私の小さい時の夢からの話。 私はいつも絵に囲まれていた。
小学1年生の時、当時大阪の小学校に通っており、その学校も50年という古い歴史をもった学校で生徒が近寄ってはいけないようなところには、お化けが出そうな薄暗い場所に配電盤が置いてあったりした。(幽霊教室)(幽霊階段)などと生徒の間では広まっていた。 私ももう昔の記憶のため、確かな事は伝えられないが本当にあえてお化けが出る雰囲気を作っているかのようなグレーの壁の色、木枠の窓の古めかしさ。電球の薄暗さまで、お化け屋敷と今でも言えるようなものだった。 歴史のある学校だから、それが残っているのかと思うが、それでもお化けが出そうな雰囲気には間違いなかった。 そんな学校で、私の教室ではいくつか流行っているものがあった。 当時、ドラゴンボールが教室では流行っており(だから私は今でもドラゴンボールが好きだ)、誰かが1度、家でドラゴンボールのキャラクターを描いてきた事があった。 クラスの男子はそれに釘付け。その子は、その時間人気者になった。 これが私が絵に夢中になった始まりだったと思う。 それからは、クラスの男子の中で上手に絵を描いてきたら自慢ができるクラスとなった。 元々ドラゴンボールが好きだった私は、すぐに絵に夢中になり、学校で自慢をしたくて家に帰ったら漫画本を見ながら絵を描いていた。 この、「絵を上手に描いてきたら自慢ができるルール」には1つだけ決まりがあった。 それは(写し絵はすごくない)という事だ。 見本の絵を、そのまま半紙などで写してきても誰でもできるため自慢にならないのだ。 私もそれはしなかった。私は自慢したかったのだ。 見本を何度も見ては描いて見ては描いて。の繰り返しでようやく出来た絵を次の日、大切にランドセルに入れて持っていき、タイミングを見計らってお披露目する。 みんなのリアクションが何より嬉しかった。 1人に見せると、その子が(おーい皆んなちょい見てーな!道野すごいで!!)と、自分から回らなくてもクラスの男子には自然と回る。 それからは、絵を上手に描いてやろうという男子は限られたメンバーになり、(クラスの中で絵が上手い奴はあいつとあいつ)みたいに枠が決まっていった。 私はその中にいた。 クラスでも5人ぐらいはおり、1人が描いてきたらまるで評論家達が語るように、その絵の良し悪しを言うような会話になっていた。誰もが自分の絵の方が上手いと思っていたのだ。 そんな子供時代を過ごしたため、絵を描く事が得意と言えるようになり、その頃の夢は漫画家だった。
社会人になり、画家(現代美術家)に内弟子として絵を本格的に学んだ。またその話は後日。
そして今は、その知識と経験を活かし児童発達通所支援事業所で発達障害の子供たちに絵を教える仕事をしている。彼、彼女たちは、それは素晴らしい才能を持った子達だ。中にはドラゴンボールが好きな子もいる。絵を描いている時の彼らの目は、とても集中して取り組んでおり私はそんな目を見るのがとても好きだ。そんな彼らには何のアドバイスもいらないのだ。
昔の私も、こんな無我夢中に取り組む目をしていたのだろうか。彼、彼女たちを見ると昔の私を思い出す。。。
絵がうまく描けるようになりたい気持ちに私は全力で答えたい。当時、誰からも教えてもらうことなくひたすら描いていた経験がら気づいた事が沢山あった。それを彼らに伝える事で小さな感動を伝える事ができる。指導時に見本として描いてみせる時、子供たちの「おおおお!!! すげええ。。。」等の声を聴くと(その気持ちすごく分かるよ!)と内心思いながら顔もにやけている。34歳と10歳前後の年齢から、年の差はあれど共感できる感動を味わうことが出来るというのは嬉しいものだ。彼、彼女たちは私を子供時代に戻してくれるのだ。あの無我夢中に取り組んでいた時に。