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2F/当番ノート

プロポーズと内省(3月5日から1週間のこと)

当番ノート 第37期

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3月5日(月)

業務委託先のオフィスに行って作業をする。今日中に提出しておきたい原稿と企画書の仕上げ、それから担当している動画の進行管理で、指先が爆速で動いて頭の中がグラグラと煮えた。

苦手なことややるべきことはサッサと終わらせて、残った時間で好きなことをする、というのは、うちのお母さんの教育方針で、わたしにもそれが染みついている。月曜日と火曜日に睡眠時間を削って仕事を終わらせててでも、水曜日からは会社に行きたくないし、人にも会いたくない。毎日のように思っているけれど、会社勤めができる人たちは本当にすごい。

夕方になって、お世話になっている先輩から、イベントの受付をやってくれないかとメッセージをいただく。急に来られなくなった人が出たらしい。わたしは最近人混みが苦手で過呼吸を起こしてしまうので、少し不安だったけれど、事情をお伝えしたうえでお手伝いさせてもらうことにした。

会場はにぎわっていて、元気だったら混じりたい気持ちだったけれど、結局めまいがしてきてしまって、先輩に断りを入れて、会場を2時間ほどで出てしまった。

なだれこむようにしてバス停につくと、配偶さんが迎えに来てくれた。
頭がまだぼーっとしていて、今度は鼻血が出た。

原稿を提出し終わったらぐったりしてしまって、ベッドになだれこむ。明日の会議、緊張するなぁと思った。熱、出たりしないかなぁ……。

そう言えば昔から、嫌なことがあると心臓が本当に痛くなって、のたうちまわって先生を呼んでもらい、お母さんに迎えにきてもらうのだけど、家に帰った途端に直るようなことはよくあった。幼稚園の運動会が嫌で嫌で仕方なくて、お腹が痛くなって帰ったのに、家に帰ったら元気になってお弁当をモリモリ食べた。

高校のときも、授業の半分だけ出て出席扱いにしてもらって、あとは保健室にいることが多かった。あのころは酸素がとても薄かったし、今でもよほどありのままでいられる人とじゃないと、酸欠になって2時間でフラフラになる。

だから多分、今日のめまいも鼻血も、明日の会議は行かないほうがいいよという身体さまからの抵抗なのだと思った。身体さま、どうか熱を、よろしくお願いします。

3月6日(火)

業務委託先の会議へ。見事に撃沈。焦ると早口になるし、相手が黙ると焦ってますます早口になって、結局何を言っていいのかわからないような状態になって、出した企画はだいぶ丸くなってしまった。悔しい。腸が鳴っている。お腹が痛い。

終わってから、チームのメンバーでご飯を食べに行く。わたしはいつものココナッツホタテレモンカレーにした。すごくおいしいかと言われると普通なのだけど、ココナッツもホタテもレモンもカレーも好きなので、ここにくるといつもそれを頼んでしまう。

午後から取材の打ち合わせで渋谷へ行き、終わった途端に疲れがドッと出て、またフラフラになってしまった。家に帰ると1件メールが来ていた。コラムの仕事の依頼だった。今週に入って3件目。今までコラムのお仕事なんて来たことがなかったから、とてもうれしい。しかも、1つは「性」、もう1つは「結婚」がテーマのもの。「何でもいい」とか「誰でもいい」とか「いい感じで」とか言われるとムカつくけれど、依頼してきたくださったテーマを見ただけで、わたしのことを知っていてくれるんだなと思えて、あたたかい気持ちになる。

会議はまた失敗してしまったけれど、頑張るぞという気持ちになれた。

その日、配偶さんは遅くに帰ってきた。明日から出張だからと言って、ギリギリまで仕事を片付けようとしていたらしい。

配偶さんがそんなに家を空けるのは2カ月ぶりだし、それからずっと昼も夜もだいたい一緒にいるので、いない生活がどうなってしまうのか不安だ。

いない間に男の人と遊ぶから大丈夫だよ~と言っておどけてみせたら、男の人はできれば家に入れないでね、と配偶さんは言って、元気をなくし、それを見たわたしも元気をなくしてしまった。連れ込む男の人もいないのに、無駄にカロリーを使ってしまったなと思った。悲しい気持ちになったときはカロリーをたくさん使って、その分痩せたらいいのになと思った。

3月7日(水)

朝、何度目かの目覚ましで起きると、配偶さんはまだ寝ていた。確か8時の飛行機だと言っていたのに、6時。しかもパッキングもしていないと言っている。間に合わない。

わたしはすっかり目が覚めてしまって、配偶さんを急かすのだけど、配偶さんはのんびり屋さんなので、わざとにやっているんじゃないかと思ってしまうほど、ゆっくり丁寧に荷づくりをして、ときどきわたしと目が合うと、ニコニコとして手を振ってきた。

わたしのことでもないのに、せっかちなわたしは焦ってしまって地団駄を踏み、床に座り込んで、ドタバタドタバタしても、配偶さんは絶対に焦ることはなくて、Uberというアプリでタクシーがつかまらなくても焦らないで、最後までニコニコして「飛行機に乗れたら連絡するね~」と言って出て行った。

配偶さんも焦るときはあるけれど、わたしとはたぶん真逆のタイプだ。似ているところも多いけれど、足して2で割ったほうがいいことも多い。配偶さんと“ユニット”を組んでよかった理由には、バランスの悪いわたしが弱いところを補ってもらえる、というのも1つある。

昼間のうちに区役所に戸籍謄本を取りに行って、パスポートの更新をするために新宿へ。10年パスポートの半分以上が残っているので、改姓だけなのだけど、同じように長蛇の列に並んで、おまけに6,000円もとられるのはおかしいと思う。おかしくなくてもムカつく。別に姓にそこまでのこだわりはなくなったけれど、面倒なこととかお金が余計にかかることは嫌だなぁ。

夕方、業務委託のオフィスに顔を出して、帰る。当たり前だけど、配偶さんはいなくて、わたしとみいちゃんの2生命体しかいない。

ベッドにダイブして、水泳のバタフライのように手足を動かして、ターコイズブルーのシーツを泳いだ。1人で眠るシングルベッドはすごく広くて、気持ちよくて懐かしかった。でも、すぐに、寂しい気持ちがグーッと押し寄せてきて、溺れそうになる。

わたしは悔しくなって、「今日は絶対に連絡しないぞ!」と思っていたのに、それから3分くらいして「撮影終わった?」とLINEをしていた。今回はわたしの負け。

それから、うっかり眠ってしまったようで、起きたら1時半になっていて、配偶さんから何度か着信があった。もう起きていないだろうなと思いながら、悲しい気持ちで返事をすると、すぐに既読がついた。暗い夜道にポッと灯りがともったような気持ちだ。

朝別れたばかりなのに、夢中で話し込んでしまって、電話を切ったら1時間も話していた。配偶さんのいない生活は想像がつかないなと思ったけれど、配偶さんに会う前は会う前で、親友と電話をする時間が多かったので、それはそれで楽しかった。

たとえばわたしがいきなり死んだりいなくなったりすることがあっても、配偶さんは配偶さんの人生をちゃんとやっていくんだろうなと思うと、寂しい気持ちと安心する気持ちがぐるぐるになって、頭を横に振った。深夜は余計なことを考えてしまう。

それから1分も眠らずに朝になった。

3月8日(木)

朝8時過ぎに、大阪から親友の真崎がやってきた。今回は1泊2日ということもあって、近所から来たみたいな薄い荷物だった。2週間前にも会ったばかりで、そんなにしょっちゅう来るなら、本当に近所に引っ越してくればいいのにと思うのだけど、彼女は東京で“暮らす”のは苦しいらしい。まぁどこにいても、元気に生きてくれてさえいればそれでいい。欲を言えば、やっぱり1カ月半に1回くらいは遊びたいけど。

真崎がくるのがうれしくて、ご飯を3合炊いておいた。ろくな料理はつくれないけれど、ご飯のおとももたくさん買った。梅干しと納豆と豆腐と焼鮭とキムチを5重の塔みたいに重ねてちゃぶ台に運んでいったら、真崎はコロコロ笑って写真を撮って「フリー素材だからな!」と言って、Twitterにあげていた。わたしたちは2年も前から同じようなことをやっているし、これからも同じようなことをやって、おばあちゃんになっていくんだと思う。

朝ごはんを食べながら、わたしは昨日の夜から寝ずに考えていたことをこんこんと話して、真崎はそれを熱心に聞いてくれたのだけど、夜遅くに考えたことはだいたい重くて暗いので、らちが明かなくて、そのうちにやめた。

真崎がお風呂に入っている間に、わたしはみいちゃんを動物病院に連れていくことに。みいちゃんは最近またくしゃみを連発している。カゴに入るのを嫌がるので、おくるみをして抱えて歩く。すれ違う人が、赤ちゃんだと思ったら猫だったのか! みたいな顔をするので、もういっそ、ベビーカーかだっこ紐をつけたい。

病院に行ったら、ハウスダストが原因かもしれないということで、抗生物質を飲ませて、よく掃除することにした。

家に帰ると、みいちゃんは抱えられたのが嫌だったみたいで、ベッドの奥底に入って出てこなくなってしまった。一時的なものとはわかっているけれど、みいちゃんに嫌われるのは悲しい。

しかも、ふとちゃぶ台を見ると、昨日買っておいた発泡酒の缶が開いていた。「真崎! お前さすがにずうずうしいぞ!」と怒る。たかが100円とちょっとの発泡酒にそこまで怒ることもないと思うのだけれど、みいちゃんには嫌われるし、ほとんど寝ていないこともあって怒ってしまった。ようするに、真崎にしてみれば、ただのとばっちりだ。

真崎は「ごめん、どうしても喉が渇いて……今度ちゃんと返すから……」と言って一生懸命に謝るので、申し訳ない気持ちになった。言えてないけど、こちらこそごめんね。また夜、一緒に飲もうね。

身支度をして、真崎と一緒にバスに乗って、カフェに行く。今日は真崎と、わたしたちが駆け出しの時代からお世話になっている編集者のお姉さんと一緒に確定申告をやることになっていた。普段は、クライアントから詰められたときや精神的に追い込まれたときに励まし合うためのFacebookグループを通じてコミュニケーションをとっている。その名も「互助会」。

わたしはおばあちゃんから譲り受けた箱にギッチギチに詰まった領収書を出して入力を始める。テーブルのうえが自分の家みたいになる。確定申告の準備は今日からだ。

ある程度入力をして飽きてきてしまったので、わたしは業務委託先のオフィスへ。上司に企画を出すものの、話し方がおどおどしてしまって、不快な思いをさせてしまったみたいだ。上司に気を遣っているだとか怖いと思っているだとかいうわけではまったくないのだけど、最近は人がとても怖い時期で、人と話をするだけでビクビクしてしまって、相手に気を遣わせてしまう。会社員時代に思ったけれど、コミュニケーション能力も給与の一部なんだなと思っている。トレーニングで鍛えられるなら今からでも鍛えたいし、お金を払うから、誰かわたしのコミュニケーション部分だけ担当してくれないかな。スケジュール管理は得意だけど、マネージャーがほしい。

真崎が22時から家で飲もうというのだけど、気分がとても落ちてしまって、それどころではないので、ストロングゼロを飲んだ。南高梅味は全然好きじゃないけれど、関係ない。ふるさと納税でもらったひとくち餃子を、ストロングゼロで流し込む。配偶さんと知り合ってから初めてくらいに死にたいような気持ちになっていた。

一人で暮らしていたころは毎日死にたくて消えたくて、だけど、それが心地よくもあった。寂しくなってお酒を飲んで、メッセンジャーに並ぶ名前をたぐって、連絡をして会って、お互いのダメな部分を晒して、握り合って帰ってくることは明日を生きるための手段でもあり、ゆるやかな自殺でもあったなぁと、今振り返って思う。

わたしは「死にたい気持ちなので寝るけれど、一緒に飲むのを楽しみにしていたから帰ってきたら起こして」と、真崎にLINEして眠った。

3月9日(金)

目が覚めると朝になっていた。真崎は眠っていて、ちゃぶ台には缶2つがコンビニ袋に入ったまま置かれていた。昨日、飲みたかったなぁ。ごめんね。

スマホを開くと、配偶さんからも「真崎と飲んでいるの? 僕も真崎と話したい!」とLINEが入っていた。配偶さんは真崎のことを「動物みたいな人」と言っていて、とても好きでいる。電話をつないであげられなくて、配偶さんにも申し訳ない。

真崎を起こして、少しだけうだうだ話して、真崎は次の用事があると言って、帰っていってしまった。来月はわたしが関西に行くので、すぐに会えるのだけど、やっぱり別れ際はいつも寂しい。

原稿を少しだけしてから、服を買いに行った。去年の夏ものは気分が変わってしまったので、ほとんど全部あげるか捨ててしまって、これからの季節に着られるものが本当にない。気になったものを片っ端から試着する。昔は試着するのが恥ずかしくて、見た目で気に入ったものをサッと買って、着てみたら似合わなくてそのまま人にあげてしまうことが多かった。できれば長いこと着られる服が欲しいので、デザインはそれほど好きでもなくても、まずは試着をするようにしている。

欲しいものを頭の中に入れて、ちょっとだけ考えますねと言って、店を出た。

それから髪を整えて、美容室に行った。美容師さんはチェックが厳しいうえにとても素直な人なので、髪がボサボサだと「髪がボサボサですね!」と言うし、化粧を変えると「アイシャドウが赤くなりましたね」と気づいてくれる。美容室に行く日は、1カ月の中で1番気合を入れているかもしれない。

寒色系でお願いします、とだけオーダーして、髪の毛が染まるのを待つ。最近はもうあれこれうるさいオーダーをするのをやめてしまった。

美容師さんの話だけではなく、このところ、わたしは何でもわたしだけでしようとすることがなくなった。前までは誰かと一緒に仕事をするということはコミュニケーションがその分増えるので、それはとても煩わしいことで、どんなに大変でも自分ひとりでやってしまったほうがラクだし早いと思ってきた。

だけど、実際は、わたしはほとんど何もできないことがわかってきた。頑張ればできる!と思って自分としては一生懸命やったとしても、苦手なことは苦手なこと、それなりの結果しかないし、得意な人に得意なことだけやってもらったほうが合理的だ。

「生産性」とか「合理的」とかいう言葉はあまり好きではないけれど、年をとってきたせいか、少しでも楽をしたい。少しでも辛いこととか苦しいことをしないで、よいものを作れるならそのほうがいい。優先順位が変わったと言ってもいい。27歳とかその辺りは、そういう時期なのかもしれない。

そんなことを考えている間にタイマーが鳴り、シャワー台で髪の毛を流してもらったら、わたしの髪の色は青になっていた。ネイビーと言ってもいいような深い青色で、そこに美容師さんがザクザクとはさみを入れて、気がついたら前よりもさらにショートになっていた。全然予定になかったけど、とてもいい。

帰り道、昼間に下見しておいたお店に戻って、欲しいと思った服をザザーッと買った。とても、気持ちが良かった。

心まで軽くなって、近くのスーパーでお刺身とお寿司とメンチカツとハイボールを買った。配偶さんの飛行機は遅れているみたいだ。何時でもいいから朝が来る前には帰ってきてほしい。無事に帰ってこられるといいけど。

買ってきたお惣菜をちゃぶ台に広げて、食べたり飲んだりしながら、配偶さんの帰りを待つ。みいちゃんは魚のにおいが気になるみたいで、わたしの膝を踏み台にして、一生懸命にお刺身の入ったパックに猫パンチをしていた。透明なパックが邪魔して魚をつかめないのを不思議に思ったのか、何回も何回もチャレンジをしている。ぺコン、という音がして、パックがへこんだ。

配偶さんから、品川を過ぎたよ、と連絡が来た。わたしは頭の中で山手線の路線図を想像する。配偶さんの乗る電車がだんだんと近づいてくる絵が強くなってきて、いてもたってもいられなくなって、パジャマにコートを羽織ってペラペラのつっかけを履いて、外に飛び出した。

配偶さんはいつもわたしのことを迎えに来てくれていた。わたしは寒いこととか面倒くさいことが嫌いだから、お迎えとかはあまりしたくなくて、お返しができないのが申し訳なくなるから、配偶さんには「迎えにこなくていいよ」と言っていた。だけど、配偶さんは「迎えに行きたいから行ってもいい?」と言うので、うれしいけど無理しなくていいのにな、と思っていた。

だけど多分、配偶さんは本当に迎えに行きたかったんだなと思った。配偶さんの気持ちがわかった気がしたのに「あのときの気持ち、よくわかったよ!」とすぐに言えなくて、急に寂しい気持ちになった。

裸足にサンダルで出てきてしまったから、足がかじかむ。足の親指と人差し指をピシピシ動かして寒さをごまかしていたら、配偶さんに後ろから声をかけられた。すれ違ってしまったみたいだ。確か前にもこういうことがあった。全然に学んでいない。全然に学んでいないけれど、そんなことはどうでもいい。配偶さんが帰ってきた。それだけで何だか何でもどうでもよくなった。

何でもないようなことがこんなにうれしいことってあるかなというくらいにうれしかったのだけど、安心したわたしはお土産のドライフルーツを食べてすぐ、土産話も聞かずに横になってしまった。

配偶さんが残ったお刺身を食べていたけれど、みいちゃんはその様子をおとなしく見ていた。わたしはみいちゃんにナメられているんだなぁと思いながら眠った。

3月10日(土)

今日は朝から、石井リナちゃんと対談で渋谷に。石井リナちゃんというのは最近「BLAST」という会社を立ち上げた女の子で、クールな見た目で、考えていることはシャープだし、同い年だけれど、ひそかに憧れていた存在だった。フェミニンでありながらクールに見えて、もしかしたら緊張してしまう人もいるかもしれないけれど、リナちゃん自身はとても柔らかくて感じの良い人なので、リナちゃんのそういう魅力もどんどん知っていってほしいと一ファンとして思う。

そんなリナちゃんから対談のお話をもらって、とっても舞い上がってしまったし、しかもメディアというものに掲載される形ではインタビューとか対談とかいうものは初めてで、そんなこともあって、髪を染めたり服を買ったりして楽しみにしていた。

リナちゃんとは「結婚」をテーマに話をした。わたしのこういう話は独特なこともあって、聞いてくれる人が少ないので、とても楽しかった。リナちゃんとは思想が通じる部分も多いけれど、アプローチの角度が全然違うので面白い。たとえばわたしは美しいも醜いも炙り出したアングラみたいな表現が好きだけど、リナちゃんの表現の仕方はクールだし、リナちゃんの思想そのものを話題にすることがオシャレな感じがする。いつか一緒にお仕事ができたらいいなと思った。

対談が終わってから、家に帰って確定申告の入力をする。あと5日しかないのに、まだ半分も終わっていない。配偶さんと一緒に、ちゃぶ台とその周りに領収証を広げたら、領収証パーティーみたいになった。

みいちゃんがベッドの下から出てきたけれど、いつものお気に入りのカーペットが領収証で埋まってしまっているのを見て、5秒くらい固まってから、またベッドの下に引っ込んだ。

もし終わったら飲みに行こうという約束をして、2人で士気をあげる。腰とか膝のあたりがジンジンするのを無視して入力をする。

夜も18時くらいに入力が終わった。「やっと終わったー!」と言いながら、ベッドに寝転んでスマホを開くと、具合が悪くなるようなものを見てしまって、また落ち込んだ。

鬱々とした気持ちで、ベッドでゴロゴロするうちに、飲みにいく時間になる。配偶さんが「今日やめる?」と言ってくれたけれど、今日は配偶さんのお友達も交えて飲む日だ。から元気でも絶対に行く!

配偶さんのお友達は見た目にかわいらしくて、性格はサバサバしているけれど心遣いもできる、付き合いやすいそうな人だった。お仕事へのスタンスもカッコいいし、わたしもお友達になりたい素敵な人で、配偶さんもわたしとお友達を引き合わせられてうれしいみたいだった。そういえば、わたしのお友達にはたくさん会ってもらっていたけれど、配偶さんのお友達にはあまり会ったことがない。配偶さんが恥ずかしくないようにはもちろんだけれど、配偶さんのお友達はわたしよりも若いことが多いので、気後れしないようにいろいろを頑張ろうと思った。

飲みに行っている間に、メッセージで弱音を吐かせてもらった人から連絡が来ていて、元気が出るように、と、急遽日の出を見に行くことになった。出発は4時半だと言ってくれていたけれど、家に着いたときにはもう1時半だった。

わたしは寝坊しても大丈夫なように、次の日の服を着たまま眠った。

3月11日(日)

緊張していたおかげか、4時には起きられた。布団から起き出して、準備をしていると、配偶さんも見送ろうとして起き出してきてくれた。

家の前まで車で迎えに来てくれるから大丈夫だよ、と言ったのだけれど、配偶さんは心配そうな顔をしている。結局、わたしが車に乗り込むまで、配偶さんは見届けてくれて、わたしはそれがどうしてなんだろうと思った。

一緒に日の出を見に行く人というのは大学の先輩で、よく相談事などにのってもらっている。そういえば結婚したんだよね、と言ってくれたので、そうです2月末に、と言うと、そんなに新婚なのに朝早く呼びつけて悪いことしたね、と先輩が言った。

もちろんわたしはむしろありがたい気持ちでいっぱいなのだけど、「新婚」という言葉が引っかかった。そういえば、よくよく考えたら結婚したばかりなのに、急に朝早くから男の人と車で出かけていったら心配するかもしれないなと思った。やましいことは何もないので、全然気が付かなかった。でももう少し、こういうところに気を遣ってあげたほうがいいのかもしれない。

目的地まではアクアラインを通って2時間くらいの道のりだった。昔からトンネルの中を走るのが好きだ。走る速さによって光が飛んでくるスピードが変わるのがおもしろい。

他愛もない話やまじめな相談をしながら目的地に着くころには、わたしの心はもうだいぶ軽くなっていた。

駐車場から展望台までを登る。先輩が「日の出を見たら、パワーがもらえるよ」と言う。実はわたしは初日の出も見に行ったことがない。きれいなものが見られるといいな、と思いながら待っていると、空がだんだんと薄ピンク色に染まって、燃えるような朝日が頭を出した。本当に燃えているみたいで、たとえば縄文人とか昔の人が火事だと思ったとしても仕方ないなと思えるくらいに、太陽は燃えていた。

今朝の今朝まで抱えていた悩みなんて大したことがないように思えた。自然は偉大だとか燃える朝日だとか、使い古されたような言葉が一気に距離を縮めてくる。

日の出を見たあとは道の駅の野菜直売所に寄った。大好きな菜の花の束が100円で売っていて、大興奮でカゴいっぱいに野菜を詰め込んだのだけど、1000円とちょっとしかかからなくて、また興奮した。

自炊をするようになってから、どちらが安いかとかそういう生活の工夫が楽しくなったし、配偶さんやみいちゃんと暮らし始めてから、出先でも思い出す顔が増えて楽しい。

先輩に家に送ってもらったら12時くらいになっていた。野菜のいっぱい入ったビニール袋を提げて、「ただいまー!」と言うと、配偶さんもみいちゃんも寝ていた。

起きた配偶さんが午後からロケハンに行くというので、着いていくことに。途中で回転寿司屋さんを見つけた配偶さんが「この間、ののかちゃんがお寿司を食べていたの、羨ましかったな」と、ボソッと言った。配偶さんが出張から帰ってきた日に、わたしはお寿司を全部1人で食べてしまったことを言っているのだなと思った。わたしは聞こえないフリをしながら、今日の夜はお寿司にしてあげようと思った。

ロケハンが終わって、お友達がやっているクレープ屋さんに行き、わたしはイチゴチョコクレープとレモンラッシーを、配偶さんは豚の角煮ガレットとクリームソーダを頼んだりしてのろのろしていると、夜になった。

近くのスーパーで、お寿司を2パック買って、家のちゃぶ台に広げて食べる。カーペットのうえがまだ領収証パーティーになっていることもあって、みいちゃんがベッドの下から羨ましそうに見つめていた。

3月11日までのことで連載が終わるんだよ、と配偶さんに言ったら、何か特別なことをしたほうがよかったかな、というので、特別なことを考えてみたけれどあんまり思いつかなかったので、ううん大丈夫、と言った。

配偶さんのお寿司パックに食べたいネタがあったので交換してもらって、「海老アレルギーだから食べないほうがいいよね」と言って、配偶さんの海老までもらった。

思いついたことをしゃべってダラダラしていたら、気づいたら0時を超えて、12日になっていた。文章にすると80,000字くらいの8週間があと何回続くのかなと考えながら、3月12日の始まり。

佐々木ののか

佐々木ののか

書くことが生業。実体験をベースにした物語みたいなエッセイやインタビューを書きます。メインテーマは、家族と性愛。

Reviewed by
トナカイ

佐々木さんがつぶさに描く毎日を読んでいると「奇跡も語るものがいなければ」という言葉を思い出します。これは、正確には格言のようなものではなく、海外小説のタイトルの和訳なのですが、僕は折に触れ、その言葉を思い出します。世界のあちこちで奇跡は起きているのだけど、それを語る者がいなければ、奇跡は気づかれない、というような意味だと思います。続いていく日常を語り続けることが生み出す力を、僕は佐々木さんの日記で感じました。

終わったのに続いていくような最終回です。

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