来やりたいこととかいろんな話をした。小学生くらいのときは、27歳になったら将来なんてないと思っていたし、人生の行く先を早く決めたいと思っていた。大人になっても将来があるのは楽しい。結婚したって、しなくたって、まだまだ何でもできる。

駅に着くと、幼馴染みが迎えに来てくれた。1年ぶりに会うけれど、赤ちゃんを抱いている以外は、何も変わったところがなくて、彼らの激動を知らないわたしからしたら、赤ちゃんだけがポンと、いきなり世界に現れたように見えて、不思議な感じがした。

わたしたち2人はどこか落ち着かなくて、妙におどけたりしてしまって、最初は何となくぎこちなくなった。子どもを抱きながら、幼馴染みは「月齢」という聞きなれない言葉を自然に使う。小学校から知っているお友達に子どもがいて、父親になっていて、しかもそれがとても似合っているということが不思議でしかたなかった。

お邪魔した家は壁が真っ白で、家族できたてほやほや、な感じがした。幼馴染の奥さんもいらっしゃった。当たり前だけど、前にお目にかかったときよりも、ものすごく家族な感じがした。

奥さんがわたしの結婚祝いに細長くて四角い箱をくれた。渋いかもしれないんだけど、と言ってくれた包みを開けると、日本酒の一升瓶だった。幼馴染み、好みをわかってくれてうれしい。幼馴染みは「ののかの結婚相手とか、どんな人なのか超気になるな!」と言っていた。幼馴染みは、みんな違う言葉で、同じ意味を込めたことを言うなぁ、と思って、面白かった。

わたしは幼馴染みに「男の人はお腹が大きくなったりしないけど、どのタイミングで“父親”になるの?」と小学生みたいな質問をした。すると、幼馴染みは「子どもがほしかったから覚悟はもともとあったよ。でも実感が強くなったのはやっぱり、外に出てきてからかな」というようなことを言った。

わたしは好奇心がつきなくて、「でも、男の人は女の人よりどうしても、子どもに接する機会が体の構造的にも少なくなってしまうし、そのことにもどかしさを感じたこととかはない?」と突っ込んだ質問をした。

すると、幼馴染みは「俺からもミルクが出ればいいのにな、と思ったことはあるよ」と言った。わたしたちがいる間じゅうずっと、慣れた手つきでおむつを替えたり、あやしたりしていて、それは、ミルクが出ればいいのになと思ったことがある、という言葉がそのまま行動になったみたいで、嘘がなくて、とてもいいなと思った。

あっという間に帰る時間になってしまって、駅まで送ってもらう。次にいつ揃うかわからないのに、サラッとお別れして、次に会うときには昨日会ったみたいに久しぶりと言える、年末の特番みたいな関係がだんだんと少なくなってきた。

いつも同じような話をしていると思っていたけれど、ここ何年かで結婚とか子どもとかいう言葉が急にドシドシ食い込んできて、就職したとき以上に、それぞれの人生、という感じになってきた。それは良いとか悪いとかではないのだけれど、やっぱり少し寂しい気持ちもあるし、たぶん今が一番デリケートな時期だと思う。年をとるのは不安なこともあるけれど、70歳くらいになって老後の過ごし方について、ゲラゲラ笑いながら話したい。

佐々木ののか

佐々木ののか

書くことが生業。実体験をベースにした物語みたいなエッセイやインタビューを書きます。メインテーマは、家族と性愛。

Reviewed by
トナカイ

佐々木さんはついに婚姻届を出します。役場からの帰り道、立ち寄った喫茶店で起きた出来事が奇跡のように美しいです。それは「結婚」を頭じゃなく心が受け止めた瞬間でした… 実はこのシーンの後、僕の脳内でこの佐々木さんの結婚物語のエンドロールが流れはじめました。でも、ほんとうの暮らしというのは、エンドロールのあともずっと続くものなのです。次回、最終回。刮目して待て!

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る